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「週刊ウローク」NO.2 //「あゆち思想」の源流

■愛知県の語源

 あゆちとは、「あゆの風」つまり「海から吹いてくる幸福の風」という意味で、愛知県の語源になっている。柳田国男の著書「海上の道」ではこう記述している。アユもアイノカゼも海岸に向かってまともに吹いてくる風、くさぐさの珍らかなる物を渚に向かって吹き寄せる風で、また風でなくともアシカ、シャチ、クジラなどが黒潮に乗って近年でも運ばれてきてニュースになったりもした。柳田国男の「海上の道」で知ったことだが、島崎藤村が友人であることを知り、あの有名な渥美半島に流れ着いた「椰子の実」の歌にふれていた。そして小説「夜明け前」の主人公青山半蔵は、藤村の父親であり、その父親が宮司をしていた飛騨一ノ宮の水無(みなし)神社は、第二次大戦時、草薙の剣の疎開先だった。ロマンあふれる「あゆち思想」の旅は、こうして続いている。

 生前、ノーベル賞物理学賞を受賞された名古屋大学の益川敏英先生に取材の折、聞いてみたことがあった。

 「益川先生、愛知県ってどうして愛知って言うのでしょうか?」

少し間を取ってから説明を入れると益川先生はこう言われた「ギリシャ語で知を愛するってことは知ってるけれど、アイの風は知らなかったな」と笑われた。

■万葉集の中の「あゆち」

 遠浅の入り江、古より年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれている。万葉の歌人、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の歌で知られている。


  桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた)
     潮干にけらし 鶴(たづ)鳴き渡る

万葉集より


 桜田のほうへ鶴が鳴きながら飛んでいく。年魚市潟の光景を歌に詠んだ。さらに繰り返す。すっかり潮が引いてしまったようだ。鶴が鳴きながら飛んでいく。

 鶴が鳴く、鶴が鳴くと、二度も強調している。どうしてだろうと疑念がわく。なぜ強調するのだろう。二度目はさらに潮が引いたらしいと。潮が引くとどうなるのか、引いた浅瀬には貝や小魚などがいると思っていると、おやおや亀が見えてくる。これは鶴に対して亀を呼び出すための強調による暗喩だ。さすが高市連黒人。鶴と亀といえば、おめでたい絵柄として蓬莱伝説を思い出さざるを得ない。熱田神宮と蓬莱、そして年魚市潟。彼は持統天皇に仕え、三河や尾張への行幸の際にも同行した。持統天皇は天智天皇の娘であり、天武天皇の奥方でもあって、高市連黒人は人の世の栄華、悲しみを読んだことで知られる。

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