パキスタン旅行🇵🇰
こんばんは🌙
ただ今中国を3回乗り継いでパキスタンの首都イスラマバードに来ております!宜しければご覧下さい☺️
パキスタンはどんな国?
イスラム教を強く信仰する南アジアの国です。パキスタンが独立してから20世紀半ばまで首都は南部のカラチでしたが、異常な暑さや他の都市との距離が離れていることを理由に首都がイスラマバードに遷移しました。
治安もそこまで良くはないと思いますが、何よりテロの発生率が非常に高い国であるため特に人の集まる場所では警戒する必要があります。
1日目 まるでミッキーマウス
座席が通路側だったので画像があまり鮮明ではありませんが、パキスタンの様子が見えてきました。稲作をしているのか、はたまた土の死んだ田畑なのかここからだとあまり見分けがつきません。
ということでイスラマバード到着です!
ウルドゥー語かっこよくてめっちゃ好きなのでめちゃくちゃ興奮します🥴
インドネシアやマレーシアでは私服に円柱型の帽子だけを被り、人によってイスラム教だったりそうじゃなかったり、服装的にも文化的にも余裕のある感じのイスラム教だったのですが、パキスタンはそうではありません。
老若男女ほぼ全員が上から下までイスラム教の民族衣装で着飾り、女性は目元以外を完全に覆うニカブを着用している方が多くいらっしゃいます。
入国審査でmy languageがなんちゃらかんちゃらとセキュリティと激しく口喧嘩している人がいて、初っ端から不穏な空気が流れます。
そんな治安の悪い税関を抜け15カ国目、パキスタンに入国しました🇵🇰いや、怖い怖い!!なんでこんないっぱい人待ってんねん🤣
空港のアライバルゲートは正面左右だけでなく、2階もびっしり人で埋め尽くされています。君たち一体何待ちなんや…
ゲートを抜けてすぐに複数のパキスタン人から両替はどうかタクシーはどうかと声をかけられ、普段なら「要らん消えてくれ」と一蹴するところですが、ここは空港のWifiを使用しても通信環境が悪く、中国で何の役にも立たなかった肝心のesimも無事通信が終了していたため地元民を頼るしかありませんでした。レートとタクシーの相場くらいは事前に調べておくべきだったかもしれません。
🤓「ええか、先にsimカードや。これはできればドルか円で支払う。次に両替とタクシーや。」
👨🦰「おっけー。了解。じゃあ先に両替しちゃおっか。1円=1ルピー、1ドル=250ルピーや!」
🤓「分かってへんやんけ!てかレートおかしくね?100円=250ドルなるでこれ。」
👨🦰「見なさい。これが今日のレートだ。1円=1.87ルピー、1ドル=274ルピーだ。」
🤓「…やっぱおかしくね?」
👨🦰「今円は弱い。ドルを持っているならドルで両替することをおすすめしよう。」
🤓「…じゃあドルでええかぁ。」
正直1ドル=274ルピーの中250で手を打つのはまずまずのクソレートですが、違法にも関わらず一般人に両替せんかと聞いて回るのはリスクがあるので仕方ありません。ちなみにドルは石破茂当選で円高になった日に50万円分換金しているのでまずまず余裕があります。逆に言えば歩く現金状態なのでセキュリティにはめちゃんこ気をつける必要があります。
ちなみにsimカードは街に出ないとないとの事でした。
🧔♂️「キミ、タクシーにも乗りたまえ。市内まで3000ルピー(=12ドル)で送ってあげよう。」
🤓「12ドルやろ?ちょっと高ない?」
🧔♂️「市内までは遠いんだ。40キロくらいかかる。見なさい。私には日本人の友達がいる。だからキミにはビッグディスカウントしたげるって言ってるんだ。」
🤓「(その常套句は胡散臭いでおっちゃん…)」
実はこの直前に市内まで5000ルピー(=20ドル)を提示してきたおっちゃんがいたのと、タクシーの相場も分からない状態だったので渋々彼のタクシーに乗り込むことにしました。
そしてタクシーに乗り込んだ瞬間私のesimが元気を取り戻しました😡
Careem(パキスタンの配車アプリ)「市内まで1500ルピーほどです」
倍くらいぼられとるやんけ!!
そんなこんなでぼったクシーに乗ってパキスタンの中心地にやって来ました。
🤓「おっけー、5000払うから2000ちょうだい。」
🧔♂️「あ、釣り銭ないよ。5000払って降りなさい。」
ク○が死○!!
ぼったクシーに3.3倍のお金を払って到着したのは飲食店や売店などが集まる商業団地です。ただやはりウルドゥー語はザ・イスラム圏という感じでかっこいいですね😎
辺りを散策していると2人の子供が金をくれ食べ物をくれとやって来て、とりあえずお菓子とジュースを2人分買って100ルピーずつあげたところ、もっと金をよこせと子供たちが更にわらわら集まってきてしまいました。
とりあえず適当な飲食店に避難しました。2人のガキんちょが飲食店の中まで入ってきて、店員さんが追い出してくれました。これ普通に豚足かと思っていたのですが、冷静に考えてありえないので多分ヤギソクですかね?
味つけはかなりシンプルな辛さで美味しいかどうかと聞かれたらコメントに詰まりますが、パキスタン料理なんてほぼ食べたことがないのでこういうものだと思い込みながら完食しました。これだけで800ルピー(≒480円)取られたので多分300%くらいぼられてます。
20分ほど経過して店を出ようとしてもなお店の前でずっと待機している子供たちもいて、とりあえず走って逃げてきました。乞食に金を渡すとキリがないです。
Careemバイクに乗ってやって来たのはパキスタンが誇る最大のモスク、ファイサルモスクです。ちなみに8キロくらい走って200ルピー、日本円で120円くらいです。
交通費が安くなるほど初手のぼったくりに心が抉られますが、パキスタンでもバイクの配車が使えるのはありがたいことです。ちなみにタイのGrabバイクと同様乗客はノーヘルスタイルです。
10ルピー(≒6円)支払って靴を預けいざ中に入ります。
イスラム教徒はここからマスジッド(祈祷室)に入ることができるようですが、私は異教徒なので入れません。
ちなみに後日談てすが、パキスタンでは一緒に写真撮ってよと1日20回くらい声をかけられます。マレーシアで写真撮ってよの後に特殊詐欺に遭う事例が2回発生したので最初は警戒していましたが、パキスタンの場合は大抵普通に一緒に写真を撮りたいだけのようです。場合によっては私と写真を撮るために列ができるほどで、ミッキーマウスの疑似体験ができます。
ただ私の顔面は有名な人で言うとオフ会0人のシャムさんに激似しておりかなりアレ(シャムさんに失礼や)なので、写真は好きですがセルフィーを自分から撮ることはあまり好まないです。
アイスを2本食べて、とりあえずチェックインの時間になったので宿に向かいます。
こちらが本日の宿があるBackpackers Hostel Islamabadさんのビルです!クチコミにもあった通り場所がめちゃくちゃ分かりにくいですが、709のインターホンを押してチェックインし、その後自分の部屋番号を教えてもらうという形です。(ゲストハウスとは関係ないマンションの住人が手とり足とり助けてくれました)
写真は撮り忘れたのでないですが、1部屋4つのベッドを共有する形で宿泊費は1日800円くらいです。
宿の近くにはウシみたいな柄のヤギがいて、皆さん食べ物をお供えしたりブラッシングをしてみたり、まるで神仏化しているかのごとく丁重に扱っていました。
荷物を置いて水シャワーを浴びたら、また別の場所に出てきます。
続いてやってきたのはパキスタン記念館という場所です。
国の統一、そして独立へと導いた人々を称えるために建てられたこの美しい造形物は多くの観光客を集めています。
ここ自体の入場は無料なのですが、裏にある記念博物館という場所が有料で、パキスタン人が大人100ルピー、外国人が600ルピー(≒360円)と6倍の値段が取られます。
モニュメントのライトアップまで少し時間があるので、館内で時間を潰すことにします。
中はこんな感じで撮影はOKとの事です。
パキスタンの独立までの軌跡や、偉人たちの功績が等身大のモデルで解説されています。
博物館を出るとちょうどライトアップされていました。幻想的な感じでいいですね。
ということで暗くなってきたので帰ります。中央分離帯に植えられた木々がパキスタンの国旗にも使われている緑と白でライトアップされていて綺麗です。
Careemバイクが捕まらなかったので野良のバイク(定額500ルピー)で帰路についたのですが、ホテルの場所が少し入り組んでいるので「ここから歩いていくからこの辺でOKですよ。」と言ったものの
「いいや、ちゃんと宿まで送り届けるよ。これが俺の責務だから。」
とかっこいい一言を浴びせられて、ちゃんと宿まで送ってもらいました!
この後ホテルの地下一階にある怪しいレストランで夕食を食べたのですが、とあるマンションの住人が一緒に食べようぜと誘ってくれて、なんと夕食代まで支払ってくれました🥹
ここはめちゃくちゃ美味しかったのでまた明日も来ます😋
ちなみにセルフィーをめちゃくちゃ撮ろうよと声をかけられることに加えてもうひとつ、主に若い層から"Hi Chinese, 你好"とめちゃくちゃ声をかけられます。これも今日1日で50回くらいは言われました。
これに対する私の返答は決まって"你好!"です。東アジア人の圧倒的大多数は中国人ですから、向こうも私が日本人だと知っていながらわざわざ中国語で話しかけてきている訳ではないでしょう。そもそも私は中国人に間違えられようが北朝鮮人に間違えられようが特段不快には感じませんが、ここでわざわざ「ワシは日本人や気をつけろ」と指摘するのもせっかく挨拶してくれた彼らの気持ちを無碍にすることになるので、ここは素直に挨拶を受け取っておくのがベストではないかと思います。
2日目 野良タクシーはク○
起床し、1キロほど離れたレストランで朝食を摂ります。メニューはパラダ、オムレツ、チャイで250ルピー(≒150円)です。ハエの量がやばくて神経質な人には難しいかもしれませんが、ちゃんと正規の値段で提供してくれるので気になった方は行ってみてください!
イスラマバードの観光地というと昨日行ったイスラマバード記念館とファイサルモスク、あともう1箇所あるのですが、そこを回るともうほとんどやることがなくなります。
とりあえずせっかくなので何の変哲もない住宅街をプラプラしてみます。
うーん、この辺は普通に中流〜上流の人達が住んでいるエリアのようですね。あまり見たかった光景とは違いますが、全体的に街が荒廃しているパキスタンにも治安の良さそうなエリアはあるということですね。
続いてパキスタンを誇る最大のモール、Centaurus Mallにやって来ました。モール部分は屋根が波打つ形をしているところだけで、後ろのタワーは①オフィスビル②ホテル③マンションに分かれているそうです。
とりあえずモールに入ってみます。
…そうですね、普通のショッピングモールです。特段買うものもなかったですが、3階に1ドル=275ルピー手数料なしという高レートで両替ができる場所があったので100ドル分両替しました。各レートがイマイチ分かりませんが、パキスタン-アフガニスタン国境ではドルとルピーの両方で両替ができるようなのでルピーは少し余裕を持って両替しておきます。
続いてモールから野良バイタクに乗って最後の観光名所Daman-e-Kohにやって来ました。
Careemのバイタクは安くて良いのですが、登録台数が少ないためかあまり見つからないのが欠点です。交渉の結果400ルピー(≒240円)で連れていってもらうことになったのですが、現地に到着してからやっぱり500くらいは払えと言い出したので無理矢理400だけ渡して入場しました。
端的に言えばここは自然公園のような場所です。短いウォーキングコースをぐるっと一周散策できます。お猿がたくさんいて少し狂犬病が怖いくらいです。
そんなこの場所がイスラマバードの有名観光地として名を連ねている理由は、イスラマバードの街を一望できるからです。
ただここめっちゃ山の中なので、逆に遠すぎてよく分からんというのはあります。
帰りにCareemを使って帰ろうと思っていたのですが、山の中すぎて電波が全く通じないので野良タクに声をかけたところ、こぞって1200だの2300だのとふざけた値段をふっかけてきたので電波が戻るまで歩いて下山します。
30分ほど歩いたところでライダーが危ないから乗ってきなと声をかけてくれて、もう半分くらいは下山してましたがお礼に300くらい渡すかと思いながらお言葉に甘えて乗っている最中でした…
「800だ。」
「は?」
「800ルピー払え。」
普通に良心で乗せてくれたと思っていたので、わざわざ「無料ですか?」と聞くのも野暮だと思い値段については黙っていましたが、普通にぼったクシーでした。
パキスタン、外国人なんだからこれくらい払えよと思って値段を設定してるのかもしれませんがタクシー運転手のク○率は異常です。野良タクで唯一トラブルがなかったのは昨日の夜に送ってくれた彼くらいです。
そんな感じで降ろされたのはtreck 5「ハイキングコース5番」が領内にある謎の厳重な検問所の前でした。
ぼったクシーの兄さんが検問所を潜ろうとしたら「ダメだ。あっち行け!」みたいな感じで弾かれていて、今度は野良タクを下りて私が1人で入ろうとしたのですが「お前もダメだ!別の場所に行きなさい。」みたいな感じで弾かれたので、(勝手に降ろされたので別にtreck5に行きたい訳ではなかったですが)仕方なくUターンしてとりあえず帰ろうと思っていたところ、さっきのぼったクシーの兄さんが
「(今なら行ける!急げ!)」
みたいな感じで私の手を引き、セキュリティのいない出口側から検問所を突破しました。「treck5を楽しんで」と言い残し彼はセキュリティの目を盗んで消えていきました。
いや、普通にヤバいやろ🤣
検問所を突破したあとの道路案内を見ると、外務省や各国の大使館が集まっているエリアで、Google map上のエリア名も"Diplomatic Enclave"(≒外交用の包括地)となっていました。
やべえ、スパイ容疑で捕まっちまう…
私も少し時間をあけて、あたかもそこの人間であるかのように毅然たる態度で出口を抜けました。…そしてなんとか声をかけられることなく出ることができました。危ねぇ、、
そしてCareemタクシーで帰路につき、今日も昨晩奢ってもらったホテルの地下にある美味しいレストランで早めの夕食を食べます。ナンと麦のペーストみたいなのは美味しかったのでおかわりしました。
場所が場所なので見つけにくいですが、Backpackers Hostel Islamabadのあるビルの地下の廃墟みたいな場所に位置している凄く美味しいお店なので、イスラマバードに来たらぜひ寄って頂きたいです。
中国に帰りたい人
明日はペシャワールに向かうので早く寝ようと思っていた矢先でした。どうやら今日は昨日とルームメイトが少し入れ替わるらしく、新しい宿泊者が入ってきました。東アジア系の若い男性で、ワンチャン日本人かと思いながら一応英語で声をかけてみます。
"Hello, where are you from?"
"I'm from China. And you…?"
"I'm Japanese."
中国人だと期待していたのか、少しショックそうな感じでしたがパキスタンに来た経緯などを翻訳機能や英語で簡単に教えてくれました。
「留学でパキスタンに来たんだ。ほら、パキスタン物価が安いから留学にもお金がかからないと思ってね。」
「確かにの。」
「でも、パキスタン俺には合わなかったんだ!パキスタン人は優しいけどすごい宗教的でなんか怖いし!東南アジアとかも行ったけど全然違うやん、中東みたいな感じ。早く中国に帰りたい!」
確かにそれは真理です。私もインドネシアやマレーシアに行ってイスラム教のことをある程度理解したつもりになっていましたが、実際パキスタンに来て初めて抱いた感情は「怖い」でした。
文化や服装から滲み出る圧倒的なイスラム教の圧、通りすがりに私を見ながらアッラーの告白文を唱えるご老人、言い方は失礼かもしれませんが、この国は東南アジアのイスラム国家と比べるとイスラム教に支配されすぎています。
「それで、なんで中国に帰らないの?」
「ほら、中国人が2人殺害された事件知ってる?」
この時思い出せなくて知らないと答えてしまいましたが、翌々ニュースを見たらカラチで起きたテロについて思い出しました。
「この事件があったから、中国当局は保安上の問題で10/17までパキスタンから中国に何人たりとも入国することを許可していないんだ。」
なるほど、国民も帰れないのは可哀想ですが、テロ対策をしっかり講じているという意味では感心できるかもしれません。加えて、私が中国でトランジットして入国審査でパキスタンに観光目的で行くと言った時に鼻で笑われた理由に関してもようやく繋がった気がしました。
「一刻も早く中国に帰りたい、、パキスタン怖い、」
早く中国に帰れるといいですね。日本やカナダにも出稼ぎを考えていたが、今回の件を受けてちょっと海外移住に自信がなくなってしまったそうです。まあ、最初の海外移住がパキスタンというのは中々というか、めちゃくちゃハードモードかもしれないですね😂幸運を祈ります。
ちなみにウルトラマンセブンアイコンの彼とはインスタを交換したので、もし良かったら私の8人しかFFがいないインスタアカウントのフォロー欄から励ましてあげてください😇
バックパッカーズホステル今回が初めてでしたが、他のルームメイトのポーランド人の方や地元民の方とも仲良くなれたりして、色んな人と交流できるのは結構楽しかったですね。
3日目 凶悪都市ペシャワールへ
朝になりました。今日はアフガニスタンへの入り口、パキスタンの第六都市ペシャワールに行くため、Careemタクシーでバス停へ向かいます。
ということでやって来たのはDaewoo Express Islamabadというパキスタンで1番デカいバス会社です。
🤓「どうも。ペシャワール行きのチケットを買いたいのですが。」
🥸「今日はもう全部売り切れだ。」
🤓「そうですか、ちなみに明日はどうです?」
🥸「そうだな、12時半なら行けるが、ちなみにパキスタンの電話番号は持ってるか?」
🤓「持ってないんですよ…esimなもんで。」
🥸「そうなのか、パキスタンの電話番号がないとな、システム的に予約ができないんだ。」
🤓「そうなんですね…別のバス会社を探してみることにします。ありがとうございます。」
ということで残念ながらチケットが取れなかったので、近くのレストランで朝食180ルピー(≒108円)を食べ別のバス停に向かいます。
ちなみにこのバス停は街の中心からかなり離れた場所にあるので結構な無駄足でした😇
Careemバイクが使えなかったので代わりにタクシーを配車したのですが、野良バイタクと交渉した結果500ルピー(≒300円)になったのでキャンセルしてバイタクで移動します。
写真がありませんが、次に来たのは街の中心にあるミニバスの会社、Motorway Expressです。英語が堪能で親切なおじ様(店員さんかお客さんかは不明)が通訳してくださって、約7時間後の17:30初のバスなら空いているとのことでそちらを予約しました。料金は1400ルピー(≒840円)です。
ホテルはチェックアウト済みで大きい荷物を背負っている、次の予定まで時間がある、こんな時に最良の行先は決まってショッピングモールです✋
モールの開店が11時からなので30分くらい外で適当に時間を潰しました。
ちなみに今日は日曜日で、一昨日夕食を奢ってくださったおじ様曰く何もせずにゆっくりと過ごす日らしく、ショッピングモールにはほとんど人がいません。モールの開店とほぼ同時くらいに入っているからというのもありそうですが、飲食店もやってるのかやってないのかよく分かりません。
とりあえず何もせずに座っているのも申し訳ないので、空いてそうな店を探して適当に頼みます。チキンビリヤニ324円、トルコアイス(ストロベリー)234円の計558円です。
トルコアイスは普通に久しぶりに食べたかっただけなのですが、お決まりのパフォーマンスもちゃんとやってくれました🤣
モール内には英国紳士のモノマネをする人もいたりして、中々和やかな感じです。
時間になりそうなのでバス停の近くにあったローカルレストランで夕食を食べ、いよいよペシャワールに向かいます。
チケットオフィスからの景観はこんな感じです。普通に1オフィス分くらいの駐車場にバンをうまく出し入れしていて、全くバスターミナルという感じではないですがここで合っているようです。
17時30分発なのですが25分くらいになってもチケットに書いてあったナンバーのバスが現れず、一応直近で出発しようとしていたバスの近くにいた人に「これペシャワール行きじゃないですよね?」と尋ねたところ、「ペシャワールやで。」と言われたので急いで乗り込みましたいや危ないな!
バスに乗り込んでから気づいたのですが、名前を口頭で伝えたので名前の始まりがドゥエになっててちょっと笑いました😂
高速道路らしき場所で一旦停車し、トイレ休憩かと思ったら礼拝休憩(?)でした。祈祷できるスペースは街の至る所にあります。
到着しました、こちらがペシャワールです。実はここ、日本の外務省が危険度MAX退避勧告を出しているとんでもなく危険なエリアでもあります。カメラの補正で若干明るくなっていますが、普通にめっちゃ真っ暗です。こうなるから本来早朝のうちに出発しておきたかったのですが。
ちなみにペシャワールに入って私のesimはまた死亡しました。深夜の危険地帯でデジタルデトックス気持ちィィ!!
そんな戯言はさておき、兎にも角にもタクシーを見つける必要があります。しかし時間も時間なのでバスターミナル周辺には1台もタクシーがいないという絶望的な状況に陥ります。
👩🦰「あなた何人?」
同じバスに乗ってペシャワールまでやって来た恐らく中国人の女性が話しかけてくれました。
🤓「あ、日本人です。」
👩🦰「日本人?!えっと、ペシャワールは初めて?どこに行こうとしてるの?」
🤓「初めてです。Comfort inn Hotelっていう場所に行こうとしてるんですけど、タクシーも来ないし通信もないので万事休すって感じです、、」
👳♂️「住所を見せてみなさい、なんとかできるかもしれない。」
そう言って1人の男性が英語で書かれた私のホテルの予約確認ページを解析してくれたのですがよく分からなかったそうで、すると周りにいた10名くらいの男性達が全員集まってきて、みんなで協力してあれやこれやと話し合ってどうすればいいか考えてくれました!ほんまありがとうございます😭
👳♂️「俺のバイクの後ろに乗りなさい!とりあえずタクシー乗り場まで送ってあげよう。」
🤓「ありがとうございます!ちなみにいくらくらいで送ってくださいますか?(野暮)」
👳♂️「そうだな、500か600くらいじゃないか?」
🤓「分かりました、お願いします!」
そうして走ること10分、大通りのタクシー乗り場まで送ってくださいました。そして更にはタクシーの運ちゃんとも交渉して下さり、600ルピー(≒360円)でホテルまで送ってくださることになったそうです。(Careemだと1000ルピー(≒600円)くらいかかる距離だったので凄くありがたいです。)
🤓「ありがとうございました!すみません、今手持ちが1000ルピー札しかないので、お釣りとか持ってたりします?」
👳♂️「ん?何を言ってるんだ、金はもう払っただろ?」
🤓「いえ、タクシーの600ルピーは払いましたけど、あなたにも600ルピー払うという話しでしたよね?」
👳♂️「え、ああ、600っていうのはここから宿までの値段で、俺は別にいらねえよ。」
🤓「!!」
彼は完全なボランティアで送ってくれただけでした😭本当に助けられてばかりや…!!
そんな感じでタクシーに乗り換え宿に向かいます。もう午後21時頃ですが、子供たちや女性も普通に出歩いていてあまり危険という感じはしないですね。
タクシーの運ちゃんも私が日本人だと分かると、日本人は友達だとかなり機嫌の良さそうな感じで色々教えてくれました。実はこの場所、医師でありながらアフガニスタンで幅広いジャンルの人道支援を行っていた中村哲さんが幅を利かせていた地域だそうで、かなり日本人に対する印象が良いらしいです。先人たちに感謝を。
タクシーを下りて宿に向かう途中も、彼らは目が合う度に「ハロー」「你好」と挨拶をしてくれます。
宿のチェックインが21:00まで、更にはペシャワールは治安の関係で外国人の宿泊を断る宿が多いという事前情報を得ていただけに70%位の確率で宿を求めて深夜のペシャワールをさまよう羽目になるかと思っていましたが、実際宿のチェックインはなんの問題もなく済みました。
こちら今回の宿、Confort Inn Hotelさんです!
個室、個別のトイレ(ただし和式手動)とシャワー(ただしお湯なし)付きで1泊2000円くらいです。
4日目 ペシャワール旧市街
おはようございます☀️
午前8時、宿を出るとホテルの方が「朝食連れてったろか?」と近くのレストランまで案内してくれました。このメニュー、昨日も一昨日も見た気がしますね。多分パキスタンの定番朝定食的なヤツです。
今日のうちに済ませておきたいことがあったので、とりあえず野良のトゥクトゥクに乗ってそこまで向かいます。500ルピー、ぼったくられてますね。
ここからカメラ禁止なのでしばらく写真がないのですが、やってきた場所はコンスリット・ゼネラル・オブ・アフガニスタンです。つまりペシャワールのアフガニスタン領事館です。
検問所のような場所があり、そこをくぐろうとすると目的を聞かれます。
「アフガニスタンのビザを取得するために来た、」そう答えると中に入れてくれます。
少し進むとConsulate general of Afghanistanの標識が現れるので、そこに向かいます。外国人がこの領内に入る理由は大抵アフガニスタン領事館に訪れるためなので、多分フラフラ歩いてるだけでもおっちゃん達が手招きをして呼んでくれます。
しかししまったとおもったことが1つあり、事前に日本で取得した証明写真を大きいカバン(宿に置いてきた)に忘れてきてしまいました。
ただ写真を忘れたと言うと、おっちゃんの1人がスマホで写真を撮って「これでええで。」と言ってくれました。いやちょっと雑で心配なるで🤣
ビザの申請には事前に取得したアプリケーションフォームも必要になるらしいのですが、こちらも800ルピー(≒480円)支払ったら向こうで用意してくれました。
待っている間に向かいのパキスタン兵の方に呼ばれて、どの国に行ってきたの?とか、パキスタンはどうだった?とか色々聞かれたり、私も私でせっかくなので色々質問させて頂いたりして中々充実した時間を過ごすことが出来ました。
途中でドイツ人ボクサーの方もアフガニスタンビザの申請をしにやって来て、お互いの旅の体験について話し合ったりしていました。彼はタイの大会(ダジャレ)で勝った賞金で海外旅行をしているらしく、ただ宿を確保するお金まではないのでテントを持ち歩いて野宿をするタイプの生粋のバックパッカーでした。
ペシャワールでも野宿を試みたのですが、警察に止められて一般市民の家に泊めてもらい、オマケにムスリムの服まで頂いたそうです。すごい饒舌な方だったので、旅におけるコミュ力の重要性を再確認した瞬間でした。
そんな感じで100ドルを支払い、ゲットしたこちらがアフガニスタンビザです。
①アフガニスタン領事館が正常に機能している
②国境が正常に機能している
この2つの条件をクリアしないとアフガニスタンには入国できないので、とりあえず第1段階はクリアという感じです。Bappa Shotaさんが友達?実質的なガイドを引き連れてアフガニスタンに渡航する動画をタイムリーにアップロードされていましたが、今回私は完全な個人旅行でアフガニスタンに挑みます。
近くにペシャワール博物館があったので歩いてやってきました。入場料は500ルピー、写真を撮るなら追加で500ルピーということで計1000ルピー(≒600円)です。結構高いです。
博物館に入るや否やパキスタンの学生達に囲まれ、色々聞かれたり、逆に俺らはなんちゃら学部でなんちゃらを学んでるんだと教えてくれたりしました。ちなみにパキスタン英語は癖が強すぎてよくわからないです🤣
現地の学生料金が20ルピーだったらしく、私が博物館の入場料に500ルピー払っているのを見て、なんでそんなに払ってんねんと見兼ねた学生さんの1人が10ルピーくれました😇
博物館の内部構造はこんな感じです。正直博物館系はあんまり好んで来ない派なのですが、結構仏教系の展示物が多くて嬉しい気持ちになりました☺️
続いて、歩いて近くにあるショッピングモールにやって来ました。
中はこんな感じです。空間はめちゃくちゃ広いのですが、節電なのか停電してるのか、2階はボチボチ電気が消えていて、3階以降はほとんど電気が付いていないです。
どんなお店が入っているのかと色々回ってみたのですが、飲食店などはほとんどなく旅行会社や金融系の企業が多い印象でした。しかも海外チェーンの店舗はあまり見かけず、ほぼ地元のチェーンないしは個人経営のお店が多い印象でした。私が思っていたショッピングモールとはかけ離れています。
入り口で売っていたブルーベリーシェイクを飲んで次の場所に向かいます。ここで初めて、ペシャワールで最もメジャーな配車アプリinDriveを使用します。バイタクが使えて、値段は3.4キロで130ルピー(≒78円)です。
イスラマバードでもめちゃくちゃいたのですが、アプリから手数料を取られるのを防ぐために「キャンセルしてこの番号に電話してください」と言ってくる輩が沢山いて非常に面倒です。イスラマバードだと半々くらいでしたが、ペシャワールだと3/4くらいは手数料くすねマンを引き当てます。
しかしペシャワールではほとんど英語が通じないので、電話をしても会話が成立しないと大抵向こうからキャンセルしてきます。
今回最終的にマッチしたドライバーからも電話がかかってきましたが、会話が成立しないと分かると普通にアプリ経由で迎えに来てくれました。ただし現地に到着すると、ウルドゥー語で何を言っていたのかよく分かりませんが多分「追加料金を払え」的なことを5分くらい言ってきて、最終的に向こうが諦めたので大丈夫でしたが若干トラブルになりかけました。
そんな感じで向かった先はこちらです。麻薬密売の温床、治安の悪いペシャワールでも最も治安の悪いと言われるペシャワール旧市街です!
街は非常に荒廃しており、もちろん車やバイクは走っているのですが、それ以外を見る限りは非常に時代に取り残された街であることが伺えます。
画像や動画からも少しわかると思いますが、排気ガスやほこりが凄く視界は悪めです。
最後に謎の要塞のような建物を見学して帰路に着きます。そもそもどういう建物かよく分かっていないですが、とりあえず観光地っぽい見た目をしておきながら一般公開はされていないそうです。
とりあえず疲れたので早いですが1回寝ます。
裏路地でカツアゲ…そして
午後8時、明日に向けて早めに睡眠導入剤を飲んで就寝していましたが、突然のノックに目を覚まします。
🤓「はいはい?」
👳♂️「やあ君、今日どこのバザールに行った?」
🤓「うーん、名前は分からないですけど、写真ならありますよ。」
👳♂️「ああ、ここか。他のバザールには行ってないんだな。」
🤓「そうですね。」
👳♂️「オッケー。」
なんの確認だったんや🤣
しかし1度目が覚めてしまうと寝付けない体質なので、午後9時とりあえずどこかで夕飯でも食べようと近くのレストランに入ります。これが恐怖への入り口でした。
レストランに入ると、5人の若者たちから一緒にご飯を食べないかと誘われます。お言葉に甘えて混ぜてもらい、かなり和やかな雰囲気で食事をしていました。
お会計でお金を払おうとしたのですが、グループの代表格的な存在の人から「いいよいいよ。大事なゲストからお金は取れない。」と断られますが、私も負けじと(?)財布を取りだします。
すると先程の代表格が私の財布をサッと取り上げ、中身を確認して1000ルピー(≒600円)抜いてレストランチーフに渡しました。1000ルピーはパキスタンだと4人分くらいの食事料金に該当します。ウルドゥー語で何かを話し合い、私を見てニヤニヤしています。
何事も無かったように店を後にしますが、先程の代表格が私を路地裏に呼び出しました。
👳♂️「なあ、もう1回財布見せてくれよ。」
🤓「なんでや。」
👳♂️「いいだろマイフレンド。警戒すんなよ。」
🤓「なんで財布が見たいんや。」
👳♂️「日本円とか持ってるだろ?興味があるんだよ。」
私はバッグの中で財布の小銭入れを漁り、100円硬貨を取り出しました。
🤓「これが日本円や。せっかくやからプレゼントすんで。」
👳♂️「もっとでかい金出せよ。今日ご馳走してやったんやから当然だろ?」
🤓「ワシの財布から1000ルピー払ったの知ってんで。」
👳♂️「分かった、パキスタンルピー半分くらい寄越せ。いっぱい持ってんだろ?」
🤓「それはただのカツアゲやろ!」
そういうと私はホテルに向かって逃げますが、向かった先にはリーダー格を除いた4人組がいました。
🤓「…!!」
👳♂️「なあお前、今日あったことは誰にも言うなよ。」
🤓「…分かったよ。」
どうやら彼らも私と同じ宿の宿泊客でありながらカツアゲ自体はリーダー格の単独行動だったらしく、他の仲間に告げ口されないよう口止めをされたようでした。
👳♂️「今日撮ったビデオあったろ。あれも全部消せ。」
リーダー格が進んで自分を含むメンバーの自己紹介動画を私の携帯で撮影していたのですが、それらも全て(写真から消された後に削除したファイルからも削除させられ、完全に)消されてしまいました。
ペシャワールの人は親切です。ただ失礼ですが、イスラム教を特に忠実に遵守する民族であるがゆえか単なる貧しさゆえか、優しさの裏に排他的な悪意というか、常に誰かに狙われているような、そんなピリピリとした空気感があります。イスラマバードとはだいぶ毛色が違います。外務省もペシャワールには退避勧告を出している通り、大袈裟かもしれませんがここにずっと滞在していればいつか誰かに殺されてもおかしくはないような気さえします。
翌日、部屋を出てからタクシーを捕まえるまでの間に何かある可能性も否めないので、特に警戒して行動しようと思います。
最終日 カイバル峠を超える
午前6:00、早いですが宿をチェックアウトし、昨日の朝に食べた場所でいつものメニューを食べ目的地に向かいます。
目的地はカルカノマーケットです。もうちょっと和気あいあいとした場所を想像していましたが、実際来るとほぼスラム街のような混沌とした場所です。
今回はinDriveバイタク360ルピー(≒216円)を利用してここまでやってきたのですが、私が3日間しかペシャワールにいなかったと言うとめちゃくちゃ街について説明してくれるので、「ああ、これはガイド代払えとか言われるパターンだな」と思っていたら、「君はゲストだからお金はいらないよ」と、ペシャワールの人はよく分からねえな😇(もちろんちゃんと払いました)
バイクを下りるとカイバル国境行きの10名ほどの乗り合いタクシー運転手に揉みくちゃにされ、バイクの運ちゃんが丁重に扱えと私を守ってくれました🥺乗るタクシーが決まると、元気でなと固い握手を交わして運ちゃんとお別れします。
乗合タクシーなので4人のタクシーメイトがいます。4人乗りのタクシーに運転手合わせて5人乗った時点で出発します。
「君、どこから来たの?」
若い男性が話しかけてきました。
「日本だよ。」
「日本か!アフガニスタンに行くんだよね?」
「そうやで。」
「そうだ、カイバル峠を超えるまで長い道のりになるけど、飲み物とか持ってるかな?」
「持ってへんわ。途中で買えたりせえへんかな?」
「それはやめた方がいい。カイバル峠はとんでもなく治安の悪い場所だ。ちょっと待ってて。ただの水とかで大丈夫かい?」
「ああ、ありがとう。お金渡すわ。」
「あのね、ゲストに対しておもてなしをするのが俺たちパシュトゥーン人の文化なんだ。君はゲストだ。ここでゆっくりしていてくれ。」
そう言うと彼は水とペプシを買ってきてくれました。
「ありがとうやで。ちなみに君たちはなんでアフガニスタンに行こうとしてるの?」
「実はアフガニスタンで身内が亡くなってね。葬式さ。実は俺らもアフガニスタン初めてなんだぜ。ちなみに前の席のおっちゃんが俺の父親だ。」
👳♂️「やあ。」
それから少し経過して、白ひげのおっちゃんが加わったところでカイバル国境へ向けてタクシーが出発しました。
これが非常に残念なのですが、私は後部座席の真ん中に座っていたため1枚もカイバル峠の写真が撮れませんでした。しかしカイバル峠は非常に複雑で学びのある場所であり、言葉でしか説明できない状況にもどかしさを感じますが、ぜひ聞いて、そして危険を顧みず行ってみたいと思うのであれば私の代わりに写真を撮ってその現状を発信して欲しいと思います。私もあまり同じ場所を何度も訪れようと思うタイプではないのですが、この場所だけはもう一度訪れたいと強く思っています。
カイバル峠の闇
有名なカイバル峠の入り口に差し掛かると、先程の若い方がカイバル峠の歴史や現状について色々と説明してくれました。
「カイバル峠はイギリスとパシュトゥーン人との激戦区だ。イギリスがアフガニスタンを保護領にすることを決めて、それから道路が整備されたんだ。パキスタンとアフガニスタンを繋ぐ、唯一の道路さ。」
「ここは鉱石資源が豊富な地域で、タリバンを含む色んな勢力がこの地を求めて争ってきた。」
「この地はパキスタン政府の統治が及んでいない。だからパキスタンの国民が享受できるものをここの人間は享受できない。それで2ヶ月前に大規模なデモがあったんだ。あの人は自分達の意見を国に認めてもらうために、もう2ヶ月間もずっと座り込み運動をしている。」
「あれを見ろ。子供たちは学校に行くため、毎日崖を下って降りたり、危険な高所を渡る必要がある。」
「あそこには作りかけの幹線道路がある。でも第二次世界大戦を機に工事がストップされ、もう何十年も完成していない。」
「ここで何が売られているか分かるか?コカインだ。この通りでは全てがコカインショップだ。政府が関与してないから、アフガニスタンから密輸された薬物がそのまま売られている。」
泥でできたボロボロの家、ただの岩肌や壊れかけた細い橋の鉄筋を渡る子供たち、何ヶ月もデモを続ける人々、私は未だかつてここまで過酷な環境で生きる人々を見たことがなかったため、本当に文字通り言葉を失いました。
2時間半程のドライブを経て、パキスタンとアフガニスタンの国境、トルカム国境に到着しました!
若い方とそのお父様は本当に良く面倒を見てくださって、私の両替や気をつけることなど色々と手伝ってくださったり、教えてくださったりしました。
「まあ、外国人はなんの問題もなく国境を通れるさ。心配はいらない。今アフガニスタンは安全だ。何も気にせず楽しんできなさい。」
その言葉を最後に、私はパキスタンの国境警備隊の方に連れられ外国人だけが通れると思われる特別レーンを通って税関へと案内されました。まだ2人と行動できると思っていたので、最後のお礼は言えずに非常に悔いています。
その後もパキスタン人、アフガニスタン人がぎゅうぎゅうに並んで通っている所を、国境警備隊の方の先導で外国人の私は非常にスムーズに通過することが出来ました。彼には金をせびられませんでしたが、一応お礼として1000ルピー(≒600円)を渡しました。
しかしこの国境の凄いところは、子供たちが大きな袋を抱えてアフガニスタンからパキスタンへ、パキスタンからアフガニスタンへと自由に行き来しているのですが当然違法なので、泣きじゃくる子供のことなど気にせず襟元を掴んで引きずり回したり、例え女の子や普通の大人であっても法を犯すものは容赦なく思いっきり蹴ったり殴ったりすることです。
ここを通過するとアフガニスタン側の入国審査です。
アフガニスタンの入国へはポリオワクチンの経口摂取が必要なので、道中ワクチンカウンターで口の中にワクチンを入れてもらいました。
大抵の人は道端で吐き出したり味のあるドリンクで流し込んだりするそうですが、私は味覚音痴なので素材の味を楽しみながら飲み込みました(?)
途中でタクシードライバーと思われる方と合流し、私を逃がさないように周りの子供たちを追い払ったりして世話を焼いてくれました。
「それで、タクシーいくらなん?」
「3200アフガニ(≒7000円)だよ。」
「終わってんだろ!」
カブールまでのシェアタクシーの相場は500アフガニ(≒1100円)くらいです😇
ということで無事に入国審査が完了したのでアフガニスタンに続きます!
ここまで読んでいただきありがとうございます👋
まとめ
・東南アジアのムスリム国家以上にイスラム教を非常に強く感じる国
・外国人は珍しいのでセルフィーを一緒に撮ろうとめちゃくちゃ言われる
・総合的に人はめっちゃ親切、ただし親切なふりをしてぼってくる奴もいるので警戒は必要
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