新作はファイズではない"気がした"
先日ファイズの正統続編なる映画を観てきましたが、「ファイズらしさ」を感じずかなり微妙でした。
『仮面ライダー555(ファイズ)』は子供の頃に見ていました。
子供の頃に見ていたので話自体は忘れていましたが、大学辺りで何度か見直したのでシナリオはそこそこ記憶に残っています。
特撮の中でもかなり面白い作品だと思いますし、映画パラダイス・ロストはライダー映画で一番好きです。
テレビ版だけでなく本映画の脚本も務められた井上敏樹氏ですが、
ファイズの小説版だけでなく小説「海の底のピアノ」の方も拝読しました。
また暴太郎戦隊ドンブラザーズは特撮の中で一番好きかもしれない作品です。
このようにファイズという作品も脚本家についても好印象を持っており、であれば今回の映画も絶賛して然るべきなんだと思います。
ただどうにもそうする気になりませんでした。
言語化できない「ファイズらしさ」が欠落しているように感じたからです。
ここから先ネタバレ全開ゾーン
まず別に展開単体に文句はないです、そこは問題ではないです。
・巧が最終回直後に死んでおらず割と直近まで普通に生存
・巧がスマートブレインの手先になっている(?)
・真理のオルフェノク化
・オルフェノク体での濡れ場(これはシンプルに感心した)
・北崎と草加が政府のアンドロイドで登場
・パワーアップアイテムを販促する気のない脚本
いや書き出したら割と問題ある気がしてきたな…
というか展開単体だと好きなところもあります。
・助けてもらった恩人を速攻スマートブレインに売る高齢者
・自分だけ助かるために仲間を売るオルフェノク
ここら辺なぜかめちゃくちゃファイズしてる気がしたな…
あと新キャラの胡桃玲菜は結構キャラ立っててよかったですね。
ミューズドライバーちょっと欲しくなりました。
・平時は変身する際に恥ずかしがる→邪魔な敵の前だと平然と変身
・巧を自分のものにしようと画策して失敗した際に潰しにかかろうとするも、結局逃がそうとする
確かにいいところはあったんですが、一方であんまファイズらしくないような気もしました。
「これ井上敏樹の脚本ではあるけど、ファイズって言われると怪しくね?」という思いがひたすら蓄積していきました。台詞回しは井上敏樹だけどファイズではなくね?という思いにも上映中脳裏を占領されてました。
あとデルタの変身者が違う、三原の役者さんまだ活動してるらしいけどなんで呼ばなかったの?最終回でも生存してたから出せたんじゃね?
てかアンドロイドなのはいいけど記憶とかどうなってんの?草加とか完全に意識乗っ取られたけどそれおもろいのか?
(やっぱアンドロイド展開受け入れてない気がしてきたな)
そういえば巧も草加も演技オーバーすぎねぇか、最近の客演全部そうと言われりゃそうだけどさ。
最悪だったのはJustiφ's流しながら旧式ファイズで戦い始めたシーン。
旧式で戦い始めるのはわかってたけどOP流すのは違うだろ、そんなことしないだろこの作品。後は戦うのいつもの工場跡地みたいなところだからイマイチ盛り上がれない。
何がダメなんだ、何が気に食わないんだ、この作品
…
…
…
「ファイズらしさ」というものはいくらでも定義できるかと思います。
ここまで記事を書いてきていくつかファイズっぽいなと評価するポイントもありましたが、これを整理して自分の中でも「ファイズらしさ」を言語化できてきました。
それは「人間」が描かれていることだと思います。
ミスコミュニケーション/嫉妬/執着、さまざまな衝突や和解など人間が必死に生きている様を描いてきたのがファイズの魅力と感じています。
ただ一方で本作はどうか。
途中までは人間ドラマが描かれているような気がしましたが、死人のアンドロイド(生前の意識ゼロ)がラスボスをやり出した途端人間ドラマが消失しました。
これでもしアンドロイドは中ボスでラスボスとしてそれを操ってる人間と戦うとかならよかったのかもしれません。
最後の最後で話の中心に自分がファイズらしさと考えていた「人間」要素が疎外されていたことが判明したのです。
そりゃキレるのも当然なのかなという結論に達しました。
人のファイズ観は人それぞれだと思います。
この作品をあなたが観て「これはファイズだ」と感じても私はそれを否定しません。
ただ私は話の中心に「人間」がないような気がして微妙に感じてしました。
もしここまで読んでまだ映画を観に行っていない方がいらっしゃるようでしたら劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
あなたの感性では面白いと感じるかもしれません。