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熊野木挽き歌

木挽き、という職業がかつてありました。
この国の建物のほとんどが木で造られていた頃、建築現場のあちこちで丸太を鋸で挽いて、板や角材に仕上げていた人たち、それが木挽きさんです。
今ではもう無い職業のようですが、熊野には、その木挽きさんの在りし日の姿をうかがい知ることのできる「木挽き歌」が伝わっています。
その歌詞から、木挽きさんの暮らしの一端を覗いてみましょう。

一.
ハー 木挽きさんたちゃ お国はどこよ アーヒチコヒチコ
国はよー 熊野の 熊野の紀州は 紀州は熊野の
流れ谷 アーヒチコヒチコ
一間挽いても木挽きは商売 挽かねばなるまい ヒチコヒチコ

「流れ谷」:現在の三重県熊野市飛鳥町・五郷町のあたり、大又川流域の村々のことを指す言葉。
「一間挽いても」:木挽きの賃金は、木材を挽いて作られた板の広さに対して支払われた。一間四方(たたみ二畳分)あたりの額で決められることが通常だったらしい。

二.
ハー 木挽きさんというて 名は良いけれど アーヒチコヒチコ
ふして挽くときゃー 挽くときゃふして ふして挽くときゃ 
血の涙 アーヒチコヒチコ
一間挽いても木挽きは商売 挽かねばなるまい ヒチコヒチコ

「名は良い」:木に関わる職業は、先山(伐る人)や木馬[きんま]ひき(山中で運ぶ人)や筏師(川で運ぶ人)など様々あって、中でも木挽き(製材する人)は高給取りだった。
「ふして挽く」:材の取り方によっては、木挽き鋸を寝かせて横に挽かなければならないこともあり、身体を伏せて挽くのは、足腰背中などに負担のかかる挽き方。

三.
ハー 嫌だ嫌だよ 木挽きさんのかかは アーヒチコヒチコ
仲の良い木を 良い木を仲の 仲の良い木を
挽きわける アーヒチコヒチコ
一間挽いても木挽きは商売 挽かねばなるまい ヒチコヒチコ

「仲の良い木を挽きわける」:木挽きは、木を挽いて製材をする仕事で、鋸を背負ってどこの現場へでも赴く出稼ぎ労働タイプの職業。必然、単身赴任になりやすい。この歌詞は、木だけではなく、木挽きさんと奥さんの仲も距離的に引き離されることの喩えか?

四.
ハー 今にあるかよ 坂内深山 アーヒチコヒチコ
木挽き泣かせの 泣かせの木挽き 木挽き泣かせの
モミとツガ アーヒチコヒチコ
一間挽いても木挽きは商売 挽かねばなるまい ヒチコヒチコ

「モミとツガ」:モミは柔らかくて挽きづらいらしい。ツガは逆で、硬くて挽きづらい。これらに対して、比較的、製材しやすいのが杉。

五.
ハー 木挽き 駒鳥や山上の山で アーヒチコヒチコ
里で鳴くさえ 鳴くさえ里で 里で鳴くさえ
聞かせたい アーヒチコヒチコ
一間挽いても木挽きは商売 挽かねばなるまい ヒチコヒチコ

「駒鳥」:ウグイス、オオルリとともに鳴き声が美しいとされる三鳴鳥の一種。繁殖期に山奥の森や渓谷に飛来する夏鳥で、人里で鳴き声を聞く事はない。「人里で鳴きさえすれば、聞かせてあげたいのに…」という歌詞は、里に住む人(女性?)へのメッセージだろうか。

六.
ハー 新宮河原で 昼寝をしたら アーヒチコヒチコ
鮎の瀬のぼり 瀬のぼり鮎の 鮎の瀬のぼり
夢に見た アーヒチコヒチコ
一間挽いても木挽きは商売 挽かねばなるまい ヒチコヒチコ

「新宮河原」:熊野川の河口にある地方都市で、紀伊山地の木材が集まる物流拠点だった。上流から筏師たちが筏に組んだ丸太が新宮へと運ばれ、河原で製材することも多かったため、木挽きさんたちも数多く新宮河原で働いていたと思われる。
「鮎の瀬のぼり」:鮎は孵化したばかりの小さい頃は、海でプランクトンを食べ、成長すると川を遡って、岩に生える藻を食べるようになる。ひょっとすると、山奥の里へ帰りたい木挽きさんの気持ちが、のぼり鮎の夢に現れている?

木挽き歌に見えるもの

以上が三重県熊野市の流れ谷に伝わる木挽き歌です。
山のこと、森のこと、木挽きという職業のこと。
普段は忘れてしまっているけれど、ほんの少し前まで日本人の暮らしの回りには、木に関する職人さんたちがあちこちにいたはずなのです。
木挽きさんも、今はもう居ない存在ではあるけれど、歌を通じてその姿をイメージしてみると、自然から暮らしに必要なものを得てきたかつての日本人の姿まで見通せるような気がします。
熊野は、そんなタイムカプセルみたいなものがたくさん残っている土地なのです。

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