東大院試2回落ち留年の話

夏院試と冬院試を2回受けて落ちたという本当にあった怖い話です。
院試に落ちた後の話はまた後で書くかもしれないです。

合格体験記よりも不合格体験記を読みたい方向けです。人間の怠惰さと愚かさを時系列に見て面白がりましょう。


自己紹介と前提のお話

まずは自己紹介。東大電気系→院死×2→留年(今ここ)。

前提となる話をいくつか箇条書きにします。知ってると便利かも。

  • 東大の情報理工学系研究科の電子情報専攻を夏冬ともに受けた

  • 夏院試は「数学→専門科目→面接」

  • 冬院試は「専門科目→面接」

  • 内部生で院試に落ちる人は例年ほぼいない

  • 夏冬ともに落ちる人は観測範囲内でここ数年いなかった

夏院試~冬院試

夏院試に落ちた8月~冬院試のあった翌年1月をダイジェストでお届けします。

~8月:夏院試落ち

落ちた理由は勉強不足です。これに尽きます。
内部生ということで舐めていました。試験2週間前くらいから準備を始めて、過去問を直前に解きました。

当日の手ごたえは全くありませんでしたが、謎の合格した自信を胸に面接を受けようとしました。しかし、そもそも筆記試験で落ちていたため面接を受けることすら許されませんでした。

合格最低点などは公開されていませんが、得点開示の結果、予測合格最低点の6割程度しか取れていませんでした。

8月の末に夏院試に落ちて落ち込むかと思いきや、「冬院試も受ければさすがに受かる」と考え、舐め腐っていました。5か月後の惨劇のことも知らずに。

9, 10月:院試を忘れて卒論

9月の頭に学科同期の院試合格ツイートが回ってきたときに院試落ちを自覚しました。冬は頑張るぞ~と気合を少し入れた記憶があります。

しかし、すぐに卒論の中間報告書や中間発表があったため、11月まで院試に関わることはなくなりました。関わりといえば、死ぬほど院試落ちネタを擦って笑いを取りに行っていたくらいです。

11月:冬院試を意識し始め

冬院試の勉強を始めました。
基本的なことも出来ていなかったので、2, 3年生の頃の授業を見返すことなどから始めました。

また、冬院試の出願のために研究計画書を書きました。内容は夏院試の研究計画書と卒論の中間報告書を足して2で割った感じです。

12, 1月:院試と卒論の両立

研究をしながら院試の勉強をする日々です。
怠惰だったのでサボる日も多かったですが、図書館で勉強したり、研究室でパソコンと格闘したり、友達と飲みに行ったり、サークルで遊びに行ったりする生活は楽しかったです。
アホですね。もっと必死に勉強するべきだったかと思います。

1月24日:冬院試筆記試験

冬の専門科目の試験日です。冬院試は数学がなく専門科目しかないため、この日の出来が今後数年の生活を決定することになります。
全て勉強した範囲だし余裕かと試験開始直後は思っていました。

しかし終わってみると思ったより出来ておらず、「落ちたのでは?」などと思い始めていました。
しかし「まあさすがに冬も落ちる人間はいないだろう」と思って次の日の合格発表を待ちました。

1月25日:冬院試合格発表

合格発表は居酒屋で友人と見ていました。落ちたと分かった瞬間は草が生えましたね。

冬院試不合格のツイートは夏院試落ちの時よりもさらにたくさんのいいねが付きました。

ツイート後はすぐに担当教員に詫びDMをして、進路相談のアポを取りました。卒論や留年や就活など色々な選択を迫られたのでここからは怒涛の日々が始まりました。

後日談

院試落ち後の進路を選択する上で重要となったのは以下の3点です。

  1. 卒業するのか?留年するのか?

  2. 卒論は提出するのか?しないのか?

  3. 就活をするのか?院試を再び受けるのか?

結論から言うと、「留年卒論提出就活(+院試準備)」という方針になりました。

その理由は書くのが面倒なので割愛ですが、冬院試落ち後3週間ほどは何度も方針転換をして周りに迷惑をかけた気がします。
相談に乗ってくださった方々には感謝です。

最後に

就活が終わって来年から働き始めるという今書いています。
最後に感想を書きます。

浪人も経験していますが、そのときとの違いは「周りが落ちていない」ということです。メンタルダメージが4割増しになります。
しかし、元気に遊んで寝てご飯を食べていると気にならなくなりました。結構楽しかったですね。

院試2回落ちも突然の留年も、長い人生から見たらちょっとしたスパイスのようなものです。今の状況も結構楽しんでいるので、あまり悔いはありません。

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