指導について新たな疑問

"教える側の尺度ではなく教えられた側の成果"

ここに注目することで指導に厚みが出ると私は思っています。

さて前回の記事はこちらです。

指導についてさらに考えてみると新たな疑問が出てきました。

それは「指導で完結を目指すことは必要なのか」です。

例えば緊急時でないときに上司が経験の浅い職員に伝える場面を想像します。

「これはこのように進めて相手を見ながら関わりを考えよう。常に相手の反応が大切。」と言ったとしましょう。

親切に丁寧に関わっている姿が浮かびます。

このように文末まで言い切ることは必要だと思います。疑問はその後です。

指導を受ける側の理解が十分になるまでその場で待つのかということです。

どの職業分野でも共通だと思いますが、様々な業務がある中限られた時間で指導は行われていると思います。

「早く次の仕事しないと今日中にやること間に合わない」

「指導の時間配分難しい〜」

という声がなんとなく想像できます。

実際の本音はわからないですができれば短い時間で指導を終えたいと思っている人もいるでしょう。

私はこの疑問に対してこのように思います。

教えられた側の気づきがあいまって初めて指導の意味がある

ですので上司が経験の浅い職員に伝えることは、いわゆるきっかけなのかなと思います。

教える側は教えられる側が何に困っているのか、何を求めているのかを知る努力が必要。反対に教えられる側はどんな気づきがあるかアウトプットすることが大切だと思います。

【まとめ】

指導は、

◯  教える側の尺度ではなく教えられた側の成果

◯       教えられた側の気づきがあいまって初めて指導の意味がある

◯       教えられる側はどんな気づきがあるかアウトプットする

仕事や教育現場においては人と関わる時間が多く1日の大半がその時間という方もいらっしゃるでしょう。

目的は指導ではなくその先に自分たちの価値を示したり増やしたりすることだと思います。

日々の疑問から考えることを続けたいです。今回はそんな話でした。

ありがとうございます。

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