【ロシア留学】自己紹介 представиться себя、なんでロシア?
Привет!
早速初めての投稿に警告マークがついてしまった…( ノД`)
改めて自己紹介となんでロシアに留学したのか書いていきます!結論、やはりきっかけがあっての決断でした。
自己紹介
現在
法学部をでた後、関東で所謂プラントエンジニアリング業界に就職。最近の楽しみは筋トレと減量、最近の悩みは鼻毛の伸びが異様に早いこと。
なんでまた高校生で海外留学なんかに
かるく生い立ちを語ると、神戸市で生を受け大阪の枚方市で育つ。両親は海外経験などなく、二人とも介護関係の仕事だ。小職も17歳でロシアに行くことになるまで海外になんて出たこともないし、なんなら飛行機に乗ったことすらなかった。なんでそんなやつが留学なんか行くの?ってなるよね
きっかけは中学3年時の出会い
2013年春、当時なんちゃって高校受験を終えた自分は卒業までに残された時間を漠然と浪費ing
「これからなにをするんだろうか」「本気で取り組めるものはなんなのか」
3年間陸上に打ち込んできた中学生活を終えてある意味燃え尽きていた。どう生きるのか、そんな計り知れぬ疑問と不安を抱いていた僕の道程に一本の光が差した ピカルの定理!
それはご近所の知人宅にやってきたメキシコ人留学生だ
(あどけなさやば!!)
彼は高校生で自分よりも2つ上であった。僕が当時驚いたのは、日本語は上手だし、英語もめちゃくちゃ流暢であることだ。いまになっては英語が流暢な人と出会っただけで人生は変わらない(と思う)。勿論当時もそうであったが、だが何にも勝って驚いたのは…
井の中の蛙:世界ってこんなにも広いんだ
でも実際英語ペラペラ、日本語ペラペラの人って圧倒的感ありますよね(笑)彼と出会ってから毎日が一変した大きな要因3つ
①言語の壁はどうしても生じる。ただ分かり合えたとき、また分かり合えずに互いに試行錯誤するとき、そんな時間がとても新鮮で楽しかった。コミュニケーションで苦労することなんて今までにない体験だったからだ(2013年当時のGoogle翻訳は酷かった(笑))。
②価値観・考え方、これはいままで地元の同質的な人たちに囲まれ構築されていた自分の思考回路を吹き飛ばすマッハ5ばりの突風であった。
どうしてそんな風に考えるの⁉どうしてそんな考え方ができるの⁉
自分にはない思考回路が羨ましく、次にどんな球が彼から繰り出されるか楽しみだった。人の考えにここまで興味を持てたのは初めてのこと!
③交友関係。彼と遊ぶことは必然的に他の留学生たちとも交流することになる。彼らも多方面から日本に来ていて、見た目や匂い、話し方まで異なる高校生たちだった。それよりもまず特徴的だったのは皆意見が合わない(笑)。全員一致というシーンは殆どなかった。それでも彼らに共通していたこと、それは夢を語る、母国を語る、何から何まで自分の関心を張り巡らせ思考することだ。そんな人たちと日本で出会えた、外の世界には…この事実に初めて肌感覚で気付いたとき、胸の奥から可能性という波が堰を切る勢いで溢れ出した。
選択の時
僕は前述した理由から彼らを”かっこいい”と思った。だって彼らが何者になろうとも、今彼らはその何者かになろうと努力してるし、将来違った進路になろうと彼らは当時を必死で生きていたからだ。僕はそんな生き方、考え方、環境に魅せられ、自分がどう変わっていくのか、どれだけもがけるのか試してみたいと強くただ静かに燃え始めた。そして高校1年の春、両親を説得し彼らと同じ留学プログラム先に応募する。締め切り間際の応募ですた
なんでロシア
ほんでもなんでロシアなんかに…あんさんケツの毛まで赤いんとちゃいます?とお思いの方
理由はより現実的だ、たぶん
①競合が少ない、つまりこの経験をすることでレアポケモンになれることだ。また、稀有な経験は身を助くと信じていた(笑) 実際問題英語は苦手だったし、英語ができても自分なんかより優れた人はいくらでもいる。なら少し外れたところで、異なるベクトルで様々な経験を積んでみては?同世代が皆ゼロのスタート地点にあるものは?
→ロシアじゃね?(浅っ笑)
②サバイバルだが、これはつまり日本人がいない、情報も全然ない、言語も文化も知らない場所に住むことになったら、嫌でも一生懸命にやっていかないといけないのではないだろうか、またその経験が将来大きな自信になるんじゃないかという仮説である。これは大いに正解であったと今日に至るまで思う。また、お隣の国であるにも関わらず情報が少ないロシアは何か得体の知れない国で、危険な匂いが火遊び的な誘因を放っていた。
(ロシアは留学補助金がでた国で、家計が緊迫していた当時両親を納得させるにもその点が好材料だった…至極現実的理由(^^; )
③最後に美人。これは実のところ高校入学後、留学生との交流が深まるなかであるレディーに恋をしその際語学に対する熱意の変わりようの凄さから閃いた観点だ(笑)。じゃあ美人の多い国だったら永遠活力が湧いてくるだろう!!そんな単純な目論見である(浅いわ!)。しかし、これも、
はい、正解でした。俺ナイス
決断の時
2014年7月、ロシア渡航1か月前にマレーシア航空370便墜落事故が起こった。それ以前からもロシアはウクライナ領土を侵略し、その一部であるクリミアを併合していた。日本はロシアの一連の国家実行に鑑み、ロシアに対し経済制裁を行っていた。そんななかで起こった撃墜事件である。学校からも止められたし、周囲の人たちからも留学を断念するよう迫られた(両親と留学運営団体(AFS)だけは特に何も言ってこなかった(笑))。
ウクライナ東部では実際に戦闘が生じていたし、いつウクライナとロシアが直接兵刃を交えるかもわからない。けれども、そんな有事だからこそ、無力でまっさらな自分が一方の国に行く意義もあるのではないだろうかと考えていた。今日までその意義を模索している。当時民主主義の敵と目されたロシアという国に行って現地に溶け込んで生活する、このような体験は後にも先にもできないであろう、それが今後自分の人生にどのような意義を持つのか分からないからこそ行ってやろうと腹を決め、行く!!絶対行くんだもん!当時周囲に対して強がってたな~と思うし、そう思われていただろう(笑)ちょっと恥ずかしい。 そして出国日へ。
最後に
こういった経緯、観点からロシアに留学しました。どこの国に行くべきか。様々な条件があるからこそ難しい!僕はどんな体験を通して将来どうなりたいか、という観点から勘案したけど、正解はないとしかいえない。これはなににでも言えますよね。けれど後悔するなら自分で決断したことでありたいなと当時の僕は考え、両親も当時そこに関しては配慮してくれていて、今ではすごく感謝しています。
長くなっちゃいましたが以上です!最後までお読みいただきありがとうございます!
次回、そんなオレに何故か生命保険がかけられていた