ドクターフーの未来について

2023/11/05追記.
奇跡の大逆転が起きた.日本のディズニープラスでも世界同時配信に合わせて同日配信されるそうな.素直に喜ばしいニュースだ.いつまで保つか見物ですね.


先日,「ドクターフーの60周年記念エピソードは,日本のディズニープラスでの配信予定がない」と判明し,一躍話題になった.日本のフーヴィアンクラスタは狭い界隈だから,筆者の耳にも当然届いた.今回はドクターフーとはなんたるものか,を紹介しつつ,日本のファンコミュニティが直面する厳しい現実に目を向けてみよう.

ドクターフーは1963年に英BBCで始まったSFドラマで,89年に一度打ち切りの憂き目に遭い,96年にはアメリカ資本を入れてテレビ映画が制作されたものの振るわず,さらなる休眠期を経て2005年に復活を果たした.
以来,クリエイターが交代しながら18年にも渡って継続している,息の長いコンテンツだ.そんなドクターフーは,今年の11月で60周年を迎える.

誰が言ったか,英語圏における「三大SF映像作品」のひとつである.スターウォーズ,スタートレック,と来てドクターフーが並ぶ.これは中国三大奇書と言いつつ,しれっと四つめに封神演義をねじ込むような生意気な態度で,元来の番組コンセプトも手伝って「ちょっと変わり者の親戚」みたいな立ち位置を確立してきた.
まず,「主演が交代出来る設定」が番組の根幹に盛り込まれているのだ.主人公のドクターはタイムトラベルが出来る人型の宇宙人で,死んでも新たな姿に変身する.このインチキ臭い設定のおかげで,堂々と「同じキャラクターを別人が引き継ぐ」わけである.60年に渡って,20人近くの俳優が,物語の連続性を保持したまま,ドクター役を演じてきた.
これが如何に画期的か,そして安上がりか,おわかりだろうか.
スターウォーズの新作で若ルーク・スカイウォーカーを見せたいなら,マークハミルをむりくりディープフェイクで合成するしかない.似てるんだからセバスチャン・スタンを使え!とかそういうことでもない.アイアンマン2で俳優がいつのまにかドン・チードルに挿げ替えられていて,何もなかったように振る舞うようなこともない.
それどころか,現行ドクターの退場・新たな姿への変身・物語の仕切り直し,と,言い方は悪いがお手軽な盛り上がり要素にしちゃえるのだ.次のドクター役は誰だ?と憶測が飛び交い,なんと配役予想で賭けが成立する上に,公式発表は現地では一大ニュースになる.
次のドクター役はセックス・エデュケーションで知名度を得て,直近ではバービーにも出演したシューティ・ガトワだ.ルワンダ系スコットランド人の彼は日本語の表記揺れが激しいので,ここで明確にカタカナ表記を実際の音に近い形で表記しておくことには大いに意味がある.シューティ・ガトワだ.ンクーティでもガトゥでもない.
(余談だが,日本では海外ドラマNaviの記事執筆陣にどうやらドクターフー担当がいるようで,我が国での知名度の割に新記事が多い.たぶん誰も読んでない)

ところでドクターフーはイギリス制作の,比較的低予算な番組なので,タイムトラベル先はしょっちゅうイギリスのどこかだったり,なんだかへっぽこなセットを苦心してそれっぽく未来風に見せたり,と庶民的な親しみやすさがあったりもする.近年は高見えさせる技術が熟れてきたのもあって,うわあショボい!と面食らうことは少なくなったが,番組復活直後の2005年のエピソードですら,本音を言えばかなり悲しいCGが盛りだくさんだ.

紆余曲折を経て60周年に辿り着いたドクターフーだが,昨年ディズニーがイギリス国外の配信権利を獲得した.配信競争の最中ディズニーのコンテンツ拡充の一環で,ドクターフーは「すでに根強いファンがいて,独占的に網羅すれば確実に集客を見込める」お得な作品だったわけだ.
さて,ようやく話は日本の現状に立ち戻る.英語圏のプレスリリースでは「英国以外の各国での配信権を得た」とされてきたが,ところがその各国の中に日本が含まれていない,というのである.イギリス,イギリス以外の国々,ついで第3の区分として日本があるらしい.知らんけど.
とはいえ,実は筆者は正直このニュースに驚かなかった.なるべくしてなった事態と言えよう.読者諸兄に理解していただくには,日本でのドクターフーの視聴環境の経緯を整理する必要がある.

まず打ち切り以前の旧シリーズだが,限られたエピソードが字幕版VHSテープでリリースされたことがある,らしい.テレビ映画もVHSがあるようだ.どういった背景で販売に漕ぎ着けたのか,皆目見当が付かない.後述するが,参入障壁の高さが凄まじいのである.なんらかの奇跡によってまばらに日本語化されたことがある,程度に受け取っていただきたい.

2005年以降の復活版については,NHK教育が1年遅れで,平日夜に吹き替え版を放送していた.筆者はもっと後年に参入したので実感を持って紹介は出来ないが,今の日本のドクターフークラスタで一番元気があるのが,このNHK世代だ.吹き替えの配役にも予算が潤沢だったようだし,ドクターフーが唯一市民権に近いものを得ていたのが,このNHK期である.
NHKが2年ほどで続編の吹き替えを作らなくなり,以降は下降の一途を辿ることになる.

次第にケーブルテレビでの放送に追いやられ,配信サービス黎明期のhuluやNetflixなどが権利を取得し配信された.筆者がドクターフーを視聴し始めたのもこの時期のhuluからだったが,巡り会ったのは運としか言いようがない.あまたある映像作品の中から,それらを差し置いて純粋にドクターフーに新規参入することの珍しさ・難しさは,人に勧める側になって初めて実感させられたものだった.
このときには既に,「日本では,NHK時代のひとびとが最大の顧客層の番組」になってしまっていたのだ.

それでも唯一盛り返す目があった,かもしれない瞬間として,復帰版シーズン5のDVDリリースが挙げられる.当時(海外ドラマ界では)大ブームを巻き起こしたシャーロック,と同じクリエイターがドクターフーを制作したのだ.
(厳密には同時並行というか,シャーロックの未放送パイロット版とドクターフーの制作は半年程しか間が空いていないので,これは日本での文脈に過ぎない.読者諸兄には関心のないことで申し訳ないが,ドクターフーと共に制作され続けたシャーロックへの愛憎入り混じったやり切れない気持ちは筆舌に尽くしがたいものがあるのだ.それぞれの番組でほとんどドクターフーみたいなシャーロック,もはやシャーロックのようなドクターフーを書いたクリエイターへの不平である)

大ヒットしたシャーロックは,日本では角川がコンテンツホルダーだった.DVD/BDやグッズがバカ売れし,レンタルDVDも山ほどあったし,ポップアップストアが都内に出店し,声優による生声当てイベントとか,正直ワケのわからん催しが行われる盛況ぶりだった.
じゃあ同じクリエイターが作ってるんだから,とドクターフーのシーズン5以降もDVDパッケージ化されたのだ.50周年のお祭りっぽさも手伝ったかもしれない.
時間の無駄なのでネタバレすると,売れなかった.全く売れなくてX(旧Twitter)の担当が嘆き,「売れないと次のシーズンが出せないかも〜」なんて懇願する始末だった.

さて,シャーロックとドクターフーの決定的な違いは何か.それは参入障壁の高さである.
もちろんNHK時代の日本語化と比べたら低予算化が激しく,準レギュラーキャラで声優の使い回しが横行するレベルだったり,2014年にもなってDVDのみのリリースで,huluならフルHDでみられるのに誰が買うんだ?といった,世相の移り変わりとクオリティの低下を鑑みるに,
至極真っ当に「このDVDが手元に欲しい」理由が乏しかったのも事実である.
それでも当時・そして今現在においても最も厄介なのが,参入障壁の高さなのだ.
前述したように,復帰版初期は画面がとにかくチープで,目の肥えた視聴者ほどがっかりしてしまうだろう.仕切り直したシーズン5は見やすいし映像クオリティもしっかりしていたが,売り方が悪かった.主演を指して「奇顔系」と宣うプロモーションも看過できない.面白いけど良い意味でも悪い意味でも変化球な作品だし.
いざどこかからか見始めたとして,シーズン5から復帰初期に戻ったり,復帰初期から順番に見るなりするだろうが,さらに網羅しようと思えばドクターフーはその前に30年分の映像があるというのだ.冒頭でも説明したが,同じ主人公の物語が続いているんだから,途中から"しか"観られないのは収まりが悪い.
更に言えば,旧シリーズでは放送当時のフィルムが消失していて,どうあがいても観られないエピソードが沢山ある.それでも頑張って日本語無しで観る旧シリーズ,つまんなくて耐えられないなんてこともザラだ.
筆者も復帰版シーズン5から,8から,11から入れるよ,見やすいよ,とは言うものの,今となっては復帰版だけで13シーズンもある作品をやすやすと勧められないではないか.
テレビ版のスタートレックはフィルムの消失なんかしてないけど,見られるからといって元祖シリーズを全部ご用意されても困るでしょう?多すぎる不親切なコンテンツは,負担になってしまう.

それでも,今度の11月にやる60周年の特別エピソード3本,さらにはそれ以降の新作も見られるよ!ここから見始められるように作ったよ!とディズニーが宣伝するのはわかる.
60周年では復帰版でダントツの人気を誇る俳優がカムバックを果たし,そもそも番組復活を実現させたクリエイターも戻ってくる.日本に限った事情でいえば,NHK世代のひとびとが一番喜ぶ采配ということだ.

振り返るとこうだ.今の日本のドクターフーファンはNHK時代に見ていた層が厚い.新規顧客の取り入れは失敗を繰り返した.番組の性質上,新規参入が難しい.
つまり,新作を見てくれる総数は少しずつ減っていく段階にある.
ドクターフーを知るひとがそもそも少ない日本という特殊な市場で,グッズ展開の実績も無く,DVDの売り上げが悪いのが露呈している.その中で日本語っていう世界規模で見たらごく限られた人数の話者しかいなくて,他言語からの流用が難しい特殊な言語へ,金を掛けて翻訳を充てる…
そんなコストに見合うほど,有料サブスク増加が見込めないのだ.だから日本のディズニーはドクターフーの新作を配信する予定がない.
先細りに次ぐ先細りを繰り返してきたのだから,残念なことだけど,驚きはない.

日本のドクターフーファンは,もう観念して英語で新作を観ていくしかないんだと思う.一気に新規ファンを呼び込めるようなカンフル剤が思いつかないんだもの.
ドクターフーは特殊な事例か?というとそんなこともなくて,今後そういうローカリゼーションが打ち切られる,気付いたら日本だけ無い,っていう作品は増えていくように思う.明日は我が身かもしれないよ.
マイナー作品のオタクのぼやきとして,警鐘を鳴らすことになれば幸いである.

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