なぜ頑張るのか
最近はめっきりモチベーションがなくなっている。
文章書くのはそんなに嫌いじゃないはずなのに、億劫だ。
なんとか更新を絶やさないために、アドレスタジオの宣伝のためのリンクだけ載せて投稿する。そんな意味のない延命術だけを使っている。
昔は通勤の電車内だけで書いていた。しかし今や電車内も、帰社してからも仕事をするようになってしまい、さあ何書こうかと考える暇がない。
別に義務じゃないし、続けなくてもいいのにという言い訳ばかりが頭に浮かんでくる。
自分の日常は起きた出来事だけでは書くには地味すぎる、とか
もう2年半近く書いているし
流石に書くことなくなってきた、とか
おリンの先週のnoteを見たがストイック過ぎて泣いてしまった。面白くなかったから日付が変わる20分前に書いてた原稿をボツにして新たに書き上げたらしい。その捨てたボツ原稿を俺にくれ。
書けなくなったのにはもう一つ理由がある。
昔は、noteを書き続けることで文章力が上がるかもしれないと思っていた。人に自分の書いた文章を読んで欲しいというより、文章を書くこと自体によって、文章力が上がると思っていたのだ。
それが自分の中で、ただ書き続けるだけでは何も伝える力が身についていないと思うようになってしまってから、急にモチベーションが落ちてしまったように感じる。
自分の中には人に書いた文章を読んで欲しいという欲求はなかったからだ。
なぜテキストによる伝える力をつけたかったのか、今となってはよく分からない。
辞めても誰にも怒られないという状況で、それでも何かを書き続けるということを良しとするのか。
目的意識を持って自分が頑張れることを頑張ることにシフトするのか。
でも何を頑張ればいいのかが分からず、ただ書くことをやめることへの怖さがある。
ある意味サボれば殺されるだったり、書いたらお金がもらえるのような動機づけがあれば良いが…
ただふと考えると、僕らのnoteに限らず、習慣化したことというのは必ずこの「これやってる意味ある?」と考えるフェーズが遅かれ早かれ来るのではないかと思う。
ここで特に別のことを始めるでもなくやめてしまったら、よくあるその波に流されて継続できなかった、ということになるだけだ。それ以上でも以下でもない。
でもきっとここを乗り越えれば、どんなモチベーションの波が訪れようと、「まあ前も乗り切ったしやるしかないか」となるだろう。
ここでやめなければやめなかった先の景色を見ることが出来る。
そう思ってやるしかないよね。
おわりに
今週は生糸が担当しました。
二人揃って限界が来ています。
誰かに褒めてほしいですね。
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人間関係苦手、将来不安、でも野心はどこかにある…そんな思春期(Adolescent)の側面を持ちながら年齢だけを重ねた「おリン」と「生糸」がPodcast番組をお届けするスタジオ(Studio)、それがADOLESTUDIO、そういう感じです。
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次回はおリンが担当の予定です。お楽しみに…!