倉科カナコの幸せなひと時
買ったばかりのティーポットに勢いよくお湯を注ぎフタをする。すばやく手元のタイマーをセット。これが鳴る頃にはすてきなアフタヌーンティーの時間だ。わたしはそれを何より大事にしている。
ふとつけっぱなしのテレビに目をやる。午後のワイドショーは大臣が失言したとかなにかで、トゲトゲしい言葉が飛び交っている。その前は女優同士の確執がどうとか、そんなニュースばかりだ。
誰もが幸せになりたくて日々生きてるはずなのに、どこかで掛け違えたボタンがあって、今日もみんなピリピリしている。
わたしも自分の仕事にしっかり精を出して社会に貢献しているつもりだけれど「人と社会に、もっと元気と潤いを」という会社のミッションは、今のところ自分の疲れを取ることぐらいしか実感出来ていない。
タイマーが鳴る。そうだ紅茶だ。ティーポットの中で踊る茶葉を見てわたしは心に去来した虚無を振り払った。焦らずゆっくりカップに紅茶を注ぐ。香りを楽しみ、一口。うん、おいしい。幸せの時間。
みんながこの気持ちを大事にすれば、この世から争いなんか無くなるんじゃないかな。ぶつかることはあっても、紅茶を飲んだら仲直り。そんな、すてきな未来。小娘の戯言。だけど、忘れちゃだめなこと。
わたしは読みかけだった文庫本を手に取り、テレビを消した。大好きな紅茶と共に、しばしフィクションの世界へ遊びに行く。誰にも邪魔されたくない、わたしの大事な時間。
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2杯分の紅茶を飲み干したところで、不意に携帯が鳴る。まるでわたしが飲み終わるのを待っていたみたいだ。
電話の主は上司だった。明るく語りかけてくるが恐らく急な呼び出しだろう。まったく今日は休日のはずだったのに。要件をひと通り聴いて電話を切り、ため息ひとつ吐き出して、食器を片付けた。
それでも、紅茶が温めてくれた心のせいか、むしろ現場へ向かう準備はうきうきと進んだ。自分で選んだ道だもの。がんばらなきゃ。
扉を開ける前に持ち物を確認する。サイフ、携帯、社員証、化粧ポーチ、ククリナイフ、ジェリコ941。そして、午後の紅茶。
エレベーターに乗って階下に降り、エントランスを抜けた路上には上司がすでに待ち構えていた。英国産の年季の入ったサイドカー付きモーターサイクルを操る78歳の女上司だ。わたしは会釈しつつサイドカーに飛び乗った。
「おはようカナコちゃん。作戦要綱は頭に入ってるかい?」
「えぇマリアさん。エレベーターの中でひと通りは。」
「いい子だ。さぁて、楽しい仕事だよ!」
マリアさんはアクセル全開でモーターサイクルを発進させた。
わたしの携帯には派手なデザインの広告ページが表示されていた。見出しは『ティーポットはもう古い!茶葉と熱湯を飲んで胃の中で茶葉を踊らせよう』だ。その後も目眩がするような健康法が続く。まったく、なにを飲んだらこんな手段を思いつくんだろう。
「偶然とはいえ、そいつァ悪魔召喚儀式のひとつだ。バカがひとり死ぬだけなら楽なんだけどね。」
「時間はなさそうですね。急ぎましょう!」
「任せときな!」
唸りを上げるモーターサイクルは首都高に入り、目的地を目指す。心なしかその方角にすごい速度で暗雲が広がっているように思えた。それでもわたしの心に恐れはなかった。愚かで美しいこの世界と、大好きな紅茶を一緒に守れるこの仕事が好きだからだ。
「結界を通過!いつでも撃てるようにしときな!」
「はい!」
真なる平和な午後のため、今はただ!戦う!
それが紅茶鑑定士!
【終わり】
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