Dream with...?
Tempus Fugit
"Sed fugit interea, fugit irreparabile tempus, singula dum capti circumvectamur amore"
(しかしその間にそれは飛び去る。取り返しのつかないほどに時は飛び去る。愛に執着してあてもなく彷徨う間に。)
ローマの詩人ウェルギリウスが、『農耕詩』の中で述べた言葉です。
歩夢の中の「高咲侑」、それは気づかない間に遠くに行ってしまった。
「私だけの侑ちゃんでいて…?」
"愛"に執着していた歩夢は、あてもなく理想を求め、彷徨い続けたのです。
いつの間にか離れていった侑の背中。
それを見た歩夢は、何を想ったのか…
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、第11話の始まりです。
時間が産み出した、「愛」について、「道」について、そして「夢」について、考えましょう。
I Love You.
まず、11話を語る上で初めのテーマ、「愛」について。
高咲侑と上原歩夢の関係性については、今更語るまでもないでしょう。
幼い頃からずっと仲良し。
思い出話をしようと思えば、いくらでもできるような仲です。
その中で育まれた友情、それはまさしく「時間」の産物に他なりません。
しかし、歩夢にとって「侑との友情」というのは、決して澄み切った川のようにサラサラと流れているわけではなかったのです。
「愛が恐れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。」
ニーチェの言葉です。
侑と歩夢の間に生まれた友情、もとい愛というのは、時間が経つにつれ「変化」していきました。
幼い頃は自分と同じ目線に立っていたはずだった侑。
それが、スクールアイドル同好会に加入してからというもの、色々な個性を持ったメンバー達がどうすれば「幸せ」になれるのかを考えた結果、気がついた時には歩夢だけの侑ではなかった。
侑が大切にしたい仲間、しなければならない仲間が増えていく。
愛するべき仲間が増えていく。
「誰か」を愛するのではなくて、「色んな人」を支えたい、役に立ちたい、幸せを叶えたい、そして愛していきたい。
それは、スクールアイドルにときめいて「しまった」侑にとっては1番幸せなことなのでしょう。
侑はスクールアイドルではないからこそ、俯瞰的かつ客観的な目線でスクールアイドルを考えることができるのです。
だからこそ、第3話で核心的な一言を口にしました。
「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それだけでいいんじゃない?」
スクールアイドルというのは、誰かを照らしていく光です。
上原歩夢というスクールアイドルが照らしたかったのは、侑だけ。
それはずっと変わらなかった。
むしろ、愛が変化していったのは侑の方でした。
様々な色の光を見て、歩夢のためのファンではなく、皆のためのファンでいよう。
そう変化していった侑にとっての愛と、歩夢にとっての愛のギャップ。
それが、侑と歩夢の間に横たわる溝そのものであり、この度のすれ違いの全てであると言って過言ではありません。
歩夢にとっての愛は侑だけのもの。
しかし、侑にとっての愛は歩夢だけのものでは最早なくなったのです。
その変化を、歩夢は恐れていた。
...ただ、最初から分かっていた話であったのかもしれません。
以前第3話の記事を書いた時、こんなことを述べました。
“個人個人について考えること、スポットライトを当てること、それに伴ってそれぞれの事情や想いを汲み取ること”
スクールアイドルとそのファンにも事情や想いがあります。
それら全てに気づくことはできないし、何かが起きてからでないと気づくことができないものはたくさんあります。
その事情や想いのために何かをすること、それを全て知ることなど最初から不可能です。
ただ、純粋に侑だけを見ていた歩夢にとって、それを受け入れることこそ不可能なこと。
当たり前だと思っていた侑への愛が変化していく現実は、歩夢の愛をどんどん肥大化させ、曲がりくねったものにしていってしまいました。
それが正しいとも間違っているとも思いませんが、歩夢は自分の愛こそが全てであり、それを誰かに阻害されることなど許されないわけです。
それもまた歩夢にとっての事情であり想いなのですが、それを侑が知っていたのかはまた別の問題です。
しかし侑はもしかしたら、知っていたのかもしれません。
Dreaming Way
今回描かれていた中で個人的に印象深かったのが「かすみんBOX」です。
スクールアイドルフェスティバルを開催するにあたって重要となるのが「会場」ですが、それぞれが表現したいことはもちろん異なります。
そのため、「どこでライブを開催するのか」というのは難題であると言えます。
例えば、天王寺璃奈にとってはこうです。
"璃奈がジョイポリスでライブをやると決意したのは、そこが自分が変われる場所だと思ったからではないでしょうか。
ライブをするというのは、自分を表現することであり、自分を変えるきっかけになるものだと考えています。
璃奈にとってジョイポリスとは、初めて繋がることのできた愛と訪れている思い出の場所であり、ゲームという得意なことを表現できる場所でもあります。
「たくさんの人と繋がりたい」と願う璃奈にとって、格好の場所でしょう。"
そこで、かすみにとっての最適な会場を募集しようと作り上げたのが「かすみんBOX」です。
そこに1枚もアイデアが入っていないというのは「応援してくれる人がいないのではないか」という不安に繋がるのですが、侑が「夏休みだし...」とフォロー。
天才やないかい。
BOXのアイデア自体はとても良いとして、「皆が見てみたいフェスとは?」というテーマに変更して募集します。
スクールアイドルフェスティバルは、「スクールアイドル好きの皆が楽しめるお祭り」です。
主役はスクールアイドルを愛する者全員であるからこそ、それぞれがどういう風に関わっていきたいかを募集。
するとクチコミの結果か、多くのメッセージが届きました。
そこに書かれていたのは、「スクールアイドルへの感謝」です。
スクールアイドルという様々な色の光に照らされて、まるで月のようにそれぞれの人生が輝き出した人たちによるメッセージ。
だからこそ、スクールアイドルフェスティバルはスクールアイドルが夢を叶える場であると同時に、応援する人たちがそのフェスに協力するようにやりたいことも叶える場ではないか...
スクールアイドル同好会は、そのように結論づけたのです。
人は生きていれば誰でも、それぞれの夢や目標に向かう道の途中にいます。
その道を歩くことこそが人生であり、その道の先を照らす光になることもまた人生であるのです。
だからこそ、ライブ会場も「ひとつ」に決めるのではなくて、それぞれの人が「好き」を表現するために、皆の夢を集めてその全てを叶えるために、 街全体を会場としてお祭りのようにフェスを実行しようと考えたのです。
それが、スクールアイドル同好会らしいフェスの形だと確信しているからです。
ただ、フェスを行う人だけが楽しいのではありません。
侑がそうであったように、たまたまそこに行った人、たまたま「好き」に触れた人が、その人の中の「好き」を生み出し、ときめき、新たな道が開けてくる。
ともすれば、先ほど述べたように誰かに道を照らされ、誰かの道をも照らしたいと願うようになる。
そのように広がる世界を目指した大会こそが、スクールアイドルフェスティバルなのだと考えられます。
そんなスクールアイドルフェスティバルも当然部活動の一貫なわけですから、生徒会の承認を得るために申請書を作る必要があります。
申請書を書くのは侑やせつ菜が担当したのですが、「申請書を作る」という行為自体も、ただ適当に作ればいいのではなく、「何がしたいのか、何のためにそれをやるのか」という理由づけが必要になります。
つまり、申請書を作ることは、「スクールアイドル同好会にとって望ましい世界とは何なのかを考えること」であり、「それぞれの夢の叶え方を考えること」でもあります。
歩夢は、そこに加わることができなかった。
そもそもスクールアイドルフェスティバルが掲げる「皆」と、歩夢が考える「侑」は、それ自体が矛盾しているとも言えるかもしれません。
歩夢は皆のためにスクールアイドルをやるのではなく、侑のためにスクールアイドルをやっているのですから。
また、歩夢にとって申請書を作ることは、「俯瞰的に物事を考えたい」といった大袈裟なものではなくて、「侑と一緒に何かをしたい」という純粋な願いだったのかもしれません。
だからこそ、侑にもっともらしい理由で断られてしまった時、侑への愛が確かめられないと錯覚してしまった。
しかも一緒に申請書を作る相手は、生徒会長であり、侑が最も影響を受けた人物であり、歩夢が最も見たくなかったシーンの相手でもあった。
言い方は悪いかもしれませんが、歩夢にとってのせつ菜は、「夢を叶えるための仲間」でも「目標に向けて切磋琢磨するライバル」でもなく、いつしか「侑との友情(愛)を1番邪魔する存在」として捉えられてしまうようになったのかもしれません。
侑のために気を利かせて買い出しに行こうとした時にもついてきてしまったせつ菜は、歩夢にとっては邪魔なだけだったのです。
歩夢の中の侑という存在が、歩夢にとってのスクールアイドルとしての在り方を否定される寸前まできてしまっていた。
歩夢からしたら、スクールアイドルを続ける唯一最大の理由が侑だった。
その侑が歩夢だけを見続けてくれないのならば、もはや歩夢からしたら皆が幸せになるフェスどころではないわけです。
だからこそ、愛がますます暴走していく。
「私には(申請書を作ることさえ)できない」などと不本意なことを口にし、合宿の時に見てしまったシーンを「侑は自分を大切にしてくれなかった」と曲解し、侑に振り向いてもらえない自分を追い込んでいってしまう。
さらに、「侑がピアノを弾いていた」という話を歩夢は知らない。
自分は侑の全てを知りたいのに、知らない侑が自分の中に存在することが許せない。
侑からしたらそんなつもりは一切ないわけですが、歩夢的には「せつ菜にピアノを聴かせていた」という事実もあり、さらに許せないことが増えていく。
自分だけの侑どころか、せつ菜に愛を奪われようとしている。
それが、許せないのです。
歩夢にとっての侑は「道を並んで歩くべき存在」であり、「同じ夢を見るべき存在」であり、何より「同じ道を歩くべき存在」であるのです。
Dream with...?
歩夢がスクールアイドルをやっていられるのは侑がいるからです。
夢は侑と一緒に叶えるべきであり、侑は歩夢だけを見ていて欲しいのです。
それに、侑は気づいていたのでしょうか。
私は、気づいていたように感じます。
歩夢をあのタイミングで部屋に呼んだこと、それは決して偶然ではなかったように感じます。
侑と歩夢は幼い頃から一緒にいた。
そんな関係性で、歩夢が考えていることが分からないということは決してないはずです。
侑にとっては、愛の形は変わっても、歩夢を想う気持ちは決して変わっていない。
大切にしなければならない存在が増えただけであって、そこに優劣など存在しない。
だからこそ、歩夢の普段とは違う雰囲気を察して部屋に呼び出したのでしょうし、歩夢の問いにこう答えたのでしょう。
違うよ
と。
つまり、歩夢にとって何より愛すべき存在は侑であって、だからこそ侑にもそれを望んでいて、それが実現できないことはありえない。
一方で侑は、愛すべき存在の中に歩夢はいるけれども、決して歩夢だけを愛するわけではない。
両者の想いや事情は全く違います。
それを否定する権利は誰にもないのです。
しかし、ピアノを弾き始めた理由は語られませんでした。
文脈的に歩夢に伝えたかった「もっと先のこと」は、歩夢の中では必然的にピアノと結びつきます。
そして、ピアノは侑とせつ菜を繋ぐもの。
そう考えると、歩夢からすれば侑の「もっと先のこと」など聞きたくないのは想像に難くありません。
「もうこれ以上傷つけるのはやめて欲しい」と歩夢の中の防衛本能が働いた結果、侑を押し倒してしまったのではないかと思います。
ですが、これら全て「歩夢の思い込みと先入観」が生み出してしまったことであるのを忘れてはなりません。
せつ菜はたまたま通りかかり、侑がピアノを弾いているのを目撃した。
せつ菜はたまたまつまずいて、侑にもたれかかる格好になってしまった。
それを歩夢はたまたま目撃してしまった。
ただそれだけのことであります。
それら全てが偶然にも綺麗に重なってしまったが故の、愛の暴走なのです。
なぜピアノを弾いたのか、なんのためのピアノなのか、そういったことは何一つ侑は語っていない。
それを自分の中で「都合悪く」解釈し、自分を傷つけてしまっているのです。
だからこそ、侑がやるべきことはまず「歩夢の誤解を解くこと」、「ピアノを始めた理由を話すこと」、そして「歩夢をどう思っているのかを伝えること」です。
誰かだけのスクールアイドルだって構わないのですから、決して歩夢の想いや事情を否定するのではなく、伝えるのです。
Dream with Youでいいのです。
そして、歩夢もまた侑の想いや事情を否定することなく、愛を伝え、夢を伝え、二人の間に出来た愛のギャップ、夢のギャップを埋めていくのです。
それは、侑にとっては決して難しい課題ではないはずです。
花ひらく想い
僕は、歩夢の持つ愛情を珍しいとは思いません。
むしろ、誰しもが持ちうる感情ではないか?と考えています。
本当に信頼できる友人を幼い頃から見つけ、その友人とともに歩んできた人生。
その中で、もし何か自分にできることがあるとして、それを誰かのために伝えたいと願うのならば、です。
しかし、自分と同じ夢を見続ける友にとっての夢は、自分と同じ夢を見続けることであるとは限らない。
みんながみんなの夢に向かっているのだから、全く同じ方向の夢が存在するとは限らない。
だからこそ、自分が思い描いていた夢が悪魔のように形を変えて自分自身に降りかかり、それを受け入れなければならない時は必ず来て、まさにそれが今である
。
これが、第11話の全てだと考えています。
花ひらく想い、このタイトルはつまり、「蕾の想いを開花させる」ことに他なりません。
それはスクールアイドルフェスティバルという、同好会にとっての一大イベントを達成させるために必要なことです。
それぞれが蕾として抱える想いや事情を汲み取り、花ひらかせる。
これは、歩夢と侑の関係性においてのみ語られることではなく、誰しもがそうなのです。
「皆の夢を集めてその全てを叶える」
そのためには、まずは自分自身の夢に気づくこと、それは何なのかを言葉にし、誰かに伝えてみること。
歩夢の愛は、重いですが、決して間違ったものではないのです。
侑もそれを必ず分かっているはずです。
そして、解決した暁には、想いはさらに大きく美しい夢となって花ひらき、誰かを照らす光となるのです。
きっと、上手くいく。
私は、そう確信しています。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
シリアスながらも、決してネガティブではない回だったと思います。
是非、右の❤️を押していただけると嬉しいです。
さよなら、さよなら、さよなら。
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