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〜その理想像へ〜 『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会2期 第7話』感想
はじめに
こんばんは。
2期第7話、一言で言って最高でした。
虹ヶ咲アニメの中だと1期最終話、2期第3話が個人的な"伸び回"だったのですが、第7話はその2つに引けをとらないどころか、過去回全てを上回ってくる感じの"爆伸び回"でした。
……
三船栞子という新入りのキャラクター、その内面についてはシークレットでここまで来たわけですが、ここにきてようやく明らかになったというか。
そして、今までの虹ヶ咲が貫いてきた在り方をもう一度振り返ると同時に、2期で一貫している視点が浮き彫りになった回でもあったように感じます。
それは一体なんなのか。
今までの僕自身が述べてきた考え方の、答え合わせのように進めていきます。
それでは最後まで、どうかお付き合いください。
絶望
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誰もが幸せになれる世界。
私が望む世界。
それは、どこにあるのだろう…
まず初めに「幸せ」という単語が出てきたこと。
これが最高に衝撃的だったし、ある意味で嬉しかったです。
なぜなら僕は1期の最初の記事で、こう書いたからです。
結局、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会というアニメは、輝きでも奇跡でも、ましてや優勝を求める話でもなく、個人の「幸せ」を求める話ではないでしょうか。
(中略)
ワクワクを叶える、すなわち「自分のやりたいことを叶えること」、それはその人にとっての「幸せ」そのものです。
僕が何度も何度も言ってきていることですが、虹ヶ咲は「それぞれがそれぞれの個性を十分に発揮する」物語であり、スクールアイドルフェスティバル(SIF)というのは「みんなの夢を叶える場所」です。
そして、「夢」はSIFにおいて「幸せ」と言い換えてもいいかもしれません。
みんなの幸せを叶える場所、それがSIFなのです。
……
栞子がなぜスクールアイドルを諦めたのか。
それは、身近な人の「絶望」に気付いたからです。
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ラブライブ!本戦出場は、叶わなかったけど…
これが、2期の新たな視点だと思います。
ある意味でハッピーな希望ばかりが描かれていた1期とは異なり、「絶望」というアンハッピーを寄り添わせることで、この物語のリアリティが見出されてきます。
栄光の陰には、必ず順位が存在する。
それが、ラブライブ!であり、勝負の世界なのです。
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私の適性は、皆さんを応援し、サポートすることです。
「絶望」を目の当たりにした栞子は、「適性」を考えるようになりました。
性格や性質が、その物事に適していること。また、その性格や性質。
自分が何をしたいのか?どう在りたいのか?ではなく、自分に適した物事とは何か?を重要視する考え方です。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がありますが、まさにその通りだと思います。
……
しかし、それでいいのでしょうか?
ストレートな表現ですが、あくまで「他者の絶望」を目の当たりにし、「それは尚更、自分に出来るはずのないことだ」と安易に決めつけたが故の言葉が「適性」であるとすれば、それは虹ヶ咲が貫いてきた哲学である「それぞれがそれぞれの個性を十分に発揮すること」とは相入れないのは当然のことです。
ですが、栞子の考え方が間違っているとは思いませんし、ある意味では正解です。
それを否定する権利は誰にもありません。
その上で、「本当にそれでいいのか?」と問いかけ、一歩踏み込んで考える部分に虹ヶ咲の核心があるような気がしてなりません。
璃奈の「成長」
そしてSIFが始まったわけですが、璃奈の成長が凄まじすぎます。
製作陣にここまで愛されていいのか?璃奈。
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一緒に、どうかな?
1期の第6話で、愛からジョイポリスに誘われた璃奈。
それが、いつしか「誰かに対して自分からアプローチ」するようになった。
「たくさんの人と繋がりたい」と願ってきた璃奈にとっての成長とは、「出来ることを数える」ことでした。
「今はまだ、出来ないことがあってもいい」
自分を変えるために何が必要なのかを選び取ることを教えた。
まさにそれこそが「成長」です。
出来ないことに悩むより、出来ることを数える。
それが、成長です。
つまり、璃奈にとっての「出来ること」、例えば誰かの役に立ったりすること、それが増えてきた結果が璃奈にとっての自信となり、ミアに対するアプローチに繋がっているわけです。
アニメの内外で、キャラクターとしての「成長」を誰よりも感じられるのは、僕にとって璃奈であると改めて思えました。
適性
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あの子の「やりたい」って気持ちは、変わってないと思うんだよね。
この言葉がもしも本当であるとすれば、「やりたい」という気持ちに蓋をするための言葉が「適性」だと考えられます。
僕にとってはある意味、かつてのせつ菜とダブって見えるのです。
せつ菜にとって、「中川菜々」という仮面を被るのは本意ではなかったはずです。
それはある種、本名でありながら本当の自分を覆い隠すための蓋のようなものだったのかもしれません。
せつ菜が「中川菜々」という名の仮面を被っていたように、栞子は「適性」という名の仮面を被っているんじゃないか。
そうであるとすれば、せつ菜にとっての栞子は近しい境遇であるし、きっと栞子の気持ちや、栞子が無意識に抱えている葛藤を察し、寄り添うことが誰よりもできるのではないだろうか…と思うのです。
だからこそ、今回の栞子の幸せを一歩前進させることのできる人物は、せつ菜であると考えました。
何より薫子の言葉の直後、
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水臭いじゃないですか!
大好きな気持ちを、抑えることはないですよ!
私たちと一緒に、スクールアイドル、しましょう!
と、せつ菜が栞子に話しかけるシーンが物語っています。
しかし、
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もう、諦めましたので。
とRAP BATTLEの開始を予感させる一言。
栞子の想いは堅いようです。
……
私の目標は、姉でした。
誰よりも身近な目標の「絶望」を目の当たりにしたら、確かに夢を諦めざるを得なくなる気持ちは分かります。
人一倍努力をした姉が、最後に得たものは勝利ではなく敗北であり、栄光ではなく挫折だった。
そこから導いた結論こそ、
私は、自分の適性を、最大限発揮できる生き方を、したいと考えています。
だった。
しかし、この考えは間違いではありませんが、虹ヶ咲の文脈においては不十分です。
なぜなら、他人の挫折を見たゆえに「自分にも適性はない」と考えるのは浅はかだからです。
確かに自分よりも実力があった姉、しかし本当に「適性がないから挫折した」のだとすれば、適性と実力はイコールではありません。
つまり、適性があるのかどうか?は、やってみなければ分からないのです。
それを、やる前から決めつけてしまうのは早計です。
この矛盾点が栞子の中に存在し、さらに栞子自身がかつてスクールアイドルを目指していたという事実がある以上、この矛盾を解決しなければならないと考えるのは当然のことです。
……
自分自身がどうありたいのか?
これをまず自分に問いかけ、それに応じる。
他人がどうこう、他人だからどうこうではなく、自分のやりたいこと、ありたい姿、そうした本能に従うことも悪くないですし、それをする前に決めつけてしまうのは、きっと「後悔する」と思います。
ここで大切なのは、決して栞子の考え方や生き方が間違っているわけではないということです。
確かに栞子の中には矛盾があるけれども、他ならぬ栞子がそれに納得しているのならば、それで良いとも自分は思います。
栞子の考え方を否定するのではなく、「それも間違いじゃない」と受け入れた上で、「その生き方はきっと後悔する」と伝えることが大切なのです。
……
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じゃあ、いつか自分で立ちなさい。
個人的にはこのセリフが一番ジーンときました。
憧れだったステージを目の前にして、「そこがどれほどの重みがあるのか」を理解しているからこそ、スクールアイドルではない幼かった栞子が遠慮してしまうのも無理はありません。
その栞子に「いつか自分で立ちなさい」と声をかける「憧れ」が、どれほど輝いているのか、近くて遠い背中なのか。
何よりもステージの上に立つ人間だからこそ発することのできる言葉だと思いますし、その言葉にも重みを感じることができます。
……
しかし、薫子もきっと、栞子と同じ場所にいた。
ステージの上に立つ誰かを見て「ときめいた」。
その「ときめき」が受け継がれる様子は正にSIFにも重なりますし、虹ヶ咲が大切にしてきた考え方でもあると思います。
偶然でも必然でも、SIFに訪れることで、誰かが自分の中に『好き』を生み出し、「やってみたい」と思ったのならばその時、その人にとっての道は開けるし、その道を貫いてみたいとさえ思えるのかもしれません。
だからこそ栞子にも、その考え方を大切にしてほしいと自分も思います。
一度始まった物語を読み進めることを諦めてしまえば、それは未完のままになるのです。
それは勿体無いことですし、それでいいと受け入れることもある意味では辛いと思います。
……
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もしも、スクールアイドルの適性がないと、最初からわかっていれば…
姉さんは、不要な後悔をすることもなかった。
話を戻しますが、そもそもなぜ栞子がこのような考え方になったのか?といえば、「絶望」を知ったからです。
ラブライブ!という順位をつける大会に出場し、そこで予選敗退という夢敗れた「憧れ」を間近に見たからこそ、栞子は「適性」という言葉にこだわるようになった。
それに対して、虹ヶ咲はラブライブ!を目指さない物語です。
もちろん、ラブライブ!を目指す物語もありますが、虹ヶ咲はそれとは決定的に異なる道を選択した。
では、虹ヶ咲にとってのスクールアイドルとは何か?を考えれば、
「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それだけでいいんじゃない?」
に尽きます。
ラブライブ!が至上命題だったせつ菜に対しての、侑の一言です。
順位をつけることが全てではなく、スクールアイドルとファンとの間の関係性や信頼が成立していれば、それもまたスクールアイドルの姿である。
こうした虹ヶ咲にとってのスクールアイドル像というのは、栞子がかつて見た「絶望」の対極に位置するものでしょう。
スクールアイドルがそれぞれの幸せを追いかけ、それをファンが応援し、ともすればファンもまた自らの幸せに気づくようになる。
その相互的な関係こそ、虹ヶ咲にとってのスクールアイドルなのです。
夢の始まり
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それでも、放っておけないよ。
向いていることだけするとか、皆のサポートをするとか、それだけ聞けば正しいって思うよ。
でも、それって…
後悔、するんじゃないかな?
栞子の想いに一番寄り添えるのがせつ菜だとすれば、栞子にとっての幸せを一番考えられるのは侑だと思います。
侑のように一言でものごとを解決できる能力、他人の幸せについて考えられる能力自体は後から身に着けることは難しく、天性の面があると思っています。
更にその能力を発揮することが可能な人間は限られていて、こと虹ヶ咲アニメにおいては「スクールアイドルではない」侑ならではでもあります。
なぜなら、極めて相手に寄り添いながらも、一見第三者的な(もちろん侑にとっては他人事じゃありませんが)目線で発言できるのは、その発言によって損益を被らない、いわば当事者以外にしかできないことだからです。
スクールアイドルにときめき、自分の夢に気づけた侑。
スクールアイドルにときめき、自分の夢を諦めた栞子。
原点は同じでも、余りにも対照的な両者がそこにあるが故に、スクールアイドルとは何なのか?を改めて確認する機会となったのが第7話です。
……
スクールアイドルという存在がある種の足枷になっていた栞子を、どうするのか。
その答えは、「SIFに参加してもらう」ことです。
自らの原点を思い出してもらい、虹ヶ咲の想いを伝える。
それが、栞子の幸せのために出来ることなのではないだろうかと、侑たちは考えたわけです。
そして、最後に案内したのが「あのステージ」です。
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ここが、三船さんの夢が始まった場所でしょ?
三船さん、やりたいことを、してください。
三船さんが出来ることを大切にしているのは分かります。
そのおかげで、フェスは素晴らしいものになりました。
ですから、今度は、私たちに、三船さんを応援させてほしいんです。
個人的には、1期最終話と重なって見えます。
侑に支えられた過去があるからこそ、新しい夢に向かって挑戦する侑を支えてあげたいという気持ちが虹ヶ咲のスクールアイドルのどこかにあって、それが他の生徒たちにも波及していった可能性もあるのではないか?
侑はSIFの裏方として活躍し、最後にスクールアイドルの舞台を見た。
何故なら、侑がスクールアイドルを支えたように、スクールアイドルも侑を支えたいと思ったからです。
それと同じく、栞子もSIFの裏方として活躍し、最後にスクールアイドルの舞台を見るべきなのです。
何故なら、栞子もまたかつての侑と似た立場だからです。
だからこそ、侑は放っておけなかったし、侑がときめいた相手であるせつ菜もまた、侑のように栞子の想いを一歩前進させたいと思ったのではないでしょうか。
それは、他のメンバーも同じようです。
……
ねえ!今日は何の日か知ってる?
皆の夢を叶える日だよね!
SIFとは、「みんなの夢を叶える場所」、「みんなの幸せを叶える場所」です。
だからこそ、SIFに参加する以上、栞子がかつて諦めた夢も幸せも、叶わなければならないのです。
ですが、栞子にとってスクールアイドルは足枷であり、自分の夢を諦めさせた存在でもある以上、夢を叶えることは難しい。
そして、姉は「後悔」していた。
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でも、姉は泣いていました。
夢を叶えようと、三年間、努力し続けて…
最後は…
泣いていたんです!
後悔していたんです!
しかし、本当に後悔していたのか?
その答えは、薫子にしか分かりません。
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してないよ、後悔なんて。
確かにあの時は悔しかった。
でも今では、やってよかったと思ってる。
スポットライトの眩しさも、歌を届ける喜びも。
可愛い妹に「すごい」って言ってもらう誇らしさも。
スクールアイドルをやって知ることができたんだから。
……
僕自身が1期で受け取ったことは、まさしく「やってよかった」と思えるかどうかについてです。
「始めてよかった」、「やってよかった」と思える日はいつか来ると信じて、自分だけの道を進んでいくことこそが、その人にとっての幸せになる。
それが、1期で虹ヶ咲が伝えたかったことなのではないかと改めて思うのです。
何事も最初から上手くいくわけではないし、むしろ後悔の方が多いだろう。
けれど、それでも「始めて良かった」と思える日はいつか来る。
そう信じて、どのような形であれ、自分の内なる『夢』を何よりも大切にし、それに従うことで自分だけの世界は間違いなく広がっていく。
だからこそ、支えてくれる人に感謝をしながら、自分だけの人生を、挑戦を恐れずに進んでいくことが大切である。
それがいつの日か、その人にとっての『幸せ』になる。
……
三船さんは、お姉さんのステージを見て、たくさんの幸せをもらったんじゃないの?
そうです。
姉は私に、たくさんの胸の高まる思い出をくれました。
そんなもの、現実の前には無意味だと思っていました。
そのはずなのに、私が皆さんを応援しようと思ったのは、スクールアイドルから離れたくなかっただけかもしれません。
……
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第7話の象徴は「時計」です。
かつて栞子自身がスクールアイドルにときめいたとき、栞子の中の「幸せの時計」の針は進み始めたのです。
しかし、それも「絶望」を目の当たりにして止まったのです。
止まったままの時計の針をもう一度動かせるのは、自分自身のEMOTIONこそが原動力であり、その原動力はやはりスクールアイドルによって生み出されたのです。
嵐珠の変化
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以前、嵐珠の矛盾について述べましたが、これについても「やはりそうだったか」という想いになりました。
歩夢の前で侑が同好会に入って変わっていったように、嵐珠が同好会に入ることで自分自身が変わっていってしまう、つまり栞子との関係が以前とは変わってしまうのではないか…
あの発言がもし本当に本音だとしたら、その変化を恐れているがために、(人前でそういう姿は見せないけれど)他のスクールアイドルと交わる同好会に入ることには否定的なのではないかと思うのですが、もしかしたら考えすぎかもしれません。
今回、先に同好会に入ることになったのは栞子だったわけですが、同じく「関係性の変化」を嵐珠は恐れているように感じます。
嵐珠自身が同好会に入らない選択をしたのは、もしかしたら栞子のことを考えてのことでもあったのかもしれない(もちろん、それが全てではないでしょうが)と第3話の時点で思っていたわけですが、その答え合わせのようなシーンです。
かつての歩夢と侑のようにです。
大切にしなければならない存在が増えただけであって、そこに優劣など存在しない。
今や、栞子は嵐珠のものではありません。
栞子自身が同好会に入ったことで栞子にとっては「大切にしなければならない存在」が増えたわけですが、そこに優劣は存在しないのです。
もし今の嵐珠がかつての歩夢と同じような立場ならば、1期第11話と同じような展開が予想されるのですが、もっと別の要素が入り込むことも十分考えられます。
嵐珠にとっての栞子とは何なのか?
それが、8話以降でどのように描かれるのかを期待しています。
ときめき
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「ときめき」かあ…
最後のシーンのこのセリフですが、なぜこのセリフが最後に来たのか?を考えてみたいと思います。
特に第3話ですが、侑が音楽で何をしたいのか?は必ずしも明確になったとは言えなかった気もします。
「なぜ音楽をやりたいのか?」という部分は解決したのですが。
確かに、侑はスクールアイドルではないし、むしろ「個性」を意識せずに生きてきた側の人間と言えます。
そのため、自分の「個性」に無自覚なまま「音楽をやってみたい」という衝動のみに突き動かされた。
言い方は良くないですが、それは「やりたいと思った時には始まっている」という1期のメッセージがもたらすマイナスな面と言えます。
侑自身の個性にはスポットライトが当たったのですが、「ときめき」と言う名の衝動を個性と絡めてどのように音楽に昇華させるのか?はハッキリしていなかったように思います。
これがもし侑の中の問題として残っていたとするならば、それも解決しないといけません。
「自分自身を表現できる人になりたかったから」音楽を始めた。
それならば、今後はもう一歩踏み出して「音楽で何をしたいのか?」に焦点が当たるでしょう。
……
おわりに
今回は、栞子がメインの回でした。
栞子の中にある「絶望」をどのようにスクールアイドルを始めるに当たって良い方向に持っていくのか、それが第7話の見どころだったと思います。
ときめいたと同時に夢を諦めさせたスクールアイドルという存在、その意義を再確認させるのが第7話だったと言えるでしょう。
これは、1期では描かれていなかった部分です。
さらに、嵐珠や侑の話も進んでいくように感じました。
特に、侑の問題は第3話で解決していたと思ったのですが、「ときめき」というワードが持つ意味を第8話以降で再確認する気もします。
そして、それがそのまま2期全体のメッセージにもつながっていく予感がしました。
……
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スクールアイドルを見て「ときめく」こと。
自分の「幸せ」とは何か?に気づくこと。
それをもう一度思い出し、理想像を貫くこと。
スクールアイドルに見た「絶望」と「夢」の尊さを教えられるのは、スクールアイドルや自分を支えてきた仲間たちに他ならない。
これが、僕が受け取った2期第7話の全てです。
それでは、また今度。
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さよなら、さよなら、さよなら。