大月桃太郎伝説②
大月桃太郎伝説その②です。
今回は、そもそも桃太郎は変化の多い昔話である。
ということを、これまでの研究史をざっと踏まえて書いています。以下に詳細を記していきたいと思います。
昔話桃太郎について、まずは柳田國男の『桃太郎の誕生』(柳田1932)から見ていきます。柳田は水上より大きな桃が流れ、中から小さな男児が生まれること、つまり人間から生まれなかった人物が誕生し、それが急速に成長して人になったことが話の骨子であったとしています。そして類例として「瓜子姫」、「一寸法師」、「竹取物語」などをあげています。また、水上より流れ、老婆に拾われたことも重視し、瓢から生まれた新羅の朴氏誕生神話などをあげ、桃太郎同様に、最初異常に小さい子であったことから、神話との繋がりについても示唆しています。そして、こうした話は、基本的に最後は婚姻という形をとりますが、桃太郎は、子どもにのみ聞かせる話として発展したため、妻求めの一条が意図的に省かれたとしました。
土橋里木(山梨県初期の民俗学者)は、山梨県内の昔話を採集して、1930年に『甲斐昔話集』を、1936年には『甲斐昔話集 続』を刊行しました。『甲斐昔話集 続』には、土橋の祖母(旧上九一色村出身)より聞き取りをした「桃太郎」が集録されています。
土橋が集録した桃太郎は、お婆さんが川で洗濯をしていると上流より手箱が流れてきたため、「實のある手箱ァこつち來ォ、實のない手箱ァそつちィ行け」と言うと、お婆さんのところへ流れてきたため、手箱の蓋を開けたら大きな桃が入っていた(土橋1936)というもので、その後の話の展開は通常の桃太郎と同じだと書かれています。手箱の中に桃が入って流れてくるということ、手箱と婆さんとの問答は、現在「一般的な」昔話桃太郎にはみられない内容だと思います。
このような細部の違う桃太郎は日本各地で見られるようです(柳田前掲)。口承文芸という形態で各地へ広まった桃太郎は、その地に合うようにアレンジが加えられ、定着していったと考えられます。
このようにバリエーションが豊富で、数ある昔話の一つであった桃太郎ですが、1887年に検定制度を経て刊行された『尋常小学校読本(巻一)』へ掲載されたことにより、話の内容が統一され、以後、国民童話として認識されるようになっていきました(加原2010)。
子どもが学ぶ→大人になればみんな知っていることになる、というプロセスだと思います。「クラムボン」、「ルントウ」、「その声は、我が友、李徴子ではないか?」のように。
その後、国民童話となった桃太郎は、帝国主義、プロレタリアート、軍国主義などの国家政策、社会情勢や人々の問題意識の中に組み込まれ、分かりやすい情報発信の媒体としてアレンジされたものが生まれていきました(鳥越2004)。
こうしたアレンジが現在でも行われていることは、テレビCMなどで確認できます。
参考文献
加原奈穂子2010「昔話の主人公から国家の象徴へ-「桃太郎パラダイム」の形成」『東京芸術大学音楽部紀要』、東京芸術大学音楽部、pp.51-pp.72。
土橋里木1936『甲斐昔話集 続』、郷土研究社、pp.230。
鳥越信2004『桃太郎の運命』、ミネルヴァ書房、p.243。
柳田國男1932『桃太郎の誕生』(2013年新版)、角川学芸出版、p.462。
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