大月桃太郎伝説①
はじめに
山梨県東部地域に所在する大月市には、「大月桃太郎伝説」なる伝説があります。この伝説は一言でいうと、「この地域には桃太郎の登場人物の名前に似た地名があることから、桃太郎の話はこの地域で生まれた」とする伝説です。
昔話=創作話、伝説=本当にあったという体の話、ということから考えれば、かなり荒唐無稽な伝説だといえます。なぜなら本来桃太郎は創作話である「昔話」なので、「大月桃太郎伝説」という呼び名は「創作話」が「本当にあった話」という…なんだかよく分からないことになるからです。
しかしながら、こうした伝説がどのようにして生まれ、どのようにして現在に引き継がれてきたのかを知ることは、その地域が形成してきた文化を知る一つの手掛かりになると考えることもできます。
こうしたことから、「大月桃太郎伝説」に注目し、掘り下げ、考察していくことは、この地域を知るために意味のある事だと思い、調べていくことにしました。
大月桃太郎伝説①
今回は、
1.「大月桃太郎伝説」はどのような伝説なのか。
2.この伝説に対して、どのような目的をもって、どのように考察するのか。
の2点について考えました。詳細は以下の通りです。
ある日、「百蔵山(ももくらさん・かつては桃倉山と表記されていたとする)」に生えていた桃の木から大きな実が川へと流れ、下流の鶴島で洗濯していたお婆さんに拾われる。お婆さんはその実を持ち帰り、自宅にてお爺さんと食べようとしたところ、中から男児が生まれた。桃太郎と名付けられたその男児は、強くたくましく成長し、ある日、岩殿山へ鬼退治に出かけることになる。途中、「犬目(いぬめ)」で犬を、「鳥沢(とりさわ)」で雉を、「猿橋(さるはし)」で猿を供にする。岩殿山に到着した一行は、石製の杖を武器とする鬼と戦い、鬼を追い詰める。そして隣の山へ逃げようとした鬼の腹を斬りつけ、鬼を退治する。このとき腹からとび出した腸は、「鬼の腸(おにのはらわた)」、流れた血は、子の神神社付近の土に染み込み、「鬼の血(おにのち)」と村人に呼ばれるようになった。桃太郎は鬼退治を成し遂げ、里は平和を取り戻した(石井1980a、1980b、大月の民話を語りつぐ会2013)。
これが「大月桃太郎伝説」の大まかな内容ですが、話の筋は大きく変わらないものの、細かい内容は書かれているものごとに違いがあるという特徴があります。例えば、桃太郎の誕生について、拾われた桃から誕生する果生型なのか、桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返り、お婆さんが桃太郎を懐妊する回春型なのか一定していない、などがあげられます。
また、細かな内容が次々に追加されていくことも確認できます。例えば最近では、岩殿山の中腹にある新宮跡」(現在は廃寺となった寺院の施設跡)が、鬼の棲んでいた「鬼の岩屋」として登場するようになっています。それまではざっくりと、鬼は岩殿山に棲んでいた、とされていたことに比べるとより具体的になっているのがわかります。
こうしたことから、「大月桃太郎伝説」は現在進行形で変容が認められる伝説だといえます。変化した内容は、その時点の人々のニーズを満たし、受け入れられたもの、すなわち価値観を反映していると考えることができると思います。
「はじめに」で述べたとおり、こうした伝説がどのようにして生まれ、どのようにして現在に引き継がれてきたのかを知ることは、その地域が形成してきた文化を知る一つの手掛かりになると考えています。
よって、現在進行形で創作されている「大月桃太郎伝説」が、どのような経過をもって誕生し、どのように変化しているのか知ることを目的に調べていきたいと思います。そして、この伝説の内容が変化する部分と変化した時期を確認し、それがなぜそのように変化したのか考察していきたいと思います。
参考文献
石井深1980a『大月市の伝説と民話』(手作り冊子)。
石井深1980b『郷土の民話』(手作り冊子)。
大月市の民話を語りつぐ会2013『大月桃太郎伝説』(手作り小冊子)。
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