阪大外語、他 ドイツ語受験の記録 ④ 〜高校退学から現役浪人〜
高校2年生の秋頃にセンタードイツ語の過去問を解いたことがあり、確か七割五分程度だったと思います。その後冬の独検2級にも合格し、いよいよ受験シーズンとなりました。共テの同日模試では他教科もまずまずの成績だったと思います。ドイツ語は勿体無いと思ったので解きませんでした。ちなみに、この頃の志望校は阪大の経済学部か文学部辺りでした。残念ながら同日模試が見つからなかったので、謎に東進の名大同日模試を受けて惨敗した記憶があります。(無論英語は切った)
さて、私が英語を中高六年間サボってたツケがとうとう回ってきました。高校進級に際して英語の単位が足りず、留年しました。ここら辺は詳しくは割愛しますが、ドイツ語受験者のあるあるで学校の進級が怪しくなりがちです。手を抜きすぎると私のようになるので気をつけてください。(私はなんとなくこうなる予想がしていたので高2の時点で高卒認定を取っておきました)
ということで、高校を原級か自主退学かの二択を迫られたため、私は退学を選びました。高三になることは出来ず、そのまま私は河合塾の浪人生コースに飛び級して入学しました。その後一年間はこの場所で受験勉強をしていくこととなります。
さて、一日の大部分を河合塾で過ごすわけですが、私は英語の授業というものは全切りしているのでその分の時間は全て自学自習なわけです。そのため、時間に余裕のあった私はあろうことか数学にその時間の全てを注ぎ込んでいました。何故ならば、単純に数学を勉強している時が一番楽しいというか、楽であったからです。この時には自分のある程度の数学の能力(地底文系並)に気がついていたので、背伸びをして「真解法への道」なんかやったり、大学数学を齧ったりして暇を持て余していました。(???)
なので、ドイツ語の勉強時間といえば週に三時間程度で、今になって振り返ってみても、お世辞にも勉強していたとは言えませんでした。
とはいえ、ドイツ語受験のために除外した英語以外の科目においては模試の成績が好調で、地理も論述の授業を取っていたので、高三の夏前くらいまでは京大総人志望でした。
春が過ぎ、夏が来ると、それはそれは楽しい夏休みが始まりました。当然浪人生であろうが現役生であろうが受験勉強真っ盛りのこの時期ですから、塾と勉強漬けの毎日を送るはずだったのですが、いかんせんサボり癖のある私は地元の友達と一緒になって家でお泊まり会などをして夏休みを謳歌していました。この頃から、ドイツ語以外の教科の学習時間も急激に減少し、夏休み中盤に至っては一週間の勉強時間は殆ど0に近似できるものでした。当然ながら成績は上がらずでしたが、夏前までの数学力に貯金があったという驕りもあり、(文系数学偏差値で70越えはありました)当時は最悪神戸大に下げても良かったのでそれならば流石に受かるだろうと思いあまり気にも留めていませんでした。事実、3教科受験の予定でしたが、2次試験を数学だけで受けれる型の経済学部の判定も、勿論A判定でした。(駿台全国と河合記述両方)
夏休みを謳歌し、秋が始まる手前に私は恐ろしい事実に気が付きました。なんとなしに神戸大学の受験要項を確認していると、受験科目にドイツ語が存在しないことに気がついたのです。記入ミスか何かかと思いすぐさま神戸大学の入試課に電話をかけました。返答は、「他言語での受験は去年までで終了しており、本年度からは英語選択のみとなります」でした。
それを聞いた私は焦りました。一ヶ月以上サボった数学力は今やボロボロですし、ドイツ語も国語も全く固まっていませんでした。もはや阪大経済も怪しくなってきていたので、阪大外語のドイツ語に志望校を下げることにした私は、急いで勉強に明け暮れる、のかと思いきや、阪大外語に落としたことでむしろドイツ語の傾斜配点の高さに余裕が生まれ、まだまだ遊びつづけるという決断をしました。
ここから、私の混沌としたドイツ語受験が始まります…
⑤へつづく