ブータン 4800mの高地に響くヤクの歌
今回は このまえにも紹介した映画『ブータン 山の教室』のなかで、歌われる歌についてとりあげたいとおもいます。
※映画のネタバレを含みますので注意してください🙇♂️
映画のあるシーンで村の女性が峠の上で歌を歌っています。
その日本語訳がこちらです。
凛々しきヤク その名はハダル
あたかも神の子のごとし
汝 ハダルの故郷を問うなかれ
知りたくば教えよう
ハダルの故郷は壮大なる白い山の麓
黄金色の牧草が大地を覆う場所
これは、高原に棲む「ヤク」に "ヤク飼い"が捧げた歌です。
ヤクは標高の高いところに生息するウシ科の動物です。
ヤクに捧ぐ歌を歌う女性の名前は「セデュ」
主人公のウゲンから 「いつもここで歌を歌っているのはなぜ?」と聞かれます。
セデュは答えます。
歌を捧げているの
歌は万物に捧げているのよ
人、動物、神々、その谷の精霊たちにね
オグロヅルは鳴く時、誰がどう思うかなんて考えない
ただ鳴く、私も同じ
次の2人のシーンでは、ヤクの歌が生まれた経緯について話されています。
ヤクとヤク飼いの絆はとても神聖なの
家族のように親しい
ヤクは多くを与えてくれる
肉が必要になった時は 村中の役を集め、投げ縄を投げた
縄が落ちたヤクを犠牲にしたの
村中が心を痛めたわ
村のヤク飼いで、岩塩を売るためにチベットに行った人がいた
運命が働いて 投げ縄は彼のヤクに落ちた
"そのヤク飼いがこの歌を作ったのよ"
歌詞にこうあるわ
"ヤクのおかげで私は命を長らえた"
こうも言ってる
"ヤクには高い山の草と清い湧き水がふさわしい"
澄んだ魂を賛美する歌なの
雪が消えることがない清らかな大地は
私たちの心を写す鏡よ
歌の最後では
ヤクがヤク飼いに言葉を返す
"私たちの絆は永遠だ"って
ヤクたちは山のあちこちで草をはみ、夕方家に戻る
それと同じように
"現世であれ来世であれ私は戻ってくる"
ということで、この映画の中の"ヤクに捧げる歌"は、悲運により犠牲となったヤクの飼い主が作った ということがわかりました。
ヤク飼いとヤクの絆や ヤクの澄んだ魂を賛美する歌であり、生きる上で必要な様々なものを与えてくれるヤクやその命に対しての敬意と感謝をあらわす歌でもあります。
この映画の物語は実際に監督が旅をする中で聞いたエピソードから構成されているということが、インタビューでもわかっています。
このヤクのエピソードも例外ではなく、実際にブータンの各地を取材する中で 聞いた話を元に映画の一部となっています。
そこにはブータンに根付くチベット仏教の考えである"輪廻転生"の考えも込められています。
輪廻転生とは 人や動物が死んだら また別の生命として生まれ変わるという考えのことです。
映画の最後に村人が主人公のウゲンを見送るシーンでは、ヤクの歌を村長が歌い、餞別の歌としました。
ウゲンを近くで見送るセデュによると、村長がこの歌を初めて歌ったのは若い頃で その後 村長の奥さんが亡くなった時に歌うのを辞めてしまったそうです。
そして、村長はこう言いました。
この言葉によって、この映画の村長のなかでは、村にやってきた若者の教師ウゲンは 前世、村長が飼っていたヤクであるということがわかりました。
チベットにともに塩を売りに行ったヤクであり、投げ縄が落ち犠牲となったヤク…
そのヤクの生まれ変わりと信じる若者のウゲンが再び村に戻ってくるのを願い 村長は最後に"ヤクに捧げる歌"を贈ったのでしょう。
このひとつの歌が映画の中では核となっており、物語を見事にまとめる働きをしていました。
実際にブータン北部の高原に響く歌や民謡にはこのような切ない背景や人と動物の崇高な絆が歌われていることでしょう。
今回は「ブータン 山の教室」の映画の一部を構成する歌、エピソードを紹介しました。
見てくださりありがとうございました😊
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