抜苦与楽の御意の御本仏法華経に常住仏性並びに衆生本有の慈悲心健康平和幸福の祈念
今本時の娑婆世界の本化国主虚空蔵菩薩一人より天地に充満の無量の眷属に至るまで、天上天下の十界の一切衆生各自の色心命の十如是円融三諦の本地、そうじて信力行力の無作の三身即一本覚のそうじて信力行力の南無妙法蓮華経如来のそうじて信力行力の常住仏性ならびに衆生本有の慈悲心所具の法華経守護の釈迦多宝境智の二仏そうじて上行菩薩等、御本仏日蓮大聖人所持の妙法の仏力法力の広大深遠の妙用により、信力行力を生じて、惑障尽くさず寂光に入る南無妙法蓮華経の三昧をしっかり行じて、御本仏法華経をてづからみずから供養恭敬させたまいて。
常住仏性ならびに衆生本有の慈悲心健康平和幸福万行万善万戒の功徳を納功徳聚法華の当体妙法の当体蓮華証得常寂光の当体の妙理をあらわす妙法功徳成就、抜苦与楽の御意の御本仏日蓮大聖人の法華経のお題目の功徳善根積み重ね前進勝利、乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光のために必要な無量の改善前進勝利成就のために。
万難静謐成就・末法時代の初めに順縁広布大願成就・自他共に皆の而自廻転(にじえてん)成就・乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光成就のために、自他共に皆の無量の改善前進勝利のために。
『今本時の娑婆世界の本化国主・法華経守護の三世の菩薩の慈天の色心命全体の常住仏性を喉となした
24時間あたり80000遍の南無妙法蓮華経演説
南無妙法蓮華経三昧の音声普く聞知の大瑞相』
『今本時の娑婆世界の本化国主・法華経守護の三世の菩薩の慈天ひとりより
天地に充満の無量の眷属にいたるまで
法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ〜』
”呵責謗法滅罪抄
法華経をば釈迦多宝十方の諸仏大菩薩供養恭敬せさせ給へば、
此の仏菩薩は各各の慈父慈母に日日夜夜十二時にこそ告げさせ給はめ。
妙楽大師の釈に云く[記七]「故に知んぬ末代一時も聞くことを得聞き已つて信を生ずる事宿種なるべし」等云云
大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取り出すに似たるか、火の中の数子を父母が一時に取り出さんと思ふに手少なければ慈悲前後有るに似たり、
故に千手万手億手ある父母にて在すなり、爾前の経経は一手二手等に似たり法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と無数手の菩薩是なり、
日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば日本国の一切衆生の慈悲の父母なり、天高けれども耳とければ聞かせ給うらん地厚けれども眼早ければ御覧あるらん天地既に知し食しぬ”
”上野殿御返事[梵帝御計事]
ただをかせ給へ( 爾前経で無く、法華経の会座の)梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし〜”
”法華初心成仏抄
法華の座に来りては解り易く入り易し
〜来りては機賢く成りて解り易く入り易し”
”上行菩薩結要付属口伝
属累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏法座従り起つて大神力を現じたもう右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて是の言を作したまわく
我無量百千万億阿僧祇劫に於て是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり今以て汝等に付属す汝等当に一心に此の法を流布して広く増益せしむべし、是くの如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて是の言を作したまわく
我無量百千万億阿僧祇劫に於て是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり今以て汝等に付属す、汝等当に受持読誦し広く此の法を宣べて一切衆生をして普く聞知することを得せしむべし所以は何ん如来は大慈悲有つて諸の慳りん無く亦畏るる所無く能く衆生に仏の智慧如来の智慧自然の智慧を与う如来は是一切衆生の大施主なり汝等亦随つて如来の法を学ぶべし慳りんを生ずること勿れ」と云云。”
”如来滅後五五百歳始観心本尊抄
事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行〜”
”四条金吾殿御返事[煩悩即菩提御書]
法体と云うも全く余には非ずただ南無妙法蓮華経の事なり”
”今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし、其の故は彼の天台伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり、本門寿量品の三大事とは是なり、
南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し、されども
三世の諸仏の師範
十方薩唾の導師
一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり”
”御義口伝巻上 日蓮所立自序品至涌出品
序品七箇の大事 第四仏所護念の事
法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり”
”一 廿八品悉南無妙法蓮華経の事
一 囑累品 御義口伝に云く此の品には摩頂付属を説きて此の妙法を滅後に留め給うなり、是れ又妙法の付属なれば十界三千皆付属の菩薩なり、又三摩する事は能化所具の三観三身の御手を以て所化の頂上に明珠を譲り与えたる心なり、凡そ頂上の明珠は覚悟知見なり頂上の明珠とは南無妙法蓮華経是なり云云”
”大白牛車御消息
抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり、彼の車をば法華経の譬喩品と申すに懇に説かせ給いて候、但し彼の御経は羅什存略の故に委しくは説き給はず、天竺の梵品には車の荘り物其の外聞信戒定進捨慚の七宝まで委しく説き給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候、先ず此の車と申すは縦広五百由旬の車にして金の輪を入れ銀の棟をあげ金の繩を以て八方へつり繩をつけ三十七重のきだはしをば銀を以てみがきたて八万四千の宝の鈴を車の四面に懸けられたり、三百六十ながれのくれなひの錦の旛を玉のさほにかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏菩薩宝蓮華に坐し給へり、
帝釈は諸の眷属を引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指し懸け地神は山河大地を平等に成し給ふ、故に法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 日蓮花押”
”御義口伝巻下 日蓮所立自寿量品至開結二経
寿量品廿七箇の大事
第十四 時我及衆僧倶出霊鷲山の事
霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云。”
”常不軽品三十箇の大事
第十一於四衆中説法心無所畏の事
御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云。
”妙密上人御消息[法華経功徳抄]
又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん
〜国中の諸人一人二人乃至千万億の人題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し
〜法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし。”
”撰時抄
掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。”