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御本仏日蓮大聖人御教示の疾病分類各種と治療する教法の解説

治療方法からみる病分類:二病,身の病地大百一水大百一火大百一風大百一已上四百四病・治療法と心の病,心の病三毒乃至八万四千の病・治療の教法各種と患者の境涯と教法の限界と心身の諸病の良薬
病の起る因縁による分類:一には四大順ならざる故に病む二には飲食節ならざる故に病む三には坐禅調わざる故に病む四には鬼便りを得る五には魔の所為六には業の起るが故に病む
諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり
(南無妙法蓮華経の)法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり
引用はじめ”
中務左衛門尉殿御返事
   弘安元年六月 五十七歳御作
 夫れ人に二病あり、
一には身の病所謂地大百一水大百一火大百一風大百一已上四百四病此の病は治水流水耆婆偏鵲等(人体所具の治癒力:一生成仏抄参照)の方薬(人体の治癒力に協力し害を与え無い治療法各種)をもつて此れを治す
二には心の病所謂三毒乃至八万四千の病なり、仏に有らざれば二天三仙も治しがたし何に況や神農黄帝の力及ぶべしや、又心の病に重重の浅深分れたり六道の凡夫の三毒八万四千の心の病をば小乗の三蔵倶舎成実律宗の仏此れを治す大乗の華厳般若大日経等の経経をそしりて起る三毒八万の病をば小乗をもつて此れを治すればかへりては増長すれども平愈全くなし、大乗をもつて此れを治すべし、又諸大乗経の行者の法華経を背きて起る三毒八万の病をば華厳般若大日経真言三論等をもつて此れを治すればいよいよ増長す、譬へば木石等より出でたる火は水をもつて消しやすし水より起る火は水をかくればいよいよ熾盛に炎上りて高くあがる、今の日本国去今年の疫病は四百四病にあらざれば華陀偏鵲が治も及ばず小乗権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人人のいのりも叶はずかへりて増長するか、設い今年はとどまるとも年年に止がたからむか、いかにも最後に大事出来して後定まる事も候はんずらむ、法華経に云く「若し医道を修して方に順つて病を治せば更に他の疾を増し或は復死を至さん而も復増劇せん」涅槃経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王○偏体に瘡を生じ乃至是くの如き創は心に従て生ず、四大より起るに非ず、若し衆生能く治する者有りと言はば是の処有ること無けん」云云、妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」云云、此の疫病は阿闍世王の瘡の如し彼の仏に非ずんば治し難し此の法華に非ずんば除き難し、将又日蓮下痢去年十二月卅日事起り今年六月三日四日日日に度をまし月月に倍増す定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来日日月月に減じて今百分の一となれり、しらず教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮をたすけ給うか、地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり、くはしくは筑後房申すべく候。
 又追つて申すきくせんは今月二十五日戌の時来りて候種種の物かずへつくしがたし、ときどの(富木殿)のかたびらの申し給わるべし、又女房の御ををちの御事なげき入つて候よし申し給ふべし、恐恐。
六月廿六日     日蓮花押  中務佐衛門尉殿御返事
”引用おわり

引用はじめ”
太田左衛門尉御返事
弘安元年四月 五十七歳御作
 当月十八日の御状同じき廿三日の午の剋計りに到来軈拝見仕り候い畢んぬ、御状の如く御布施鳥目十貫文太刀五明一本焼香廿両給い候、抑専ら御状に云く某今年は五十七に罷り成り候へば大厄の年かと覚え候、なにやらんして正月の下旬の比より卯月の此の比に至り候まで身心に苦労多く出来候、本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら更に云云。
 此の事最第一の歎きの事なり、十二因縁と申す法門あり意は我等が身は諸苦を以て体と為す、されば先世に業を造る故に諸苦を受け先世の集煩悩が諸苦を招き集め候、過去の二因現在の五果現在の三因未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずるなり、在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて空理に沈み灰身滅智して菩薩の勤行精進の志を忘れ空理を証得せん事を真極と思うなり、仏方等の時此等の心地を弾呵し給いしなり、然るに生を此の三界に受けたる者苦を離るる者あらんや、羅漢の応供すら猶此くの如し況や底下の凡夫をや、さてこそいそぎ生死を離るべしと勧め申し候へ。
 此等体の法門はさて置きぬ、御辺は今年は大厄と云云、昔伏羲の御宇に黄河と申す河より亀と申す魚八卦と申す文を甲に負て浮出たり、時の人此の文を取り挙げて見れば人の生年より老年の終りまで厄の様を明したり、厄年の人の危き事は少水に住む魚を鴟鵲なんどが伺ひ燈の辺に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし、鬼神ややもすれば此の人の神を伺ひなやまさんとす、神内と申す時は諸の神身に在り万事心に叶う、神外と申す時は諸の神識の家を出でて万事を見聞するなり、当年は御辺は神外と申して諸神他国へ遊行すれば慎んで除災得楽を祈り給うべし、又木性の人にて渡らせ給へば今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給うべき、至門性経に云く「木は金に遇つて抑揚し火は水を得て光滅し土は木に値いて時に痩せ金は火に入つて消え失せ水は土に遇つて行かず」等云云。
 指して引き申すべき経文にはあらざれども予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか、然るに(南無妙法蓮華経の)法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、されば経に云く「此の経は則ち為閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん」等云云、又云く「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云、又云く「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等云云、取分奉る御守り方便品寿量品同じくは一部書きて進らせ度候へども当時は去り難き隙ども入る事候へば略して二品奉り候、相構え、相構えて御身を離さず重ねつつみて御所持有るべき者なり、此の方便品と申すは迹門の肝心なり此の品には仏十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明し給へば舎利弗等は此れを聞いて無明の惑を断じ真因の位に叶うのみならず、未来華光如来と成りて成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり十界の衆生の成仏の始めは是なり、当時の念仏者真言師の人人成仏は我が依経に限れりと深く執するは此等の法門を習学せずして未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。
 貴辺は日来は此等の法門に迷い給いしかども日蓮が法門を聞いて賢者なれば本執を忽に飜し給いて法華経を持ち給うのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思食す事不思議が中の不思議なり、是れは偏に今の事に非ず過去の宿縁開発せるにこそかくは思食すらめ有り難し有り難し、次に寿量品と申すは本門の肝心なり、又此の品は一部の肝心一代聖教の肝心のみならず三世の諸仏の説法の儀式の大要なり、教主釈尊寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は三世の諸仏と内証等しきが故なり、但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏も亦然なり、我等衆生の無始已来六道生死の浪に沈没せしが今教主釈尊の所説の法華経に値い奉る事は乃往過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり、有り難き法門なり。
 華厳真言の元祖法蔵澄観善無畏金剛智不空等が釈尊一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取りて本より自の依経に説かざる華厳経大日経に一念三千有りと云つて取り入るる程の盗人にばかされて末学深く此の見を執す墓無し墓無し、結句は真言の人師の云く「争つて醍醐を盗んで各自宗に名く」と云云、又云く「法華経の二乗作仏久遠実成は無明の辺域大日経に説く所の法門を明の分位」等云云、華厳の人師云く「法華経に説く所の一念三千の法門は枝葉華厳経の法門は根本の一念三千なり」云云、是跡形も無き僻見なり、真言華厳経に一念三千を説きたらばこそ一念三千と云う名目をばつかはめおかしおかし亀毛兎角の法門なり。
 正しく久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘させ給いて有りしが本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり、正法像法に出でさせ給いし論師人師の中に此の大事を知らず唯竜樹天親こそ心の底に知らせ給いしかども色にも出ださせ給はず、天台大師は玄文止観に秘せんと思召ししかども末代の為にや止観十章第七正観の章に至りて粗書かせ給いたりしかども薄葉に釈を設けてさて止み給いぬ、但理観の一分を示して事の三千をば斟酌し給う。
 彼の天台大師は迹化の衆なり、此の日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし、然に是くの如き大事の義理の篭らせ給う御経を書きて進らせ候へば弥信を取らせ給うべし、勧発品に云く「当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」等云云、安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す乃至天の諸の童子以て給使を為さん」等云云、譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云、法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争か梵天帝釈日月衆星も昼夜朝暮に守らせ給はざるべきや、厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎずたのもしきかなたのもしきかな。
 さては鎌倉に候いし時は細細申し承わり候いしかども今は遠国に居住候に依りて面謁を期する事更になし、されば心中に含みたる事も使者玉章にあらざれば申すに及ばず歎かし歎かし、当年の大厄をば日蓮に任せ給へ釈迦多宝十方分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり、又又申すべく候。
弘安元年戊寅四月廿三日 日蓮花押
太田左衛門尉殿御返事
”引用おわり

引用はじめ”
治病大小権実違目
  弘安五年六月 六十一歳御作
  富木入道殿御返事  日蓮
  さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ。
  今度の人人のかたがたの御さいども佐衛門尉殿の御日記のごとく給い了んぬと申させ給い候へ。
  太田入道殿のかたがたのものときどの(富木殿)の日記のごとく給い候了んぬ此の法門のかたづらは佐衛門尉殿にかきて候、こわせ給いて御らむ有るべく候。
 御消息に云く凡そ疫病弥興盛等と云云、夫れ人に二の病あり一には身の病所謂地大百一水大百一火大百一風大百一已上四百四病なり、此の病は設い仏に有らざれども之を治す所謂治水流水耆婆扁鵲等が方薬此れを治するにゆいて愈えずという事なし、二には心の病所謂三毒乃至八万四千の病なり、此の病は二天三仙六師等も治し難し何に況や神農黄帝等の方薬及ぶべしや、又心の病重重に浅深勝劣分れたり、六道の凡夫の三毒八万四千の心病は小仏小乗阿含経倶舎成実律宗の論師人師此れを治するにゆいて愈えぬべし、但し此の小乗の者等小乗を本として或は大乗を背き或は心には背かざれども大乗の国に肩を並べなんどする其の国其の人に諸病起る、小乗等をもつて此れを治すれば諸病は増すとも治せらるる事なし、諸大乗経の行者をもつて此れを治すれば則ち平愈す、又華厳経深密経般若経大日経等の権大乗の人人各各劣謂勝見を起して我が宗は或は法華経と斉等或は勝れたりなんど申す人多く出来し或は国主等此れを用いぬれば此れによつて三毒八万四千の病起る、返つて自の依経をもつて治すれどもいよいよ倍増す、設い法華経をもつて行うとも験なし経は勝れたれども行者僻見の者なる故なり。
 法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円は相似せり爾前の仏と迹門の仏は劣応勝応報身法身異れども始成の辺は同じきぞかし、今本門と迹門とは教主已に久始のかわりめ百歳のをきなと一歳の幼子のごとし、弟子又水火なり土の先後いうばかりなし、而るを本迹を混合すれば水火を弁えざる者なり、而るを仏は分明に説き分け給いたれども仏の御入滅より今に二千余年が間三国並びに一閻浮提の内に分明に分けたる人なし、但漢土の天台日本の伝教此の二人計りこそ粗分け給いて候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず、詮ずる処は天台と伝教とは内には鑒み給うといへども一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故なり、今末法に入りぬ地涌出現して弘通有るべき事なり、今末法に入つて本門のひろまらせ給うべきには小乗権大乗迹門の人人設い科なくとも彼れ彼れの法にては験有るべからず、譬へば春の薬は秋の薬とならず設いなれども春夏のごとくならず何に況や彼の小乗権大乗法華経の迹門の人人或は大小権実に迷える上上代の国主彼れ彼れの経経に付きて寺を立て田畠を寄進せる故に彼の法を下せば申し延
べがたき上依怙すでに失るかの故に大瞋恚を起して或は実経を謗じ或は行者をあだむ国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故或は自身の愚癡の故或は実教の行者を賎しむゆへ等の故彼の訴人等の語ををさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈日月四天等其の国を罰する故に先代未聞の三災七難起るべし、所謂去今年去ぬる正嘉等の疫病等なり。
 疑つて云く汝が申すがごとくならば此の国法華経の行者をあだむ故に善神此の国を治罰する等ならば諸人の疫病なるべし何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや、答えて云く汝が不審最も其の謂有るか但し一方を知りて一方を知らざるか、善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千性悪性善妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり瓦石草木の並び滋がごとし善鬼は天下に少し聖賢まれなる故なり、此の疫病は念仏者真言師禅宗律僧等よりも日蓮が方にこそ多くやみ死ぬべきにて候か、いかにとして候やらん彼等よりもすくなくやみすくなく死に候は不思議にをぼへ候、人のすくなき故か又御信心の強盛なるか。
 問うて云く日本国に此の疫病先代に有りや、答えて云く日本国は神武天皇よりは十代にあたらせ給いし崇神天皇の御代に疫病起りて日本国やみ死ぬる事半にすぐ、王始めて天照太神等の神を国国に崇しかば疫病やみぬ故に崇神天皇と申す、此れは仏法のいまだわたらざりし時の事なり、人王第三十代並びに一二の三代の国主並びに臣下等疱瘡と疫病に御崩去等なりき、其の時は神にいのれども叶わざりき、去ぬる人王三十代欽明天皇の御宇に百済国より経論僧等をわたすのみならず金銅の教主釈尊を渡し奉る、蘇我の宿禰等崇むべしと申す物部の大連等の諸臣並びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず若し崇むるならば必ず我が国の神瞋りをなして国やぶれなんと申す、王は両方弁まえがたくをはせしに三災七難先代に超えて起り万民皆疫死す、大連等便りを得て奏問せしかば僧尼等をはじに及ぼすのみならず金銅の釈迦仏をすみををこして焼き奉る寺又同じ、爾の時に大連やみ死ぬ王も隠れさせ給い仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ、大連が子守屋の大臣云く此の仏をあがむる故に三代の国主すでにやみかくれさせ給う我が父もやみ死ぬ、まさに知るべし仏をあがむる聖徳太子馬子等はをやのかたき公の御かたきなりと申せしかば穴部の王子宅部の王子等並びに諸臣已下数千人一同によりきして仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ結句は守屋討たれ了んぬ、仏法渡りて三十五年が間年年に三災七難疫病起りしが守屋馬子に討たるるのみならず神もすでに仏にまけしかば災難忽に止み了んぬ、其の後の代代の三災七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり、而れども或は一人二人或は一国二国或は一類二類或は一処二処の事なれば神のたたりも有り謗法の故もあり民のなげきよりも起る。
 而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑えず日本一同に日蓮をあだみて国国郡郡郷郷村村人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり、神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし、止観の十境十乗の観法は天台大師説き給いて後行ずる人無し、妙楽伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわきゆへにさてすぎぬ、止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず今日蓮が時具さに起れり、又天台伝教等の時の三障四魔よりもいまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり一には理二には事なり天台伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候、恐恐謹言。
  六月二十六日             日蓮花押

”引用おわり

病の起る因縁による、疾病分類6種類の病と病退治の方法
引用はじめ”
太田入道殿御返事
建治元年十一月 五十四歳御作
 貴札之を開いて拝見す、御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ、維摩詰経に云く「爾の時に長者維摩詰自ら念ずらく寝ねて牀に疾む云云、爾の時に仏文殊師利に告げたまわく、汝維摩詰に行詣して疾を問え」云云、大涅槃経に云く「爾の時に如来乃至身に疾有るを現じ、右脇にして臥したもう彼の病人の如くす」云云、法華経に云く「少病少悩」云云、止観の第八に云く「若し毘耶に偃臥し疾に託いて教を興す、乃至如来滅に寄せて常を談じ病に因つて力を説く」云云、又云く「病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む二には飲食節ならざる故に病む三には坐禅調わざる故に病む四には鬼便りを得る五には魔の所為六には業の起るが故に病む」云云、大涅槃経に云く「世に三人の其の病治し難き有り一には大乗を謗ず二には五逆罪三には一闡提是くの如き三病は世の中の極重なり」云云、又云く「今世に悪業成就し乃至必ず地獄なるべし乃至三宝を供養するが故に地獄に堕せずして現世に報を受く所謂頭と目と背との痛み」等云云、止観に云く「若し重罪有つて乃至人中に軽く償うと此れは是れ業が謝せんと欲する故に病むなり」云云、竜樹菩薩の大論に云く「問うて云く若し爾れば華厳経乃至般若波羅蜜は秘密の法に非ず而も法華は秘密なり等、乃至譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」云云、天台此の論を承けて云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く乃至今経の得記は即ち是れ毒を変じて薬と為すなり」云云、故に論に云く「余経は秘密に非ず法華を秘密と為すなり」云云、止観に云く「法華能く治す復称して妙と為す」云云、妙楽云く「治し難きを能く治す所以に妙と称す」云云、大経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王其の性弊悪にして乃至父を害し已つて心に悔熱を生ず乃至心悔熱するが故に徧体瘡を生ず其の瘡臭穢にして附近すべからず、爾の時に其の母韋提希と字く種種の薬を以て而も為に之を傅く其の瘡遂に増して降損有ること無し、王即ち母に白す是くの如きの瘡は心よりして生ず四大より起るに非ず若し衆生能く治する者有りと言わば是の処有ること無けん云云、爾の時に世尊大悲導師阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」云云、平等大慧妙法蓮華経の第七に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」云云。
 已上上の諸文を引いて惟に御病を勘うるに六病を出でず其の中の五病は且らく之を置く第六の業病最も治し難し、将た又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず就中法華誹謗の業病最第一なり、神農黄帝華佗扁鵲も手を拱き持水流水耆婆維摩も口を閉ず、但し(法華経文底独一本門寿量品本因妙の教主)釈尊(名異体同・御本仏日蓮大聖人)一仏の妙経の良薬に限つて之を治す、法華経に云く上の如し、大涅槃経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還りて正法に帰すること有れば乃至此の正法を除いて更に救護すること無し是の故に正法に還帰すべし」云云、荊谿大師の云く「大経に自ら法華を指して極と為す」云云、又云く「人の地に倒れて還つて地に従りて起つが如し故に正の謗を以て邪の堕を接す」云云、世親菩薩は本小乗の論師なり五竺の大乗を止めんが為に五百部の小乗論を造る後に無著菩薩に値い奉りて忽に邪見を飜えし一時此の罪を滅せんが為に著に向つて舌を切らんと欲す、著止めて云く汝其の舌を以て大乗を讃歎せよと、親忽に五百部の大乗論を造つて小乗を破失す、又一の願を制立せり我一生の間小乗を舌の上に置かじと、然して後罪滅して弥勒の天に生ず、馬鳴菩薩は東印度の人、付法蔵の第十三に列れり本外道の長たりし時勒比丘と内外の邪正を論ずるに其の心言下に解けて重科を遮せんが為に自ら頭を刎ねんと擬す所謂我我に敵して堕獄せしむ、勒比丘諌め止めて云く汝頭を切ること勿れ其の頭と口とを以て大乗を讃歎せよと、鳴急に起信論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり、嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠三論宗の元祖なり呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い立処に邪執を飜破し謗人謗法の重罪を滅せんが為に百余人の高徳を相語らい智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承く、七年の間薪を採り水を汲み講を廃し衆を散じ慢幢を倒さんが為法華経を誦せず、大師の滅後隋帝に往詣し雙足を挍摂し涙を流して別れを告げ古鏡を観見して自影を慎辱す業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す、夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言已今当の明珠諸経の頂に居す、経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」又云く「法華最第一なり」伝教大師の云く「仏立宗」云云。
 予随分大金地等の諸の真言の経を勘えたるに敢えて此の文の会通の明文無し但畏智空法覚証等の曲会に見えたり是に知んぬ釈尊大日の本意は限つて法華の最上に在るなり、而るに本朝真言の元祖たる法覚証等の三大師入唐の時畏智空等の三三蔵の誑惑を果全等に相承して帰朝し了んぬ、法華真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠して真言両界の螢火を顕し剰え法華経を罵詈して日く戯論なり無明の辺域なり、自害の謬悞に日く大日経は戯論なり無明の辺域なり本師既に曲れり末葉豈直ならんや源濁れば流清からず等是れ之を謂うか、之に依つて日本久しく闇夜と為り扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。
 抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も将た又檀那の所従なり身は邪家に処して年久しく心は邪師に染みて月重なる設い大山は頽れ設い大海は乾くとも此の罪は消え難きか、然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか、彼の闍王の身瘡は五逆誹法の二罪の招く所なり、仏月愛三昧に入つて其の身を照したまえば悪瘡忽に消え三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち兼ては又千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり、此の禅門の悪瘡は但謗法の一科なり、所持の妙法は月愛に超過す、豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや、此の語徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人一乗妙経は綺語の典なり名を惜しみ給わば世尊験を顕し誓を恐れ給わば諸の賢聖来り護り給えと叫喚したまえと爾か云う書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、
恐恐。
十一月三日 日 蓮花押  太田入道殿御返事
”引用おわり
引用はじめ” 法華取要抄
文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり、寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云、文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す先ず先例を引くなり、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云、神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以つての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云、薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云、涅槃経に云く「譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重し」等云云、七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり、此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り正像二千年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏多宝仏の証明は泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。〜
”引用おわり

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