おばさん
高校生のとき。一人で暮らす部屋が見つかるまでの少しのあいだ、
家に入れてくれた人がいる。
自分の息子が使っていた部屋にわたしを泊めて、
いつでも帰りを待っててくれた。
帰りの時間は教えてないのに。
玄関の外、オレンジいろの灯の下で。
ちいさな丸い円卓でご飯を食べて、
「かわいいね」ってわたしに言った。
向かい側から微笑んで、
何回も、何回も、何回も。
それはなにかの間違いだから、
ほんのちょっとでも動いたら、
そのバランスは崩れてしまって、
落胆されるって思ってた。
きっと絶対、きらわれる。
そう思って、こわかった。
あれから20年あまりが過ぎていき、
もう、会えないと思っていたから、こうして会えて嬉しかった。
会えるように、なるんだなあと、人生の流れを思った。
おばさんは、そして、わたしは。でも、もうきっと会えないことを知っていた。
これが最後かもしれないから、いや。最後になるだろうから。
おたがいにそのことを知っていた。
わたしたちに置かれた関係性を。
おばさんは、わたしに真っ直ぐに伝えてくれた。
「一緒に暮らした時のこと、ぜんぶはっきりと覚えてる。変な話だけど、何を作って食べたなあって、よく思い出してるの。献立も、ぜんぶ。」
「本当の親がいる前で、こんなことを言うのは憚られるけど、あなたはわたしの大事な娘。」
わたしと暮らした日々のこと「楽しかった」って、繰り返して。
何回も、何回も、何回も。
心臓に機械を入れている人は、
その影響で、弱っていても、はっきりと話せるらしい。
いつもきちんとしたおばさん。
家でも口紅をかかさないおばさん。
化粧をしていないおばさんをみるのは初めてで、
わたしの動揺は顔にも出ていた。
からだって、反応をしてしまう。
さきに、感じてしまうから。
わたしは、言えなかった。
ぜんぶを正直には伝えられなかった。
言葉までには、至れなかった。
おばさんもきっと、
きょうの前には、言えなかった。
言えない同士のわたし達で、その暗黙の了解で、これまで接してきたのだから。
だからこそなおさら、
これが最後なんだなってわかった。
タイムリミット、病室を出る前に、
両手をにぎって、「わたしもです」と
ひとつの音、ひとつの音に、
わたしたちを詰めこむような膨らみかたで。
ひとつの音、ひとつの音が、
しゃぼん玉のようにまんまるで、なかにわたしたちの暮らしがみえた。
おばさんの時間は、わからない。
わたしの時間も、わからない。
続いていくかもしれないし、
いかないのかもしれないし。
わたしたちは、もうまじわらないことだけがわかる。
あの日々一緒に暮らせたことが、どれだけ希有なことだったか。
泣いてしまうくらいにわかっている。
「雨上がりの虹が、そちらの窓からもみえるでしょうか」
メッセージは、名前を入れて30字。
人が和歌を詠んだ気持ちがわかる。
ひとつの音、ひとつの音の膨らみが。
もうおしまいと思っていたけど、
病室にお花を贈らせて。
お花なら。
そのくらいなら、許されて。