シェア
わたしの母は、わたしを産んで身体を壊した。 入院して離れていたから、可愛く思えなくなったと言ったけど、本当はそうではない。 嫌だったのだ。わたしが横入りした日から。 実際に、かなりの負担だったとも思う。 母は お腹の子に" 和枝ちゃん" と名前を付けて、それはそれは可愛がっていた。 和枝ちゃん、元気ですか? 和枝ちゃん、暑くないですか? 和枝ちゃん、会いたいです。 大好きな和枝ちゃん。妊娠がわかった日から、群青色の万年筆で、毎日日記を書いていた。 文通みたいに、話し
17才 部屋を借りる前の少しのあいだ 戦後すぐに建てられた、当時はモダンな鉄筋住宅。このあたりで一番古く、また高い。 駅裏の目立たぬ場所にある3階建てで病院にあるような屋上が付いていた。 まるでここは野戦病院。ここだけは聖域であるという、たなびく旗がみえるようだった。 ふた部屋が向かい合わせになっているタイプの造りで、唯一の向かいの部屋には借金とりが頻繁に来ていた。怒鳴り声は筒抜けで、うちのドアも凹むほどには何度か蹴られた。 (まだ病院や学校の保護がある段階で、なぜ
17才 優しくなった先生もいれば、嫌ってくる先生もいた。 課題が多いことで有名な世界史の先生に、 白紙のまま出した100枚の束には、Aプラス(最高評価)がついて返ってきた。 みかけたわたしに駆け寄って、両手を思いきり握りしめて何かを言われた。言葉は覚えてないけれど、その強く握られた感触は、今でもリアルに残っている。 かなり勉強して点数もよかった倫理では、評定が大幅に下げられた。 家庭科の先生には避けられた。 担任の先生にも同じくで、クラスメイトにお願いされて顔を出
14才 久しぶりにやっとの思いで登校した朝。 担任の先生に準備室に呼びだされ、すごい威力で殴られた。 身体は飛んで、壁でバウンドして落ちた。 「人生をなめんなよ」 「サボりがそんなに楽しいか?お前に将来はないよ!!!お前に入れる高校なんてひとっっっつもないよ!!!」 それをたまたま廊下からみていたaくんが興奮ぎみに、「井上、ふっとんでたね!人がとばされるとこ、初めてみたよ」と言った。 (わるい意味ではなくて純粋に。その後も思い出深い出来事として語られる) (そし
2才 一緒に住んでいた叔母のさっちゃんが羨ましかった。 さっちゃんには歌がある。さっちゃんはね、で始まる歌が。 わたしにもあったのに。わたしの名前で始まる歌が。 ここでは誰も歌ってくれない。 誰もわたしを呼んでくれない。 わたしのことをみてほしい。 誰かわたしに気付いてほしい。 ミシェルマベルと歌ってほしい。 ミシェルマベル、マイミシェル。 原田真二さんのキャンディが、すごくミシェルと似てるから、聞いていると、今がどこかがわからなすぎて、幼少期の危機だった。 ご
あの夜n君と会ったのは、久しぶりのことだった。 n君は幼稚園からの同級生で、小学校では席が近かった。 あれは6年生の夏。 掃除の班が一緒で、一緒にグラウンドにかけていく。 隅の方には白い登り棒が7本あって、 夏草の緑に映えてとてもきれい。 それぞれに掴まりながら、夕方に再放送していた、TVドラマの話をする。 お互いに楽しく見ていたから、いつもずっと喋っていた。 なのにその日の光景は、いつもと違うものだった。 ・・・あれ。おかしい。 もう届かないんだ。だって次元が違うん
17才 周りが浮浪をチクったことによる保険室の先生の誘導で、カウンセラーのいる心療内科に通わされる運びになった。 病院の先生は、うーん。。。と、考えた末に言ってくれた。 「本当はこういうことは出来ないんだけどね、、、いいよ。特別に。ここから学校に通っても。入院という形にはなるけれど。逆に言えばその形をとることで、あなたを守ることが出来る」 ちょうど、児童保護法?かなにかが改法され、18才未満は法的になかなか守られる感じになった時だった。 それで風向きは、ものすごく変わ
17才 高校で先生に「ちゃんと戸籍を見たことはある?」と確認された。 絶対に本当の母ではないよと 「あるんだからーーー世の中にはーーー知らないのは自分だけってことが」 ある一定以上の家庭環境に育った人たちの、そのような思考回路は理解できる。 、、、でも実際は、本当だから困っている。だからどこにも逃げ場がない。 本当のことは嘘っぽすぎて、誰にも信じてもらえない。だから誰にも言うわけない。 しかしそうです。凄いよね。 ある意味ではそうではなくて、ある意味ではその
17才 母はわたしへの嫌悪を隠さなかった。 普通に社会に出られてからでは遅いのだ。そしたら生きてしまうだろうから。 タイムリミットは迫っている。 もちろんわかっているから、だ。 ぜんぶわかってやっている。 だから畳み掛けてくる。 家の中でわたしをみると、まるでバケモノにでも会ったみたいに、比喩ではなくて叫んで逃げた。 ご飯はもちろん与えなかった。 家事する水も使わせなかった。 そしてその日はついに来た。 「わたしとこの子、どっちを取るの?」と母が父に迫った日。
"和枝ちゃん" だったはずのお腹の子は入れ替わった。 そこからは。もう呼ばれなかったよお見事です。 「なにかが違う」と感じたそうだ。 かといって別の名前も思いつかず、わたしはなにとも呼ばれなかった。 その通りだよ、そうだよね。 母の勘ってすごいよね。 みんなどこかで。あらゆるすべてをわかってるんだ。 わたしは予定日よりも出来る範囲で早く産まれてきた。ひかりの消える新月に。 肉体から離れてしまった、その年のうちに戻ってきた。 (しかし戸籍は翌年になっている。後ろめた
幼い頃からよく病院に連れて行かれた。 肉体との不調和には多くのエネルギーがとられたし、いつも体調は悪かった。 (寝かせておいてくれたらいいのに) 母はそれを許さなかった。 そこしれず感じているわたしへの気持ち悪さや違和感を、権威ある誰かにはっきりと認めてもらいたかったんだ。 耐えがたいよね、そうだよね。その気持ちは理解できる。 具合のわるい身体で連れまわされるのは辛かった。後になってわかったことだが、わたしは重度の薬剤アレルギーで、飲まされる薬でまた、何度でものたう