【3泊4日】寝台列車037Хセメイ→マンギスタウ【カザフスタン横断】
この記事はりんのテュルク旅シリーズの一部です。ウズベキスタンやカザフスタン、中央アジアの寝台列車に興味がある人はリンクをポチッと。
【概要】
カザフスタンの寝台列車037Хです。始発はセメイ駅。パブロダル、アスタナ、トボルを経由し、終点はマンギスタウ。この列車の予約クラスはクペー(Liegewagen)とプラツカルト(3等の解放寝台車)の2種類。いつも通り、クペーのベッドを4台買って1室占拠しました。今回は始発のセメイから終点マンギスタウまで乗車。2024年10月23日14時50分発車、10月26日08時54分到着、走行時間2日と18時間4分、走行距離約3240kmです。1室=ベッド2台分で合計175700テンゲ。予約方法についてはこちらを。
詳しい経路はこちらの地図を。
【セメイ駅】
前回の列車で到着した駅と同じ駅から出発です。長距離列車の駅が1つだけだと間違うリスクがなくてありがたいですね(田舎民)。入口ではいつもどおり荷物チェック。駅舎はとても小さいですが、一応待合室と切符売り場、トイレ、2階には軽食屋もありました。
ここでは詳細は書きませんが、この駅は少々警備面で厳しかったという印象がありました。ワシの勘違い、もしくはたまたま何かしらの行事や事情(お偉いさんが来る、デモなどが予定されていて警戒中など)とぶつかったのかもしれませんが、お国柄的にも写真撮影や公共の場での行動には厳しめな国なので気をつけて損はないかと。まあロシア国境近いですしね。あと観光客がいっぱい来るようなところでもないし。
ちなみに駅前にもローカル食堂がありお茶を飲みに入りましたが、団体客がいて、DJセットみたいなの広げたと思ったら踊り始めました。カオス。でもこういうのっていい旅の味。
【いざ乗車&車内ツアー】
ノヴォシビルスク行きの車列の中にロシア鉄道の客車を見かけて感動したりしつつ待合エリアのイスに座り大人しく待つことしばらく、やっとワシの列車が到着するらしいという雰囲気に。入口で荷物チェックをしてるおじちゃんが親切で、待っている間からずっと、あの列車じゃないよ、あと20分くらいで乗車開始だと思うよとか、気にかけてくれました。おじちゃんのGOサインも出たのでお礼を言っていざ乗車。毎度恒例、自分の車両を見つけたら入口で車掌さんにチケットを見せて通してもらうという手順です。
客車は新型のもの。レトロ感はないですが、ぱりっと感もいいですね。たしか一昨年辺りにカザフ鉄道がフラッグ路線的な立ち位置でラウンチしたものだった気がするので、力を入れているんでしょうね。そしてなんと、クーペなのに支給品が!
歯ブラシなどの入ったアメニティとお茶セット。ウズベキスタンもでしたが、砂糖の量がおかしい。インスタントコーヒー(茶色の袋)もめっちゃ甘かったです。
もちろんリネンも支給されます。もう6本目になるとベッドメイクもお手の物。
コンセントは反対側(窓側)に各ベッド1つずつあり、ちゃんと稼働してました。当たり前なような気もするけど、とても大事(DB、お前のことだぞ)。
そしてここはカザフスタン。もちろんいました、給湯器!
トイレは撮り忘れてしまったのですが、お外にポイしない子でした。まあこの洗面台と同じ雰囲気のもの。
【食堂車】
そしてこの列車には食堂車もあります。インスタント食品やお惣菜だけで過ごすこともできますが、食事らしい食事が取れるのは大きな違い!早速食べにいきましょう。ちょうど夕食時で、入るとすでに複数グループが食卓を形成していました。テーブルの一つに座っていたおばちゃん二人が従業員さんのようで、席につくとメニューを持ってきてくれました。
アスタナ→セメイの列車とは打って変わって、食堂車であることを考慮すると庶民的なお値段。なのに内装は古き良き食堂車の伝統を受け継ぎきちんとおめかしといったところ。カーテンの色も刺繍もカザフみが溢れていて高得点。
【エピソード①食堂車のおばちゃんズ】
食堂車を切り盛りするおばちゃん二人組もなかなかの猛者でして。
この二人は注文をさばいているとき以外は基本空きテーブルで待機しているか、そのへんの客に絡んでいる模様。ビールを持ってきてくれたタイミングで世間話が始まる。
おばズ 「アスタナ?どこまで乗っていくんだい」
ワシ 「マンギスタウ」
おばズ 「は?仕事か?」
ワシ 「いいえ、ワタシ観光客」
おばズ 「…?何すんのさ」
ワシ 「カスピ、見る。ワタシ、鉄道スキ。コノ列車、長く走る。3晩!スバラシイ!」
ワシのロシア語が下手くそなせいかもしれませんが、乗り鉄とか撮り鉄という概念はあまり普及していないのでしょう、は?という顔をされるのが常です。おばズ、そこは見事にスルーして出身や職業、配偶者や子供の有無などズケズケ聞いてきます。この時点では慣れていたのですが、ウズベキスタンもカザフスタンも、結婚や子供、出身地や国籍について普通に聞いてきます。ドイツだと気を使うポイントなのでちょっとびっくりしましたが、多分そういう文化なのでしょう。悪気は一切ないと思います。
別に隠す必要もないので、日本出身、ドイツ在住、職業はプログラマ、未婚、子なし、親族は日本在住、留学したドイツが気に入ってそのまま住んでいる、休暇で旅行中、ウズベキスタンから流れてきて終点マンギスタウまで乗車、イスタンブルに寄ってドイツに帰国の予定、趣味は寝台列車、ロシア語勉強してるのはただ単に面白そうだから、ちな猫狂い(家に猫はいないが)、と個人情報をすべて吐く。その他にもいろいろ関連の質問を投げられては限られたロシア語力で答える。もはやこの二人が何かしらのエージェントであってもおかしくない。尋問、いやスパルタロシア語会話練習である。
ちょうど斜め後ろのテーブルには軍人さんグループが座っており、大絶賛宴会中。ものすごいペースでウォッカを注文していく。おばズ、通常は退席時にまとめて会計なのを、このグループに限っては注文する度に決済する方式に変更。カザフスタンも大酒飲みが多いとは聞いていたけど、圧巻の光景。昔のドイツの学生寮で見たような光景で懐かしいような、あんなペースでウォッカがはけて行くのはフィンランド人留学生主催のウォッカパーティ以来なような。最初は少し警戒したものの、内輪で盛り上がっているだけで絡んでこないのでヨシ。
なお酒が進んだ結果暑くなったのか窓を開けようとしたようで、そもそも全窓開かない仕様なのかそこの席の窓は非常時以外開かないのか、オババたち(=この食堂車の統治者)に「開けんな!」「開けんなっつってんだろ!」と鎮圧される。このオババ二人、ただものではない。おそらく逆らったらそのまま荒野に投げ捨てられる。おとなしくしていれば気のいい豪快なおばちゃんである。
【エピソード②食堂車で相席】
食堂車でビールを飲み、心ゆくまで寝て、日がな一日ごろごろし、グータラしつくし、空が暗くなった頃再び食堂車へ。前日のおばば二人は健在。乗員の入れ替えはされないのだろうか。
また一人で空いているテーブルにつき、マンティとボルシチを注文する。
おばば 「それなら、今日はマンティないからペルメニにしときな」
まあ、マンティ(中央アジア風の餃子)とボルシチ(スープ)の中間はペルメニ(前述の画像参照)なのかもしれない。
待つことしばらく、一人の男性が相席いいかときいてきた(のだと思う、振る舞い的に)。他に空いているテーブルがなかったので了承。そして少々後悔。こいつ、出来上がってる。
案の定絡まれる。なにか言っているがカザフ語(おそらく)で何もわからない。わからないとロシア語で言うと、ロシア語に切り替わる。ああどうしよう、面倒くさい。そうだ、ロシア語、実際に少ししかわからないけどもっとわからないふりしよう!次の駅まではしばらくある。ネット環境がなければグーグル翻訳もできず退散するに決まっている!
そうしてロシア語ほとんど一切わかりません作戦開始。ペルメニが来た。これを次の駅までに食い終わるかの勝負だ。しかし粘る酔っぱらい。そうこうしているうちに仲間が二人も来てしまった。完全に包囲された。しかもそのうちの一人はちょっと英語がわかるときた。
満員御礼の車内、おばば二人は忙しく歩き回る。よくきくと、客が何を注文しようが「今日はないよ、ペルメニにしな」と答えているような気がする。全部ではないので、ペルメニ以外にも一部メニューは提供されている模様。しかし、この平原のどまんなかで飯を出してくれる段階でありがたいのである。
3人組と話は進む。どうやら3人とも年の頃はワシとほぼ同じらしい。名前交換をする。新しい文字列ばかりで、カザフの名前ってなかなか覚えれない。しかしそれは、相手にとって日本の名前も同じのようで。趣味やら何やら話してくるが、あくまでもわからないふり作戦を突き通す。そこへ食堂車のおばば登場。
おばば 「この子は日本出身、ドイツ在住。職業はプログラマ。ドイツで大学行ってそのまま住んでるんだってさ。観光客で終点まで乗ってくよ」
とまあ盛大に個人情報大公開。それはいいのだけど、おばばとこのやり取りが成り立ったということで実はそれなりに言葉通じるということがバレてしまう……ことはなかった。3人とも、そこは気づかなかった模様。
そしておばば、プラスチックの容器(詰替えのシャンプーとか入ってそうな形ではあるものの、プリントで食品とわかるもの)の筒状の口をこちらに向けて佇む。
おばば 「スメタナ入れ忘れちゃった」
プラスチックの袋状の容器を押して、ドポンドポンと我々のペルメニの丼にスメタナを投下していく。
なおこのあと職業の話になり、この3人組は機関車の運転手だったことが判明。新型のディーゼル機関車からみた線路の動画とか見せてくれたという。ウキウキでВЛ80の写真を見せて「コレ、トテモ、スキ!」と言うと三人揃って「え、なんでそれ…」という反応。まあワシも今ドイツでうろちょろしてるICEや機関車にはときめかないので、そんなものなのかなと。
【エピソード③暇を持て余した乗客向けアトラクション】
そんなものがあるのか?と思ったことでしょう。運がいいと同じ列車に乗っているのですよ。カザフスタンのニンゲンに見えるが何と正体はドイツ在住の日本人(チョットダケロシア語通じて微妙に意思疎通ができる)(3泊4日のこの路線を始発駅から終点まで乗りとおす)(動機を訪ねると「おで、レッシャ、スキ」と供述している)というアトラクションが。
食堂車のおばば二人組かどこかで触れ合った乗客から別の乗客へとワシの存在がリレーされたのでしょう、停車中に外に出たり自室(コンパートメント)のドアを開けていると来る人来る人が「あ!アンタがあの日本人か!」と話しかけてくる。プチ有名人。もしくは珍獣。多分ロシア語が全くできなかったら有名になってなかったと思います。だって会話が成り立たないから。まあある程度話が進むと成り立っていたとは言えないレベルだったんですが、それが逆に「どうにか理解させて回答を得る」クエスト感があって楽しかったのかもしれません。あと髪がものすごい長いので、見た目はカザフ人でもすぐわかる存在だったというのも。
ウザいと言えばウザいのですが、旅の醍醐味という感じもありました。あとめちゃくちゃロシア語の練習になった。そしてもっと勉強しようというモチベーションにも。ごく簡単な話以外はできないので情報交換とか意見交換にはなっていないものの、ほんの少しでも言葉ができるとこんなに「世界」が広がるのかと。物理的には、現地の人と言葉を交わさなくても「世界中」どこにでも行ける。けれど、踏みしめる大地や見渡す景色として以外の「世界」はやはり言葉がないとアクセスできないのかもしれない。こんなポンコツなロシア語でも、持っていなかったらこの奇妙なロシア語演習(会話)もなかったわけで、今でもこのときのことを思い出すと蘇る「あたたかさ」は、ロシア語なしには得られなかったに違いない。それとやはり、少しでも言葉が通じる(≒歩み寄る意思がありそう)となるとよく接してもらえる可能性が増えるというか、少なくとも邪険にされるリスクは減るのだろうなと。
これは今回の旅を通してずっとそうだったのですが、ロシア語が分からないことがあっても、見下したり冷たくする人には遭遇しませんでした。ワシのダメダメなロシア語も根気よく聞いてくれる。日本語や英語、ドイツ語でこちらに「歩み寄ろうとしてる」人に出会ったら、同じく「あたたかく」接したい。
【意外と暇しなかった】
3泊4日。小学校の修学旅行くらいの時間になりますし、一つの列車の中で過ごすとなると飽きないかと不安になりますよね。そう思って本とか編み物セットとか持ち込んでたんですが、結局出番なし。何もない平原を見つめてぼーっとするなり妄想するなり旅を振り返るなりして、気づいたら寝落ちしていたり。一人が好きな人にはたまらない孤独かと(Lonelinessではなくsolitudeのほうね)。列車のガタンゴトンがたまらない。
ふと、子どものころに一生に一度でいいから海外旅行というものをしてみたいと思ったことを思い出した。このことは普段の生活でも思い出すのだけれど、海外旅行どころか海外(ドイツ)に住んでいて、その上ルーマニアやイスタンブルなどに通い、たくさんの地図上でしか見たことのなかった土地に行き、今やカザフスタンの平原を寝台列車で横断中。こんなこと、こどものころには想像だにしなかったなと。
生まれたタイミングがよかったなあと。人生これまで第一希望じゃない道を取らざるを得なかったこともあったし、後々になって違う境遇の人たちは
もっと(いい)選択肢を持っていたのかと愕然としたこともある。けれども、この経路もよかったのかもしれない。どこかの分かれ道で違う道を行っていたら、カザフスタンの平原で孤独を楽しむなんて贅沢はできなかったかもしれないから。人生、塞翁が馬。
【マンギスタウ駅】
次はイスタンブルか。去年行ったガラタ橋北側のサバサンドの屋台(というか、家庭用?なグリルコンロと材料置く机があるだけ)はまだあるのかなとか考えながら寝落ちすると、気づいたら朝。定刻で終点マンギスタウ到着。
しかし到着したのは駅舎すぐのホームではなく1本隣。これはまたホームの端っこまで行って薄っすら舗装されてるところで跨げということかとがっかりしていると、他の乗客たちがすぐ隣の列車に乗り込んでいく。いや、乗り込んでいるのではない、通り抜けているのだ。これはカザフスタン名物・列車通り抜けではないか。もちろんやる。ちなみにこの間にタクシーオヤジにロックオンされる。断るもついてくる。そして列車通り抜けのときに荷物を持ってくれたりする。しかし乗るつもりはないのである。もうそうやってずっと断っているのである。しかし荷物の取り回しを手伝ってもらうと断りにくいのである。ちょっとくらいなら相場より高くてもと思ったものの、値段を聞いてみると死ぬほどボッているので却下。路線バスに向かいます。
サマルカンドでバスを探せなかった以降、一度使ったら病みつきになったYandex GOをずっと使っていましたが、ここにきて市バスの実績解除。マンギスタウ駅からアクタウの街まではけっこう離れているのですが、運賃なんと95テンゲ。20ユーロセントにも満たない。やさしい!
【カスピ海を見た】
市バスに揺られること1時間弱、ついにアクタウの街に到着。近くにバザールを発見。もちろんローカル食堂に吸い込まれます。
燃料補給も済んだことだし、天気はあいにくの小雨ですが、カスピ海を見に行きます。
多分夏なら近くのレストランなどもにぎわっていたのかなという雰囲気。しかしこの寒々とした姿もよい。
ちなみにカスピ海を航行するフェリーもあり、人間が乗れる場合もあるようです。アクタウ-バクーとトルクメンバシ-バクーが旅人の中では一番有名かも。調べたところによると、実際に旅客扱いもしているらしいけれど、メインは貨物で、決まった時刻に出向するというものではないよう。積み荷がいっぱいになったタイミングで人間も乗せて出発というか、そういう感じらしい。ちなみに天気が悪いと港に入れなかったり出れなかったりで1週間待ったなんて話も。でもいつか乗ってみたい。
【まとめ】
ものすごい感動!人生が変わった!というわけではありませんが、心の中にじーんとの残る旅になりました。カザフスタンは広いスタン。列車を楽しむには最高です。