デザイナーが思うセンスの話
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
infocomのUXチーム、デザイナーの吉野です。
今回新たにチラシの裏的なもので記してみようと思います。
身近にある「センス」
生きていればそれとなく「センスあるね」「センスいいね」「センスのかけらもない!」のように、おおよそ一度は口にしたり耳にしたことのある、誰にとっても身近な存在がセンスです。
デザイナーとして身近に見聞きするものはアートのような表層的意匠・造形のような意味合いを含むケースが多くありますが、デザインのもつ意味が表層だけを指すものではないのと同様に、センスもデザイン的な意味合いだけで利用されるものではありません。
選んだお店に対してだったり、本や記事のオススメだったり、味付け、運転など、ものすごく多岐に渡って使用されていますよね。
センスについて今一度調べてみる
これまでセンスについて調べたことはありませんでしたが、いざ調べてみると思いの外多様な書かれ方をしている印象でした。
その中で、Weblio辞書に記載されていた内容でなるほどと思ったのが理解や判断という部分で、センスは天性のような使われ方をする場合が多い気がするものの、天性とは真逆の地道に培われたものなのではないかと考えていたことと近い表現のように思いました。
センスとはなんなのか?
確かに天性的な感覚などは含むのでしょうが、センスとは生きてきた中で目や耳にした知識や見て触れて感じて得た経験の蓄積が大半で次のように考えています。
知識や経験が蓄積されたものは、良し悪しの判断基準として培われます。
その良し悪しの判断基準がわかる、判断基準を以て良し悪しを推し量れる状態こそがセンスがセンスたる根源ではないかと思うのです。
この状態だと、自身の中の基準と世間一般の基準との比較で、いわゆる普通や一般的のような平均点がわかるようになり、意図的に良いとされる状態に仕向けていけると、それこそビジネスとしても活かしてもいけるほどの「センス」になるのではないでしょうか。
以上から、センスは知識や経験により培われた基準で物事の良し悪しを判断できる力なのだと考えています。
さいごに
繰り返しますが、生まれ持った要素は確かにあります。
そして得手不得手もあるのは間違いないでしょう。
それでもセンスの多くは培うことができるものとすると、何に対しても「センス」をもてる可能性はあり、戦略的に学んだり体験を積んだりができるということになります。
センスがない!と諦める前に、培えるものだと自分の可能性を広くもって、センスがよいねと言われる機会を増やしていけるようにしたいものです。