雑誌の精神をどうWebで実現するか?:『Next EditorShip:80-90年代を創った雑誌をデコードせよ! AI時代の編集力を考える。』イベント・レポートPart4
Webが雑誌を代替できていない領域とは?
小林弘人(以下、小林):情報源が雑誌しかなかったというのはその通りで、雑誌が売れていた要因としても大きいと思います。ただ、情報メディアとして今のWebにはできていないこともあって、その一つに深掘りがあります。たとえば、音楽の特集なら、ジャンルの歴史を紐解いたり、おススメの名盤を紹介したり、写真の特集なら、写真家の系譜や写真集を紹介したり、そういう形で「これ1冊読んでおけば、とりあえずわかります」という提示ができた。僕は「Deep Dive」と呼んでいるんですけど、書籍よりも手軽に網羅的に深く潜れるのが雑誌の特徴なんですね。
その意味で雑誌は、読者の代わりに文化的、社会的な地図を描き出していた知的エージェントだと思います。編集部員にもよく、「僕らは読者のエージェントなんだから、読者が欲しいものをどうやって集めて、どう体系的に提示できるかを考えよう」と話していました。その点でWebは、伝える情報がバラバラになってしまう。ロックの系譜図とか、文学の流れとか、雑誌を介してつながっていた知の歴史の線に、Webが浸透する以前と以降とで大きな断絶があると思います。
尾田和実(以下、尾田):そうですよね。『GIZMODO JAPAN』では、「ガジェットとは、未来の目利きである」とスローガンを付けているんですが、メディアは、何かの未来の目利きになる存在としてあると思っていて。日本人は雑誌が大好きだったじゃないですか。それは、深堀りするという雑誌のスタイルが、すごく性に合っていたんだと思うんですよね。
最近、僕はジャズを聴くようになったんですけど、過去の雑誌や本を読むと、明らかにWebにある情報より昔から書いてるライターさんの記述のほうが詳しいんですよ。Webをソースにしたら、絶対にわからないようなことがいっぱい書いてある。
小林:Webで検索しても、「初心者が聴くべき名盤」みたいな記事はいっぱい出てきますけど、どこも似た情報ばかりで、深くはわからないんですよね。歴史の糸をたどるようなことは、線形に読み進めるからこそ得られることだと思う。Webはどうしても、途中でリンクを飛ばしたりするので、非線形なんですよ。ユーザーがザッピングして情報を得ることになるから、知の継承には向いていない。ヒントは与えてくれるけれど、そこから先はお前がもっと深く考えろとか、生きてる人に聞きに行けとか、宿題を出してくるのがWebだと思う。
尾田:Webは文脈が見えにくいですよね。編集長をしている『FUZE』もそうですし、僕が以前サイバーエージェントで運営していた『SILLY』というメディアでも、90年代雑誌的な文章が長くて、深い細かい話を聞き出した記事を意識的に出していました。
マニアックな話やオタク的な知識を深掘りするのは、本来は日本人は得意なはずなんですよ。だけど、Webだとそういう側面はあまり出ていない。
小林:難しいよね。長い文章はなかなか読まれにくいし、途中で離脱されちゃったりする。じゃあ動画にすればよいかというと、それもまたどうなんでしょう。Webでも統合した形の見せ方を考えて、PV数よりも滞在時間の長さを誇るようなメディアをつくれたら面白いと思っているんですが、どうやってデジタルでそれを実現するか。
尾田:日本人は凝り性ではあるとは思うんですけどね。それなのに海外から評価されるくらいの日本のメディアは、あんまりないなという気がして。
小林:今そういうのをつくろうとしたら、サブスクリプションサービスとして、有料会員しか読めない形になるかもしれませんね。1号からバックナンバーがすべて読めるようなサブスクモデルは、海外雑誌にもありますね。そうしたビジネスモデルは、ちょっと考えたいところですね。
雑誌には「同時代精神」が宿っている
小林:そうですね。振り返って昔の雑誌を読んでも、何かを得るのは難しいと思っています。というのも、雑誌というのは時代精神を表しているんです。そのときどきの精神や空気を全部切り取って、テキストや写真、レイアウトで提示しているから、今から読んでも考古学的な勉強になってしまう。
だから、もし同時代性を感じられる雑誌があるんだったらそれを読んだり、まず自分が好きな分野や興味のあるテーマから入っていったりするのはありかもしれない。とはいえ、それも書籍を読むような感じかな。雑誌の軽やかさや自由さというのは、今はだいぶ失われちゃったんじゃないかなと思います。どこに行ったんでしょうね。
尾田:どうなんですかね。その当時に有名になった編集者が今の若者だったら、間違いなくYouTuberだったろうなと思うことはあります。当時の編集者にニアリーなのは、今は編集者よりもはやYouTuberかなと。
小林:ただ、雑誌には才能を発掘してアサインする喜びがあって。僕は『WIRED』日本版の編集長をしているとき、有名なライターを使うよりも、無名な人と仕事していたんですよ。新たな才能を自分で見つけたかった。
そういうアサインする力。ある種の人間力だったり、目利き力だったりが問われていて、映画監督に近いかな。役者を誰にするか? 劇伴の音楽家は? カメラマンは? と自分でアサインしていく欲望は、YouTuberと違うんだよね。YouTubeは自分の知識だけでもある程度突破できるんだけれど、雑誌にはいろんな人間を巻き込んで一つのプロジェクトをつくっていく要素がある。もちろんYouTuberによっては、それもしていると思いますけど。
つくり手の「顔」をWebメディアでどう出すか
尾田:雑誌は、雑誌そのものだけが見られているわけじゃなくて、実は裏にいる「人」が見られているんですよね。知識も、自分が影響を受けた人からの情報が基盤になっていたりしますよね。人ベースの考え方で、メディアは見られている気はしますね。
小林:それはWebでも実現できるんじゃないですか。僕が大好きなWebサイトに、『HackerNoon』というのがあります。これは、書いてるメンバーが全員、株主みたいな形で関わるメディアで、ブロックチェーンを初期から解説していたり、ディープ・テックの解説をしたりしていて、高度だけどすごく面白い。何より書き手の息づかいが伝わってくる。そうした全員が共同発行者になるような新しいビジネスモデル、新しいやり方もあるんじゃないかなと思います。
『HackerNoon』は、一人ひとりが深い記事を書いているだけじゃなく、全体としてのクオリティーがやたら高いんですよ。それがブランドとなって、「ここで書かれていることは信じられる」と思って読みに行くんですよね。
尾田:面白いですね。思い返すと、90年代に音楽雑誌の編集者だったとき、僕は60年代の音楽が好きだったんですよね。70年代、80年代だと時間的に近すぎて、あんまり差異を見いだせなかったけど、60年代だと30年ぐらい前になるので、もうえらく違うんです。そこに興味津々だった気がします。
今、よく90年代の特集をやっているのは、その感覚に近いというか。2020年代という今現在を指標にすれば、30年前は90年代になります。僕がビートルズがどうレコーディングしていたかに興味を持っていたように、当時の雑誌編集者はどうしていたのか、若い人も興味があるのかなという気がします。たとえば、ミュージシャンが死後に再評価されることは、よくありますけど、時間が経過しないと見えてこない構造的な部分というのはある。
小林:なるほど。かつての編集者は、収集する知の欲望みたいなものを持っていて、好奇心の権化みたいな存在感だったんじゃないかな。
それとすごくベタだけど、「伝えたい愛」のようなものがあった。昔、ニューヨークに『ID』というデザイン雑誌があったんですけど、「タイヤ」を特集しているんですよ。タイヤのデザインがいかにすごいかとか、タイヤのパターンがどうやってつくられているかとか、ニッチなテーマを掘り下げていて、そこには愛しか感じない。それが勉強になるし、やっぱり重要なのは人に伝えたい愛ですね。
尾田:昔は極端なものが多かった気がするんですよね。今は均されて、金太郎飴的に均質化してしまいやすい構造になっているけど、それがなかった過去の雑誌には、粗があったり奇妙さがあったりして、そこにつくり手の愛がのぞき見えていた。これは今でもそうかもしれませんが、人から注目を集めて共感されるものには、それがある気がしますね。