新聞記者、雑誌編集者を経たコンテンツディレクターが抱く「言葉」に対するこだわり
地方自治の研究者から、新聞記者への転身
――佐藤さんは、もともと学生時代から記者職や編集職に興味があったのでしょうか?
いや、仕事の振り出しは政治学系の研究者でした。大学で地方自治について勉強していて、大学院に進んで公共政策をテーマに修士号を取ってから、その流れで自治体職員系の調査研究機関に入りました。だから、20代のほとんどは研究者として過ごしていましたね。
――「地方創生」のようなことに興味があったのでしょうか?
まだ「地方創生」という言葉が出る前の時期でしたが、大学のゼミの説明会で自治会・町内会について熱く語る行政学の教授がいて、「こんなことを研究している学問があるんだ!」と感銘を受けたのが始まりでした。
もともと趣味として、子どものころから地図や地理が好きだったんです。雑誌で言えば『散歩の達人』のような世界ですね。地域の特色とか、地政学的な話とか、そういった興味の視点が地方自治にハマったんだと思います。
――具体的にはどのような研究テーマだったのでしょうか?
公共政策や行政学の中でも、地方自治制度に関する近現代史を研究していました。修士論文では、主に東京都を対象に都区制度の近現代史を調べ、その延長線上で研究を続けていました。なぜ東京23区が生まれたのか、どう23区のエリアは決まったのか。近い領域にある都市社会学、都市工学、歴史学なども勉強しながら、研究に取り組んでいましたね。
――そのまま研究者としてのキャリアを歩んでいきそうですが、記者に転じられたのはなぜでしょうか?
論文の執筆、研究会の運営、年4回発行する機関誌の企画・編集など、いろいろな活動をしていましたが、研究生活の中で僕が最も引き込まれたのは「文章を書く」=「言葉を連ねる」ことだったんですよね。同時に、良い文章を書くには、机上で考えてばかりで社会経験があまりに少ないと感じていたんです。
それで30歳を迎えるにあたってビジネスの世界を見てみたいと、IT系コンサルティングファームで公共コンサルに携わったあと、縁あって自治体専門の新聞社に入りました。記者としてのスタートはそこからです。担当は基本的に都内自治体で、都庁や都内区市町村に毎日入り込んでいって、幹部職員や議員にガンガン突撃して取材していました。自治体を参与観察(調査対象の現場に入り込んでリサーチする手法)するような感覚でしたね。
――新聞記者はハードな働き方をしているイメージですが、実際のところどうでしたか?
記事にすべきネタはどんどん出てくるので、忙しかったですね。自治体が公表するリリースをもとにしたベタ記事も書きつつ、週1回の編集会議でネタ出しをして、取り上げると決まったら取材して回る生活です。足を使っていると表に出ていない話がたくさん手に入るので、それを切り口にどんどん記事にしていました。
小池百合子都知事が初当選したタイミングで入社したんですが、政治状況的に都議会も揺れていて。日をまたいだ深夜3時ごろまで議会の動向を見守ったあと、1~2時間だけ寝たらすぐに執筆に取りかかるようなこともありました。やっぱり常に締め切りに追われ続けるハードさはありますね。
あと、突発的に何か不測の事態や事件が起きたら、すぐに駆けつけます。たとえば、台風で多摩川が氾濫したことがありましたよね。そういうときは記者の使命として、速報性を持って報じないといけない。現場に行って写真を撮ったうえで、どういう被害があったのか、それに対して自治体がどう対処したのかを取材して記事にします。
――あらためて記者は大変な仕事ですね。
厳しい職場でしたし、記者になるのが30歳過ぎと遅かったんですが、自治体にまつわる専門知識があったことは、仕事をするうえでも活きました。
新聞社で働いて最も良かったのは、文章を書く基礎を身につけられたことです。新聞には特有の作法があって、用字・用語や文法のフォーマットもある程度決まっています。そうした基礎をしっかり固めたうえで、プラスアルファとして自分の色を出していけるようになりました。その新聞社には、百戦錬磨の腕っこきの記者がたくさんいて、そうした先輩たちに鍛えられたことは、今までのどの仕事の中でも一番自分のためになっています。
文章に対する記者の視点/編集者の視点
――記者から編集者になったのは、どのような経緯でしょうか?
記者としての仕事は充実していたんですが、東京都が中心だったので、全国の自治体を扱いたいという想いが湧いてきたのと、同じ文章でも雑誌や本にも関わってみたいという気持ちがあって、同じように行政を専門にする出版社に転職しました。
自治体職員を主な読者にした月刊誌の編集部にいて、仕事内容は記者職が3分の1、編集職が3分の2という感じでしたね。誌面づくりのベースは有識者に依頼して寄稿いただくことですが、自治体の取り組み事例などを取材して自分で記事にすることもよくありました。
――文章を扱う仕事であっても、記者と編集者ではかなり違いがあると思いますが、そのあたりはいかがでしょうか? 特に新聞と雑誌では、企画の立て方などが違いそうです。
そうですね。企画力は出版社で鍛えられましたね。新聞はネタが企画そのもので、雑誌の特集のような形で企画だけに集中することはあまりなかったので。その月刊誌では、地方創生や社会福祉、環境問題など時事的な社会テーマをメイン特集で扱いながら、サブ特集で自治体職員のキャリアや日頃の実務に役立つような企画を並行して考えていました。
――記者と編集者と両方を経験する中で、どちらのほうが好きというのはありますか?
どっちというのはなくて、両方とも好きです。それぞれで視点はやっぱり違いますが、編集するときには書き手の目線でチェックしているかもしれません。文章には書き手の気質や思想が表れるもので、それは読んでいくとわかります。
書き手がゼロから書いた原稿には、その人が言葉を並べて構築したストーリーがあるわけなので、極力、余計な赤字は入れたくないんです。構成案通りが正解とは限りませんし、テーマに沿ってきちんと文脈がつくられているなら、書き手の考えを最大限に汲み取ったうえで活かしたいなと常に思っています。
――記者をされていたので、「これならオレが書いたほうがいいや」と大幅に書き直されることも多いのかと思いました(笑)。
そんなことはしませんよ(笑)。ただ、実際には気づいたらかなりの量の赤字を入れていることはありますね。どうしても「この文章は基本がなっていないな」というときはあって、編集者としてブラッシュアップさせていく必要があるので。でも、少なくとも気持ちのうえでは、できるだけ活かすようにしています。
――少し話が脱線しますが、ライティングが上手くなるために勉強されたことはありますか?
記者になった当初は、とにかく記事を読み漁りましたね。いろいろな新聞記事や雑誌記事を読み込んで、自分でも記事を書いていくうちに、文章の定石や型に気づいていきました。ここはこの格助詞だなとか、ここには読点を入れるなとか。
――新聞記事の書き方に慣れると、逆に冗長な文章は書きにくくなりませんか?
あまり良くないことですけど、確かになりましたね。月刊誌に入った当初は、掲載されている記事を冗長に感じる感覚はありました。わかりやすいところだと、雑誌と新聞では見出しの付け方ひとつ取ってみても違いますよね。雑誌では見出しに句点を入れたりしますけど、新聞は基本入れません。
ただ、これはどちらが正しいというものではないです。媒体や読者の特性に合わせていろいろなタイプの記事があってしかるべきですからね。雑誌と言っても一括りにできないですし、そもそも紙の媒体なら記事の枠という物理的な制約もありますし。
あと、面白いのは、たとえ短い文章であっても、新聞記者にもそれぞれ「文体」があるんですよね。新聞記者は、他社の記者と情報交換したり仲良くなったりすることがあるのですが、匿名記事でも「○○さんが書いた記事だ」と読めばだいたいわかるんです。この人はやっぱり文章が上手だなとか、この人はまたスクープを取ってきたなとか、そういうことはあります。
「言葉」に向き合えることが、最大のモチベーション
――その後、新聞や雑誌というメディアの世界から、クライアントワークとしての編集の世界に移られたのはなぜでしょうか?
それまで僕は「地方自治」という専門性にだいぶ寄りかかっていました。もちろん、それがあるからいろいろと経験できたんですけど、編集のスキルやノウハウをもっと突き詰めたいと思うようになったんです。転職はしても常に地方自治界隈にいて、自分自身がそこに甘んじている部分があったので、編集者として良くないなと。
それでインフォバーンに入る前には、大手経済メディア系の似た業態の会社で働いていました。短い期間でしたが、オウンドメディアの運用、カスタム出版(企業が広報を目的に委託刊行する形式の出版)の書籍編集、企業の広報誌の制作と、幅広く経験できました。受託業務にはまた別の大変さはありましたけど、願った通り、編集だけが切り抜かれたような世界で仕事ができている感覚はありました。
――そこからインフォバーンに興味を持ったきっかけというのは?
よりデジタルやプロジェクトマネジメントのノウハウのある会社で仕事をしたかったからですね。『WIRED(日本版)』の創刊者である小林弘人さんがつくった会社であることも大きかったです。
あと、オフィスが神泉にあることも入社の決め手の一つにありました。昔通っていた高校がすぐ近くで、井の頭線にも馴染みがあったので、良い場所だなと。僕はけっこう勤務地が気になるタイプなんですよ(笑)。
――見過ごしがちですが、実際に働くうえでオフィスの立地は大事ですよね(笑)。インフォバーンに入社されて、驚きや想定とのギャップは感じましたか?
実務面では近しい業務をしていたので、ギャップもなくスムーズでした。驚いたのは、想像の10倍ぐらいリベラルな会社だったことですね。会社全体からも、社員個々人からも、自由な気風が全面に漂っています。それと、コンテンツ制作・編集という業務面では同じでも、マーケティングへの意識がより高いとも感じました。
――入社してからご担当されている仕事はどのようなものでしょうか?
いくつかBtoBの企業案件に入っていて、オウンドメディアの記事制作が中心です。自由にやらせていただける案件が多いですね。特にプロジェクトマネージャーやコンテンツプランナーとして、コンテンツ制作全体を統括する案件では、自分の描く方向性を提示しながら、クライアントと調整できる楽しさがあります。クライアントが何を求めているのか、どんな企画を出したら読者に喜んでもらえるのかに注力して動けるので、仕事をしていて手応えがあります。
—―良い記事コンテンツをつくるために、佐藤さんが重要だと感じるポイントはありますか?
そもそも一般的なメディアとクライアントのオウンドメディアでは、コンテンツの良し悪しの基準が違うと思うんですよね。メディアは、世の中にまだ流布していない情報をどれだけ上手く言語化して伝えられるかが勝負です。そのために足を使ってネタを探したり、あるいはリサーチする中で良い切り口を探り当てたりする。社会的にタイムリーなのかどうかも求められます。
一方で、クライアントワークではマーケティングの視点が必要なので、クライアントが何を望んでいるのか、ターゲット層がどういった情報を、どういうタイミングで欲しいのか、それはどういった分量なのか、といったことが重要になります。
たとえば、SEO記事にはメディア的な視点はそこまでないと思うんですよ。すでに知られている情報を長い文章で説明するようなこともあって、むしろ逆のベクトルの記事になりうる。それが悪いわけではなく、コンテンツの良し悪しは媒体や目的によって異なるので、その違いを意識して制作することが重要だと思います。
――お話をうかがっていると、佐藤さんはキャリアの変遷はありながらも、「文章を書きたい」「言葉を扱いたい」というモチベーションは一貫していますね。
もともと活字中毒っぽい性質があって、言葉が常に気になっちゃうんですよね。もちろん業界や専門として今でも地方自治は好きなんですが、それ以上に編集や文章を書くことに携わりたいという想いが強いです。母親が出版人だったので、これはもう血筋かもしれません。長い文章を編集するのもまったく苦ではないですし、言葉に向き合うときだけはアドレナリンが出ます。
――言葉という対象は一貫している一方で、佐藤さんは研究者から、記者、編集者、コンテンツディレクターと転じられていて、傍目にはチャレンジングにキャリア・チェンジされているようにも映ります。何か不安になることはなかったのでしょうか?
僕は「こういうキャリアを歩もう」とはほとんど考えないですね。キャリアで悩む人は少なくないですけど、将来が不安で会社を辞めちゃうとかはあまり理解できません。「この先どうなるか」なんて本当のところはわからないし、「この先こうしたい」という自分の考えだって明日には変わっているかもしれませんよね。作家の開高健もテレビのインタビューでこんな趣旨のことを言っていました。「一番怖いのは自分自身ですよ。明日の朝起きたら、今とはまったく別のことを考えていたりしますから」
――最後に、インフォバーンのコンテンツディレクターに向いている方のイメージを教えてください。
対象が何であれ、「つくること」が好きな人が向いていると思います。それが僕のように言葉である必要はまったくなくて、動画やイベントでもいい。何かゼロからコンテンツを生み出したいという人にとっては、インフォバーンのコンテンツディテクターは最適なんじゃないかなと思います。
――ありがとうございました。