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AIを超える編集力とは?:『Next EditorShip:80-90年代を創った雑誌をデコードせよ! AI時代の編集力を考える。』イベント・レポートPart3

2024年1月26日に、テクノロジーとガジェットのメディア『GIZMODO JAPAN』編集長の尾田和実さんをお招きし、『Next EditorShip:80-90年代を創った雑誌をデコードせよ! AI時代の編集力を考える。』と題して、インフォバーン代表取締役会長(CVO)・小林弘人とのトークイベントを実施いたしました。

80-90年代の雑誌カルチャーを振り返り、そこにあった「EditorShip」を紐解きながら、これからの編集者像について議論しました。この記事では、WebやAIがもたらしたメディア上の弊害と、それを乗り越える編集者としての人間力について語っています(Part3/全4回、
#Part1#Part2#Part4)。


AI時代に求められる‟素人”としての探求心と冒険心

尾田和実(以下、尾田):音楽雑誌の『ロッキング・オン』を渋谷陽一さんと立ち上げた橘川幸夫さんが最近、SNSで雑誌についてつぶやいていました。雑誌というのは、原稿を書いて編集してデザインして印刷して販売して宣伝して読者と交流して完成すると。だけど、そのどこか一つの専門家になっても、雑誌全体の面白さはわからない。それは雑誌だけでなく、すべての産業が同じで、個別の部品として――ここは個別の専門家と言ってもいいと思いますが――完成するよりも、素人として全体に関われるほうが楽しいよ、という話です。

これは僕がAI時代に絶対に必要だと思う感覚ですね。たとえば、YouTubeの動画も、別に動画制作にまつわる細かい知識がなくてもできるじゃないですか。そんな時代に何が必要なのかというと、専門性よりも良い意味での素人の発想ですよね。これまで紹介してきた雑誌(※前回記事参照)には、どこかしらに「こうあるべき」という業界的な常識に対するアンチテーゼがあったり、素人くささやローファイさがあったりしたと思います。

全体に関わって遊ぶような感覚、センスがあったら、生き残っていけるし、そこは今も昔も共通しているポイントじゃないかと。今はやっぱり、メディアの編集者がテキストにフォーカスしすぎだと思うんですよね。もっと広い研究心、探究心を持ったほうがよいと思います。

篠山紀信さんは、「どの自作がいちばんだと思いますか?」と尋ねられると、「今つくっている作品が常に最高傑作です」と答えているそうです。僕もこれまでにいろいろな雑誌やメディアに関わってきましたけど、同じで、今の『GIZMODO JAPAN』が自分の中で最高傑作だと思っています。ギスモード編集部では、Webサイトに記事を載せるだけではなくて、YouTubeをやったり、TikTokをやったりしていますけど、別に動画の専門メディアだったわけではないんですよ。

小林弘人(以下、小林):「テキストから始まったメディアだから、それだけやる」と決めずに、横断的な視点を持ってやってみているんですよね。これが次の時代には来るんじゃないかと思ったら、オーディエンスとキャッチボールしてみる。もちろん、それぞれのチャンネルでキャッチボールの仕方は全然違いますけど、新しい流れが生まれたらすぐに気づいて、その作法を学びながら、ボールを投げたり捕れたりする人が、編集者じゃないでしょうか。

尾田:そうだと思います。何でもやっちゃう人っているじゃないですか。今思うと信じられないですけど、90年代のころ、僕は鞄一つとインターネットにつながらない携帯電話を一つだけ持って、海外に行っていました。

小林:たしかに、今は昔より安く海外に行けるようになったし、海外旅行のハードルが低くなったのに、パッと行く人が少なくなったかもしれない。80年代、90年代は、あんなにハードルが高かったのに、借金してまで行ってましたよね。これは、自分のことだけど(笑)。

尾田:海外の音楽スタジオに行くときも、「着いたら電話してくれ」って電話番号しか事前に教えてもらってないんですよ。振り返ると、そこで電話がかからなかったら、どうしていたんだろうと思いますけど、右も左もわからなくても飛び込もうというマインドがあった。とりあえずやっちゃう、何でも貪欲に取り込んでハックしてやる、みたいな感覚です。

小林:僕は『WIRED』日本版でスティーヴ・ジョブズにインタビューしたことがあるんですけど、編集会議で「ジョブズにインタビューするぞ」と言ったら、「そんなの無理っすよ」という反応だったんですよ。でも、実際に取れたし、やろうと思ったらできちゃうことはある。だから、あまり制約を自分の中に設けないほうがいい。

尾田:暴力的な知性というか、押し切っちゃうパワーみたいなものが、本当は必要な気がしていて。たとえば、僕は編集者として、小林さんの下でも少し働いていた時期がありましたけど、厳しく修正の赤字を入れられるんですよね。ある記事では、「内容は悪くないけど、これは○○の雑誌にありそうな記事だから、ダメだね」と書かれていたりとか(笑)。

あと驚いたのが、マイクロソフトに関する記事を書いていたときに、「これはやっぱりビル・ゲイツのインタビューを取ったほうがいいんじゃないか?」と赤字が入ったんですよ。それも〆切の2日前のことです(笑)。さすがに「取れねぇよ」って思いましたけど、それこそまさに編集長の狂気ですよね。小林さんは本気で取れると思っているわけですよ。

小林:たしか、どこかの学生がビル・ゲイツにメールしたら、返信が来たって話を聞いていたんで、可能性としていけるんじゃないかと思ったんじゃないかな(笑)。

尾田:実はそうしたマインドが、AI時代に編集者として生きる秘訣なんじゃないかという気が、僕はしています。

データをスパイクできるのは人間だけ

小林:Webメディアはいろいろな規定があって、それぞれ専門分化していっている感じもするんだけど、僕はそのコミュニティを考えたときに、イベントと込みでメディアだと思っているんです。もはやカルト的なコミュニティをつくるには、今日のようなリアルトークも欠かせないし、Webだけのチャンネルでメディアとして成立させるのは難しいんじゃないかなと。

尾田:Webはざっとスクロールされて、AIの栄養になっちゃうというところがあるので、他の場所から調達してこないと、そろそろ厳しいよなという感じはありますね。

小林:僕が『WIRED』日本版の編集長をやっていたときに、アメリカの編集部とよく衝突していたのが、デジタル礼賛な考え方なんですよ。やはりあの雑誌は、デジタルですべてが解決できると思っていて、それはちょっと違うんじゃないかと。たとえば、「ミラーワールド」ひとつとっても、リアルの世界はすべてデジタル化できると思っていることに対して異議があります。

リアルにある情報が、すべてデジタル上にあるなんて幻想なんですよ。「真実はこうだ」という書き込みはネット上にたくさんあるけど、ほとんど無関係な人が憶測で言っていたりする。それと、たとえばゴシップ的な話題に対する言及のされ方を見ていても、バリエーションが3つもあれば多いほうで、たいがい4つ目、5つ目、6つ目と並んでも、3つ目までの焼き直しなんですよ。あるトピックに対して、第三者が書いてる記事というのは、そんなにバリエーションがない。そんなものを深層学習してきたAIが出すアウトプットには、絶対に浅はかさがあるんですよ。だから、そこの裏をハックするのが雑誌的というか、人間のつくるべきものかと。

尾田:成長できないんですよね、AI相手だと。やっぱり暴力的な知性というか。今求められてるのは、そこじゃないかなっていう気がすごいします。

小林:これからは直感と洞察がもっと必要になってくると思います。あと、Webメディアで「これだとPVが稼げる」という方針ばかりになってしまうと、そうした企画はどこか他でもやるから、独自性が全然なくなってしまう。AIだったら、たぶんそういう企画を勧めてくるんですよ。これだったら、この成果は確実だというデータを出す。

データが急上昇することを「スパイク」と表現するんですけど、スパイクさせるデータというのは、実はすでに誰かがやって得られたものではないんですよ。みんなが初めて見た異様なものが、スパイクするんです。それ以降は、みんなコピーになり、次第に劣化していく。

このコピーのサイクルは、デジタル時代に速まっていますね。昔はコピーされるのにも時間がかかったから、一番乗りはビジネス的にも美味しかったんだけど、今は誰が一番乗りかわからないぐらいに、あっという間にパクられて流布してしまう。それはこの時代のややこしいところですね。

それでも、やっぱり一番乗りするファーストペンギンのアイデアには、普遍的な価値がある。データで導き出したものには、みんな飽き飽きしているから。最近の記事や書籍のタイトルも、似たようなものばかりになってきているでしょう。最初のデータをスパイクさせられるのは人間の力であって、そこはAIがまだ追いつかないところです。いつかは追いつかれるかもしれないけど、今はまだ余地がある。

尾田:生成AIは、文章でも画像でも既存のものを組み合わせているだけなので、0→1じゃないんですよね。紹介したビースティ・ボーイズのアルバムは、ボーカルをディストーションで歪ませていてひどい声なんですよ。だけど、それがカッコよくて、そこには価値観の転換がある。AIは常識的なので、そうした価値観の転換を起こすのは苦手なところがあって、それができる人間は強いかなと思います。

なぜ今、アナログの価値が見直されているのか?

小林:そうですね。僕がもう一つ思っているのは、揺り戻し。今はヒューマンタッチだったり、つながりだったり、アナログ的なものが求められている。あらゆることがブラックボックスになっているからですね。AIが深層学習していることは、本を読めばわかるかもしれないけど、そのメカニズムは数式の塊だから、ほとんどの人にはわからない。

あらゆることがどんどんリアルじゃなくなっていて、そういったシステムに囲まれて暮らしているから、田舎に行ってちょっと薪でも割ってみようか、みたいなことを感じる人がすごく増えているわけです。若い人でも、タンジブルなZINEを自分でつくっている。Web全盛の時代なのに、あえてアナログな印刷をしているんですね。そちらへの揺り戻しというのも必ずあって、何かそこにビジネス上の新しいヒントもあるんじゃないかなと思います。

尾田:実際に、新しいことをやると、ビジネスにもつながっていくんですよね。だから、新しいアイデア、新しいアプローチにビジネス的な説得力をもたせることも、編集者の仕事の一つだと思います。

小林:そうですね。ドイツに、エリック・シュピーカーマンというフォルクスワーゲンのロゴをつくった有名なデザイナーがやっている私設の活版印刷所があって、そこがウケているんです。自分でタイポフェイスを置いて、自分でハンドルを回して、1枚のポスターつくって持って帰るだけなんですけど、これが味があるんですよね。

尾田:僕も活版印刷されたものを1つ、部屋に飾っています。活版の印刷物は1個ずつ濃淡が違うので、同じものが2つとない。

小林:活版なので、失敗もあるんですけど、その失敗にも価値が出る。遊びとして、めちゃくちゃ面白いんですよ。その人がやっている「ANALOG」という本屋もあって、そこでは手でつくった稀少本しか置いてない。そこにも、世界中から人が来ているんです。レコードが今盛り上がってる状況と似ていますね。

尾田:アナログというのは、実はクオリティーが高いんですよね。デジタル化することで間引かれるものがあるので、やっぱりアナログと同じではないんです。それでアナログ・レコードも再評価されているところがあると思うんですけど、その感覚というのは重要ですね。デジタル一辺倒でもダメだし、デジタルを無視してもダメ。「AIに対抗するぞ」と言いながら、裏ではAIも活用しているような、そういうアンビバレンツな態度というのが、21世紀の編集者に求められるマインドなんじゃないかと思います。

#Part1「雑誌カルチャー」とはなんだったのか?
#Part2雑誌で表現された美意識とたくらみ
#Part4雑誌の精神をどうWebで実現するか?




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