ニューヨーク・シティ・セレナーデ3
オレ達は行き場所のない天使達といっしょに歩いていくんだ
かつてロックン・ロールにとりつかれた4人の少年達がいた。その内の2人はニューヨークのニュージャージーで、もう1人は同じニューヨークのスタッテン・アイランドで、そしてあと1人はイギリスはエセックス州のカンヴェイ・アイランドで生まれ育った。幼い頃、彼らが夢中になって聴いていたのは、チャック・ベリーやファッツ・ドミノのロックンロールや、サム・クックやソロモン・パークのR&Bやマディ・ターズのブルースであり、そのほとんどが黒人のミュージシャン達だった。
白人のレコードを聴くときも、プレスリー、ローリングストーンズ、ゼム、アニマルズ・・・・・・といった黒っぽいサウンドで、間違っても甘っちょろいポップ・シンガーのレコードなんかに耳を傾けはしなかった。
ロックン・ロール彼らにとってそいつは何よりもリアルな体験だった。それは繊細でうつろいやすい青春の血を燃えたたせる、たったひとつのマジックだった。アイズレー・ブラザーズの歌う「ツイスト・アンド・シャウト」に思わず胸を熱くしたとき、彼らは自分自身のロックン・ロールを歌い演奏しようと心に決めたのだった。その少年達の名前は、それぞれ、サウスサイド・ジョニー、ルース・スプリングスティーン、デヴィッド・ヨハンセン、ウィルコ・ジョンソンと言った。やがて彼らは自分のバンドを作り、歌えるところではどこででも演奏し始めた。グループの名前は、ジョニーが”サウスサイド・ジョニー&ザ・キッズ”、ブルースが“ドクターズーム&ザ・ソニックブーム”、デヴィッドが“ファースト・エディ&ザ・エレクトリック・ジャップス”、そしてウィルコが“ローマーズ”・・・・・・いかにも売れそうもないバンド名だ。その通り彼らはまったくの無名のまま場末のクラブで歌い、裏通りのガレージで練習を続けた。だが彼らもやがて、その地方のクラブではちょっとした顔として知られるようになっていったのだ。オーディンに落ちて追い返されても、彼らは決して歌うことをやめなかった。なぜなら、彼らにとってロックン・ロールを歌うのをやめる事は、すなわち自分の人生を捨て去ってしまう事に等しかったからだ。1度履いたロックン・ロール・シューズは、そう簡単に脱ぎ捨てることはできない。言うまでもないがロックン・ロールとは単なるリズムの名前ではなく、ひとつのリアルな生き方を意味するものだ。そしてもしあなたが、生き生きとした生活やリアルな歌を捜し求めているのなら、この4人のロックン・ローラーの音楽を決して避けて通ることはできないはずなのだ。
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