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騎士道

↑前回のつづき

長いこと恋愛事情に疎くて考えたこともなかったが、好きな女性のために一生を捧げたいと願う気持ちが今は理解できる。依存されるのは嫌だが、自分から束縛されに行くのは良い。想像するだけで胸が踊る。

たとえば主君に忠誠を誓うといったシチュエーションもこれに似た感情だと思われる。頭の悪い命令に従うつもりはないが、理があっての望みとあらば微力ながら役に立ちたい。

そのための自由なのだと気付いた。ただ一つの目的に束縛されて、それだけにすべての力を注ぎたい。自由は求めるが、自由なままでは終われない。

ドラマチックな言い方をすると死に場所を求めている。べつに死にたいわけではなく、全力を尽くすのだから必然的にそこで死ぬだろうという話だ。死なずに力を振るい続けられるならそれに越したことはない。

願望というよりも憧れに近い。そしてたぶん幸福に続く道でもない。

滅私奉公という言葉に甘い響きを覚えるのはそれが道具としての理想形だからだ。考えるために生まれた思考が私利私欲に振り回されず純粋に本分を全うできるなら本望と言える。

偏差値の高い人が宗教にハマって悪の手先みたいになるのはこの辺が関係しているのかもしれない。

↓次回につづく