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自由に生きたい

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不自由に関する雑記をまとめていきます。
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2024年3月の記事一覧

おびえていただけなんだよね

ミニマリストに噛みついている人がいて驚いた。ものを持たないライフスタイルは好きな人が勝手にやっているだけで他人がとやかく言うことではないように思われる。 ヴィーガンやベジタリアンを敵視するのならまだわかる。こちらは動物愛護の主張を帯びていて、暗に肉食を批判していると捉えられなくもない。実際、デモ運動が行われたりもする。向こうが敵対するなら応戦も辞さない格好だ。 菜食 vs 肉食 一見するとこのような構図に思えるが、実はこれも間違っている。 菜食主義者にも自分が肉を食べ

トロッコ問題

↑前回のつづき。善悪を考えるシリーズ第7回。 まずはそういう状況にならないことを願うが、仮定でも自分がどんな選択をするのかは心しておきたい。トロッコ問題は人を殺すというおそらく誰がどう見ても悪い行為を他の命を救うためなら許せるかを問うている。 5人を見殺しにするか。1人を殺して5人を救うか。どちらが「善」であるかを考えるのは時間の無駄だと思う。善悪の観点では永遠に答えを出せない。 だから善人の何割かは呆然としたまま見殺しにして一生を後悔とともに過ごすのだろう。残りの何割

人の道より正しい道

↑前回のつづき。善悪を考えるシリーズ第6回。 大切なのは自分がどこへ行きたいかだ。善人でありたいと願うのはとりあえず東に進んでおけば間違いないというレベルの大雑把な指針であり、関西から東京を目指すときはいいが、家からコンビニに向かうには粗すぎる。 子供は親に手を引かれ、やがて成長して自分の判断で歩き出す。右も左もわからないうちは大勢の流れに身を任せるのもいい。それは安心で楽な生き方でもある。自分で判断しなければ失敗の責任を負わなくて済む。 しかし、楽をするために生まれて

善と悪の囚われ人

↑前回のつづき。善悪を考えるシリーズの5回目。 つまり他人を傷つけること、傷つけようとすることが悪だと僕は捉えている。過失と故意。法律っぽく言うとこうなるが、先述したように法に裁かれる人物と僕の悪人像は一致していない。それはそれでいい。 法が裁かないのなら、俺がこの手で……ッ! みたいな正義感もない。悪人のいない世界は理想だが、そのために何かしようとは思わない。誰かが何とかしてくれたらいいなとは思うが、誰も動かなくてもべつに構わない。 人は善悪で動くべきではないと思う

廊下を走るな

↑前回のつづき 廊下を走るなと言われて素直に従う子もいれば反発心を覚える子もいるだろう。僕は前者だった。学校は勉強するところであると同時にルールを叩き込まれる場所でもあった。 禁止事項が先にある。なぜ禁止されているのかは後から説明されることもあるし、先生に聞いてもわからない場合がある。自分で考えるのも学びの一環なのだろう。と、納得すること自体が僕の従順さを物語っている。 もともと自己主張が強いタイプではない。言いたいことがあるのに言えないのではなく、和を重んじてあえて言