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飯村大樹『サッド・バケーション』
フリーランスでデザイン・書籍組版業をされている飯村大樹さんのエッセイ『サッド・バケーション』を読みました。とてもよかったです。
本日2024年3月16日(土)19:00から関連イベントも行われます。開催おめでとうございます!
記念に感想を書いてみました。
なお、飯村さんは TBSラジオ 文化系トークラジオLife 有志による ZINE「私のLife vol.1」のデザインをご担当いただきました。その舞台裏は Podcast のエピソード「『私のLife』ZINE制作の裏側(出演:山本ぽてと、飯村大樹、塚越健司)」で紹介されています。
概要
本書は、2023年秋の文学フリマ東京で初売された「雑文集」だ。6つのエッセイの間に4日分の日記が入っている。
エッセイに共通するテーマは「さみしさ・悲しさ・むなしさ etc…」。
類似テーマを扱う他の随筆やエッセイでは、諦念と開き直りという要素が入ってきがちな傾向があるように思う。そこにセルフケア・祝福・(自己を起因とした)世界への怖がらせ量などのコンセプトが盛り込まれるのが現代的だ。
「エッセイは肩ひじ張って書いてしまったので、クッションのような意味合いで」入っている日記も、日常の中で優しさや新しさを見出していて面白い。
全体として、生活や体験をベースに感じたことや考えたことが描写されていて共感しやすい。感情や思考に耽溺しすぎないけれど切実さが伝わる筆致となっている。
風景になる
本作「風景になる」のテーマから逸れてしまう感想だが、私は幼少期の自我の芽生えの話がとても好きだ。発達が比較的早かったのかもしれないが、子どもの頃に主として同世代の男児に対して「使えることばが少ない?」「なにも考えてない?」「どうしてそんなことする???」などの不思議さを感じていたので、幼少期の自我がどうなっていたかを聞けると、謎解きを披露されたような気分になる。
だから、冒頭の「暴力に対して無邪気だったころ」に、意図せず友だちを転ばせてしまって、そうしてしまってから、すごく狼狽して反省し、「自分はかなり気をつけないと、人よりも多く友だちを傷つけてしまうかもしれないぞ」と思うようになった、「車を運転していて人をひくのと車にひかれるの、どっちがいいか、時々真剣に考えた」というくだりを読んで、にこにこしてしまった。
幼少期に生じた価値観が、成人してからも深いところに根ざしていることが描写され、強そうでないもの、丸っこいもの、かわいいもの、境界があいまいなもの、興味を持たれないもの、意味を持たないものへの愛着が表明される。
爪をかわいくしておくと目に入るたびに嬉しくなるからいいよね!私もいきなり金髪にしてみようかな。
祝福の生クリーム
本書の中でいちばん好きなエッセイ「祝福の生クリーム」。
好きすぎてまだうまく言葉にできないというか、言葉にすると何かが歪んでしまう気がするので、ここでは特に心惹かれる文章を引用したい。
何もしなくても、ただ存在しているだけで祝われたいと思った。自分で自分の生活を肯定していく以外に、もっと、無条件で誰かに祝福されたい。今回、卒業展示に出たところで、唐突に脳の隙間から謎の肯定感がにゅっと注入された。ん、なんだこれ。舐めてみると甘い。あ、これも生クリームだ。おそろしいほどの強烈な甘さだった。祝福の生クリームだ。
上記は印刷して壁に貼っておきます。
サッド・バケーション
「サッド・バケーション」は表題作であり、共通テーマ「さみしさ・悲しさ・むなしさ etc…」がもっとも直接的に表現されている。
幼い頃の体験から最近のできごとまで、折々の場面とそのときの感情に触れながら、根拠のないさみしさや強烈な悲しさなどが重層的に示される。そして、乗り越えたと思っていたけれど実は乗り越えられていたわけではなかった「今となってはどうしようもないこと」が、新しい寂しさや虚しさを招いてしまったことも語られる。
終盤では「さみしさ・悲しさ・むなしさ etc…」の向きあい方や距離のとり方についてが言葉にされ、かたちを与えられて保存されている。またしばらくしたら言葉にして教えてほしいと思った。
ちなみに本作でも幼少期の自我の話がされており、「他人を他人としてはっきり認識した」小学四年生のときが描かれていて、こちらもとてもよかったです。
僕の見た3月11日
2011年を回顧する、2017年に執筆されたブログ記事を、2023年に振り返るエッセイ。
現在とは文章の書き方や文体も、スタンスも、かなり変化していることが入れ子構造によって示されている。
2017年の記事には書かれていなかった、2011年の思い出が2023年に新たに追記される形になっており、それが「なぜかやたらと豊かで精彩な時間」と形容されていて、時間が経ってから語り直すとそういう面があるかもしれないと思った。
変奏
本書のなかで文芸としてもっとも優れているのは、本作「変奏」だと思う。
薄暗さと過剰さをまとって地下深くに潜り音と人が遠くに感じられるライブの描写から、ラストにドアを開け装備を外して元に戻っていく様子のコントラストがとても鮮やかで、技巧として工夫されている。モチーフの使い方がうまくて、解放感と転調感が出ていた。
そこからさらに、最後の二行を持ってくるところが素晴らしい。
ちなみに、ライブを観ている途中で考えごとをしはじめてしまい、あまつさえ「いまこの瞬間にこの場から消えてしまいたいな〜」みたいに思うこと、私もあります!
そわそわする身体
「そわそわする身体」では、アカシジア(静座不能症)をきっかけとして、自分の身体と向き合って探検して対処法を編み出してきたことが軽快に綴られている。
自分の身体を理解しようとしたり自分の体調を整えたりすること、ケアすることは、「ある程度タフに振る舞うこと」と矛盾対立することがある。この点は、多くの人が気づきつつあり指摘していることではあるが、身体・感情・思索のどれかに偏ってしまうことが多い気がする。本作は、いずれもバランスよく表現されていて、エッセイとしての良さが生かされている。共感と納得感をもって読めた。