ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ【映画感想】見たらより面白く感じる
■このnoteはこのような方におすすめ
■始めに
いやー、皆さん見ていかがでしたか。
もう僕は大満々々足でした。面白過ぎた!
チラッとだけ前情報を見たら評価が低くて
気になったのですが、あのミュージカルでも全然良かった。
というか、あの序盤にたくさんミュージカルの演出があってからこその弁護人のクビがすっごく気持ちよかったし、アーサーの妄想のことも踏まえたらミュージカルの表現の仕方はとても分かりやすいので演出面を考えたら最善の手だと思いました。
ミュージカルの意味にも触れているので最後まで見てください。
と言うことで、僕が大好きだと感じたシーンを書きながら演出や脚本、そしてアーサーと言う人間について感じたことを書いていきます!
※以下ネタバレあり
■好きなシーン、演出5選
アーサーがジョーカーになりきると
決めたシーン
まさに今まで見てたストレスが一気に解放されるようなシーン。鳥肌!!
鳥になって椅子から飛んじゃうかと思った。
この映画の序盤は、やたら耳に響く上機嫌な看守が口笛を吹いている所から始まった。
捕まっているアーサーにはジョーカーのようなカリスマ性も面影もなく、ずっとだんまりを決め込んでいるおっさんだった。
しかし、謎の女リーとの出会いをきっかけにアーサーが変わっていく。
いや、ここでは元に戻っていく?なのかな。
リーはアーサーと顔を合わすや否や、手で銃の形を作り、それを自身のこめかみに持っていき、発砲をするジェスチャーをするのだ。
これがアーサーにとって再びジョーカーになっていくきっかけなのだ。
まさにリーは引き金を引いた。
アーサーはリーとの会話を重ねて行く度に自分の理解者だと思い、リーが望んでいるジョーカー、恋をしたジョーカーに戻ろうとする。
序盤は捕まっていることもできず、ただただアーサーは妄想(ミュージカル)に浸っていることが多かった。
ミュージカルの妄想は正直退屈だった。
前作みたいにいきなりぶっ放してくれないのか。捕まってるからって何もできないのか。
裁判も無罪を勝ち取る為に精神障害で乗り切ろうとするのか。そんなジョーカー見たくなかったと思うシーンが続く。
まさに、犯罪者から見ればこの裁判はジョーカーがジョーカーでいられるかが見ものだった。
犯罪者にとって希望だった。
だからこそ、弁護人に弁護されているようなアーサーはつまらないものだった。
けれど、リーと接しているうちにアーサーはジョーカーを取り戻していく。
独房でアーサーにメイクを施すリー。
面会で口紅でジョーカーの口を作るリー。
徐々にアーサーの態度がデカくなり、良く踊り、歌うようになり、看守に発砲する真似さえするのだ。
そうして、彼はとうとう弁護はいらないと弁護人をクビにする。
もうここのシーン鳥肌がたった。
ジョーカーが帰ってきたんだ!って思った。
興奮した。
これからどうなるんだろうってワクワクした。
あと、演技力が高すぎる。
初めは気弱なアーサーだったのに、リーと出会ってからジョーカーのスイッチが入った瞬間
髪を掻き上げたその動作だけで
「あっ、ジョーカーに戻ったんだ」って思わされた。天才!すごい!好き!
囚人が歌い出すシーン
この弁護人をクビにした後の、はっきりと分かるジョーカーのカリスマ性。
もちろん刑務所にもその影響があり、彼が裁判所から戻り、机の上にたっただけで、受刑者が歌い出す。看守が止めようにも止まらない。
街に不満を持っているもの、罪を持っているものの脳をジョーカーは間違いなく焼いた。もはやダークヒーローだ。
ジョーカーとしてのカリスマ性はここがピークとも言える場所だった。
まさに圧巻。
リーとの別れのシーン
なんとも言えない悲しいシーン。
有罪と下された後、裁判所が爆破され、アーサーは逃げることができた。そして、彼女が通学路と嘘をついたあの思い出の階段にいるだろうと思い、リーに会いに行く。
そして、階段で待っているリーに「もう自由だ」とアーサーは言う。
それに返ってきたのは歌だった。
アーサーではなくジョーカーであれば歌でここは返すはずだ。
だけど、彼は「どこにでも行ける」と言う。
けれど、リーは歌い続ける。
黙っていても何を言ってもリーは歌い続ける。
彼はたまらず彼女に歌うのをやめるように言うのだ。話したいと言うのだ。
もう、彼はジョーカーではなく、恋をした普通の男、アーサーなのだった。
どの視点から見ても辛い。
リーから見ても信仰をしていたジョーカーがいなくなり、彼にとってもようやく自由になれたけど、好きな人が求めていたのはアーサーではなかったり。
とても儚く悲しいシーンで好きだ。
刑務所に日常が訪れた演出
始めは、看守がご機嫌に口笛を奏でていた。
けれど、リーが出てきてからはジョーカーかリーか受刑者側しか歌わないのだ。そして、一連の騒動が終わって再び看守の口笛で終える。
綺麗な流れだよねー。好き。
■ミュージカルの意味
なんでミュージカル批判が多いの!?って思っちゃった。
確かにくどいなと思った。退屈だなとも思った。けれど、トータルで見たら必要なシーンなのだ。
前作を見たら分かる通り、アーサー・フレックは妄想に依存している。
幼少期の虐待、パッとしない現状、妄想することでしか自分を保つことができなかった。
日々の楽しさがなかった。
だから、妄想に依存せざる終えなかった。
妄想と現実が区別つかない中で色々な人を殺めてしまい、半分自暴自棄のようにもなった。
けれど、妄想も捕まってから、薬をきちんと飲んでから治っていたのだと思う。
そして、無気力に刑務所で生きている中に一筋の光が見えたのだ。それが、リーだ。ここから依存の対象がリーに変わってしまう。恋に依存してしまう。
そして、リーの望む人でありたいと思いジョーカーに変わっていくのだ。だからアーサーのミュージカル妄想は常にリーと一緒にいるものであった。
妄想の種類が変わったのだ。
前作は現実逃避の妄想、理想への強い憧れからきた妄想だった。
けれど、今回は普通の人のような好きな人との、リーとの過ごし方の妄想をしているのだ。
これがアーサーにとっていけなかった。
好きな人との妄想なんて現実にありふれている。
彼はもう一般人のようなものだ。
他の人には理解できない人生、そこからくる妄想癖、狂人性があってカリスマ、ジョーカーが成り立っていたのだ。
アーサーもきっとどこかで悟っていた。
悟っていたからこそ、最後妄想でいつもジョーカーはリーに殺されていた。
カリスマ性のあるジョーカーから、ジョーカーの真似をするアーサー、ただの恋をしただけのアーサー。
そこの感情の動き、依存先の動きを綺麗にミュージカルの演出でグラデーションされていたと僕は感じた。
ミュージカルではっきりとジョーカーの妄想とすぐ分かることができたし、徐々に妄想が減っていき、もうアーサーは普通の人になったと言うのを分かりやすく表現された手段だったと思う。
あと、あの妄想、ミュージカルがやたら長かったからこそ、ジョーカーが完全復活したように見えたところはとても興奮した。
脳汁が出た。
パチンコもきっとそうだ。我慢する期間があるからこそ当たった時のドーパミンで人をダメにする。
溜めがより気持ちよさを作るために必要なものなのだ。
知らんけど。とにかく素晴らしい作品だ。波があるからこそ感情が掴まれるのだ。
■最後に
映画見てる時ってみんな何考えながら見てるのかなって最近よく疑問に思います。きっとまだまだこの映画に気づけてない面白いポイントがあると思うのでぜひ、みんなが感じたおもしろポイント教えてください。
あと、そう言えば最後にアーサー刺したのってリッキーでした?
ジョーカーが看守にボコボコにされて部屋に投げられた後、リッキーが殺されたか僕の中で疑問で。窒息するぞと注意された後に死んだって言うセリフが来たと思うんですけど、あの時同時にジョーカーも完全に無くなっちゃったんですよ。
だからリッキーは窒息する寸前で終わって、死んだって言うのはジョーカーのことだったのかなって思っています。
顔が違うように見えたからリッキーだったのかな?分かる方いたら教えてください。
そして本当に最後に少しだけ考えたのは象徴は幸せになれないのかなって。
象徴って群衆の願望じゃないですか。
だから象徴は求められているのを演じないといけない。
そんなの苦しいじゃないですか。
きっとその偶像を求めて人が寄ってきて本当の理解者になってくれないんですよ。
象徴の都合のいい部分しか見ていない。
だからこそ、最後リーに振られちゃったんだろうなって思います。
悪の象徴だけじゃなく正義の象徴もそうだと思うんですよね。
というか、正義ってヒーローって僕からしたら頭がおかしいんです。
感情移入できない。根がいい人すぎる。
ヒロアカのオールマイトだって笑顔で元気が出るから、困ってる人を見かけたら身体が勝手に動く。
そういうことに人生注いでるんですよ?
怖いよ。
鬼滅の炭治郎もそうです。なんで鬼に同情するくらい懐広くて優しいの。
何がそんなに彼を駆り立てて鬼狩りをするの?
無惨様に異常者って言われるの
あれもはや正論だよ?って思います。
性悪説とまでは思想偏ってないけど、そんな根っからの善人っているのかな?
ヒーローに感情移入できないんですよね。
ヒーローに感情移入できる人生の方が楽だったのかなって思ったり、思わなかったり。
関係ない話になっちゃったけど、最後まで見てくれてありがと!
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よっしゃーーーい!