傲慢と善良【映画感想】原作と違う所※ネタバレあり
■このnoteはこのような人にオススメ
■初めに
実写映画を批判するために書いているわけでは
ありません。
実写と小説は別物という認識でいつもは見ており、実写は実写で面白かったです。
ただ、493ページに渡る小説全てを119分で落とし込むにはとっても難しい。
だからこそ、表現を変えざる終えなかった、カットせざる終えなかった。
そんな場所が多々あるのでより「傲慢と善良」という作品の理解を深めて楽しんで欲しいという、「何から目線だよっていう」
私の傲慢さでこれを書いています。
1番良いのは、映画の記憶を消して小説を見ることです。
真実がいなくなってからのストーカーの線が消えるまでの緊張感や調べていくごとに浮き彫りになる、真実の善良なとこ、真実の家族の傲慢さ。
そして架が自身の傲慢さに気づいた所で友人から明かされる真実の嘘。
真実失踪の真相に気づいてから真実視点の第2部が始まるのがたまらなく良いのだ。
けど、残念なことに知ってしまったら知らなかった状況に戻れない。
真実の失踪の真相を知りながらも第1部を読むことになるが、映画より真実の過去や架の心情が詳細に書いており、それを踏まえて第2部を読むと全く違う印象になるので映画のみを見た方はぜひ小説も読んで欲しい。
必ず後悔はしない。
■小言
初めに小説を読んでから映画を見た際の違和感だけ先にちょろっと言わせて欲しい。
映画のみ組の方はここ飛ばしてください。
映画の限界
小説を読んだみんな、気持ちはすっごく分かる。ただ、仕方がないもんは仕方がない。
だって小説は心の声を書きやすいんだもん。
それに比べ、映画はセリフが中心になるので細かい心情の動きを出すのが難しい。だから、真実は異常にメンタルが弱々で共感しにくいし、架の女友達は救いようのない性格の悪さだし、小野里さんもなんだか怪しい人になってしまうのだ。仕方がない。
なんでそうしたのー!?
演出を見て大きく気になった所を何点か言う。それで小言は終わりだ。
まず、歯医者の人、イケメンかつコミュ障ちゃうんかーいって思った。原作はそうだった。映画では、なんか変なサイコパスキャラになっていた。
あと、真実がトラックに乗ってる描写なんで途中で見せちゃったの?
真実が自身で失踪したのは満を持して、こういうことだったのか!?って一種の醍醐味かと思ってたけど、早い段階で謎にトラックの助手席に大人しく座ってるシーンがあって不思議だった。
あと、シンプルに失踪したのになんでInstagramを平然と上げてんの?とも思いました。
びっくりしちゃったのはそのくらいです。
私が気付けてない演出の意図もあると思うので分かる方がいたらコメントで教えてくださると幸いです。
■原作と違う点
出てきてない点
真実の善良の原因
そして真実母の異常性
実は、原作では真実の過去について、家族についてもっと掘り下げられている。
映画では、真実の母(陽子)が深夜に帰ってくる真美に向かって鍵を返してと怒鳴ってるシーンがある。
これには真実がいかにいい子ちゃんであった善良さの原因が隠されているのだ。
実はこの怒鳴られてるシーン、真実の学生の時ではなく31歳の時に鍵を返しなさいと言われているのだ。(架と出会ったのが33歳くらい)
原作では、真実の大学の話、推薦就職の話、婚活の話が詳しく書いてある。
架が行方不明になった真美の手がかりを探す為、真実の姉(希実)に話を聞いた際、細かい話が出ている。
まず、希実ははっきり物を言うタイプで母に何か言われても反発するタイプだった。その為、母の過干渉な性格が姉の分も真実に向いたのだ。
その為真実は、母の言う事を全てを聞くいい子ちゃんに、善良な人間になった。
真実は真実で親の言うとこを全て聞き、母は母で、世間体第1に自身の理想を真実に押し付けているのだ。
タチが悪いことに母には押し付けているその自覚がなく本気で真実にとってその方が良いと信じ込んでいる。
そして、思い通りに行動しなかったら子供ねや一人じゃ何にもできないんだからと口にする。
そんな母だ。
だからこそ、真実は自分で就職先を決めず、母に言われるがままコネで就職先が決まった。
婚活にしても酷い話だ。
純粋に恋愛をして付き合った経験もないのにいきなり結婚の話だ。無理に決まっている。
真実は母から友達と出かけることも男の子と付き合うことも外泊も遅く変えることも制限されているようなものだった。
真実が女子大に通っていた頃、他校の男子を含めスキー旅行に行く計画があった日がある。
あんな母親のことだから真実も男がいることを知ったら止められると理解していたのだ。
けれど、真実は、嘘をつくのは良くないと思い真実は母にスキー旅行に男もいることを伝えてしまうのだ。もちろんそのせいでスキー旅行に行けなくなった。
真実が嘘をついたことない、そして親の言いなりになる善良さが出る。
そのような家庭だからもちろん真実は恋人などできたことなかった。だから恋愛の話もなかったのだ。
けれど、姉の希実の結婚を皮切りに婚活のことが話題に上がっているのだ。もはや、言いなりの真実は母おすすめの結婚相談所に母と一緒にいくことになる。
そんな真美に対して、希実も思うことがあり、架が希実を尋ねた時に小説ではこのセリフが出た。
流石だよ。姉さん。
これこそ真実の弱さなんだと思う。
そのような真実だからこそストーカーの嘘を架の女友達に暴かれ失踪してしまう。
真実の解像度が上がっていけば真美に感情移入できるのではないだろうか。
ただ、原作の真実の思っていることは嘘が暴かれて焦っていることだけではない。
初めての一世一代の嘘が暴かれ恥ずかしくなり逃げたのではなく、実はもっと違う感情で逃げていたのだ。
そこには真実の自己愛が隠れており、真実の傲慢さでもある。
第1部はモテて相手を選りすぐる架が傲慢で真実が善良で書かれているが、第2部ではいつの間にか真実が傲慢で架が善良に逆転している。
ここが良い。
傲慢と善良の二面性が同居しているのがとても人間らしい。この多くな人間にでもどこか日常生活に潜んでいる傲慢な所と善良な所があることに気付かされる。
これこそがこの本の醍醐味とも言える。
女友達とのシーン
映画では特にには架目線で物語が進んでいく為、真実の心境や性格を掴むのは難しかった。
だからこそ架の女友達がとてつもなくウザいやつになっていた。性格が悪いことは間違いないのだが、原作を見ると理解はできるようになるのだ。
女友達から見て真実がムカつくような点が追加されているのだ。
そういえば、その点でいえば、映画のホームパーティーのシーンの真実の不慣れさの演出はとても良かった。
料理では役が立たないし、子供の三つ編みさえ結べない、真実の何もできないのが垣間見えた。
こう言うのが、自分で何もしてこなかった今までの真実の過去に繋がるから面白い。
あと、真実に対して子供の急な「お馬さんになあれ☆」は笑った。
そういうのもあり、女友達は良い子ちゃんぶって何もできない真実を少し馬鹿にしていた。
そして、原作では女友達もインスタを見ていたのだ。ついでにいうと、架がインスタを見つけたのは真実の英会話教室の同僚から教えられたもので真実に繋がるやっと見つけた手がかりとして描かれている。
そこはいいとして、映画でも真実のインスタの投稿は痛いものだったが、もっともっと痛い投稿があるのだ。
絶句。
まぁ、分かる。そう言う気持ちに浸る時もあると思うがそれを真美はインスタに投稿しているのだ。あの控えめで目立つのが嫌いな真美がだ。
この歪さに女友達は気づいていた。マイナスのことを書く時さえ、自分のことを「似合う」と表現する真美に、自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない。と思っていたのだ。
架と女友達は幼馴染みたいなものだ。顔もカッコよくてなんでもそつなくこなして、社長というステータスもある自慢の長年の友達だ。その友達にぽっと出の良い子ちゃんぶってる、の割には何にもできない、挙句の果てにストーカーでの嘘をついて結婚に漕ぎ着けたやつに一言ぐらい言いたくなるのは理解できるのだ。
酔った勢いのせいか70点の件を真実に教えてしまった点は擁護ができないけど…
第1部の最後に架と女友達が上記のような真美の話をし、最後に女友達がこのように問う。
ここら辺で何にも気づかない架の純粋さ、というか善良さが公になってくるのだ。
真相を知った架
そこまで話をして、ようやく真実が事件に巻き込まれたではなく自分の意思で失踪したことに気づき、真実の家に行き、指輪とアクセサリーを確認しにいく。
映画では、盗まれたと言われた物がクローゼットの奥に見つけた時、架は倒れ気づけなかった悔しさなのか、怒りなのか床に倒れて叫ぶ。
これ、原作とでは全く印象が違う。失踪に気づくまでの時間の印象によって違うのか、解釈の違いなのか。小説での架の心情が痛いほど胸に響くものがあるので手にとって感じてもらいたい。
表面上は上手くいっていたのに、徐々に捲れていく真相。真実母の田舎ならではの価値観の不気味さと真実の気づかなかった面を目の当たりに戸惑っていく架が本当に好き。そして真相に気づいた架のどうしようもない心境ね。
これからどうなってくんだろうってところで第2部の真実視点。
面白すぎでしょ。この本。ほんと好き。
真実が70点と言われてから
映画のみ組は、ここまで僕のを読んでくれてるならさっさと小説を見ろって思う。
けど、見てくれてありがとうな。
映画では70点と言われてから、真実は架くんの側でちょっと泣いてそしてその後一人でバスルームで泣き喚いていた。
ここ小説で見るとぜんっぜん印象が違う。
小説での描き方というか、辻村先生の心情描写がすごい。
真実の気持ちがダイレクトに繋がるのだ。真実が失踪した本当の理由が詰め込まれている。
真実の自己肯定感が低くて、良い子ちゃんでいるそんな上っ面のものじゃなくて、もっと根底で抱えてるこれまでのコンプレックス、婚活の辛い出来事、自身の弱さ、そして架への想いが詰まっているのだ。
あっさりネタバレしてこうだったんだよって言いたいけど、この良さを100%感じるのは間違いなく自分で読み進めていくことだから未読の人の為には内緒だ。
真実はたくさんの想いを抱えて架の元を飛び出したのだ。いや一つの重い気持ちで真実は飛び出した、が正しいか。
ボランティアでの仕事、真実の想い
これ全然ちゃうかった。オチにも関わるとてもでかい変更点だ。
ざっくり言うと、映画ではボランティアで肉体労働をしていたが、原作では東日本大震災の後のボランティアで写真館での写真の復元をしていた。そして、その延長線上で地図を作る仕事をするのだ。
真実の心の成長に繋がる経験でもあり、ここでの巡り合わせがかなり重要になってくる。
そもそも、真実の架への想いの描かれ方が全然違う。映画では真実は架と最初から別れた気でおり、途中で完全に別れると口にしていた。だから途中、過去の真実は捨てて、ボランティアの男と付き合うのかなって本気でドキドキした。
小説では、はっきりと別れておらず、真実は架との結婚を取り消したくないと常に心に思っていたのだ。
映画の序盤で結婚式の話が出ていて、失踪と同時に消えたような感じがしたが、小説では、結婚式の予約を取り消してないのだ。
かけるー!!お前は本当に良い男だな。
9月に結婚式を挙げる予定で失踪したのが1月だったかな。確か
映画、小説共通で架は真実との結婚の意志は変わらなかったのだが、真実の心情が違う。真実は結婚を無しにするのが嫌だったが、自分がしたことの手前連絡も取れずにいて、逃げたことへの罪悪感もあった。
真実を探し続けた架と新しい地で自分の心と向き合った真実
。
探し続けることで真実の新しい面に気づいた架と表面上のステータスだけで架を見ていたと思っていたがそうではなかったと気づく真実。
キャンセルしてない結婚式
本当の想いに気付いた二人
そして、すれ違った二人
この条件が揃ったらロマンチックなこと起こること間違いなしじゃん。
けど、映画と小説終わり方も全然違うんです。
ボランティアで成長した真実だからこその告白の返事を架にするんです。
結果、予約していた結婚式はキャンセルをします。
果たして二人の関係がどうなっていくのか、小説で読んでください。
■最後に
そういえば、最後らへんの
「大恋愛って本人は気づいてないんだね。可愛いぞ真実ちゃん」
って良いシーンでしたよね。
登場人物の影響であそこも原作と違うので要チェックですね。
より細かい点を挙げたらキリがないのですが
物語に関わる大きな点は一通り挙げました。
原作愛が強すぎて約5,000字も書いてしまいました。
それほど、辻村先生の作品は面白いんですよ。
改めて言うのがですね、決して映画を批判したいわけではなく映画を通して傲慢と善良を知った方に対してより作品の魅力を知って欲しいと思い書きました。
小説をまだ未読な方はこれを機会に手にとっていただいて、迷ってる方は下記の書評もネタバレなしで書いているので判断材料の一つとしてください。
そして、小説を読んだよーって方はこっちで語り合いましょうや。
好きなシーンをコメントに残してくれると嬉しいです。