梟-フクロウ-【映画感想】無駄なき美しい脚本
■あらすじ
■感想
図書館のワンコーナーに置かれている映画の宣伝の広告に一目奪われた。
ポスターのインパクトが頭から離れなかった。
そうして図書館の映画上映に足を運んだ。
見た感想を率直に述べると美しい脚本だと思った。
大学の演劇部では舞台上には無駄な人、物、設定はあってはいけないと言うルールがあった。
どんな物、コトでも意味がないと存在してはいけない。
この映画は無理な設定、無駄な脚色などがなかった。
物語が大きく動く場面では、盲人ならではの気づき
鍼医ではないとできない行動。
設定としては盲目が犯人の目撃者とありがちな設定ではあるが
キャラの設定を持て余すことなく物語に組み込まれていた。
下記で僕が心打たれた場面を語ろうと思う。
僕の映画視聴は、流行に乗った分かりやすい映画が多かったが
少し毛嫌いしていた時代物や権威の関わったものが見れるように
なって映画を見る幅が広がって少し大人になった気分になった。
えっへん。
ほんま見てー。ここすごいよなぁっていうのめちゃ共感したいねん。
※以下、ネタバレ含みます。
■タイトルの意味
まず、映画のあらすじを見た時、盲人なのに目撃者?
どう言うこと!?って言うのが頭にあった。
これは物語の中盤で分かることなのだが、
主人公ギョンスは朝方や昼間など明るいところでは目が見えないのだが
暗闇になると少し目が見えるようになるのだ。
映画の序盤で、手紙を書ける違和感や
いじわるで任された薬物の仕分けを完璧にできたことや
夜、見張りをする時にわざわざ明かりを消していたなどの
違和感があったのはこのギョンスの特徴からだった。
他にも暗闇では見えるような伏線があればぜひ教えて欲しい。
ギョンスは暗闇であれば見える、夜であれば昼間より目が見えるようになる
フクロウと同じような特性を持つからこそのタイトル
「梟-フクロウ-」であったのだ。
もうタイトル回収はヲタクからしたら堪らない。大好き
タイトルと主人公の特徴が綺麗に一致するだけでは飽き足らず
さらに主人公だけしか、主人公ならではの映画の展開になっていくのは
もう目が離せない。
■盲人の鍼医
盲人である意味
まず、第一にこの作品で一番痺れる表現は
王の子が殺害されるシーンだろう。
夜中に王の子の容態が悪くなり、ギョンスは
御医と一緒に治療することになる。
盲人であることもあり、御医のサポート役として
身体を拭くためのタオルを桶の水で濡らして絞って
御医に渡して行くが、ここの演出がとても良かった。
御医が王の子の身体を拭くたびにタオルをギョンスに渡し、
そしてまたギョンスがそれを桶の水に濡らし御医に渡す。
まず、最初に気づいた違和感はほんのりと鼻につく匂いだ。
夜とは家、部屋には治療しやすいように火が灯っている為
ギョンスには微かな視界しかない。
しかし、世の子の容態も一刻を争いそうな為、必死にタオル
交換をしているがなんだか、匂いがおかしい。
そして、タオル交換しながらも目を凝らして桶の水を見ると
真っ赤に染まっていることに気づき、急いで王の子に目線をやると
御医によって刺された毒針で痙攣して身体中から血が溢れ出ていた。
ここの緊迫感が自然と手に汗が滲みでた。
少しでも王の子の異変に気付けば、御医によって
殺される可能性もある為、見えないふり、気づかないふりは
続けないとダメなのだ。
盲人であるからこそのシチュエーション、緊張感が
とても良かった。
鍼医である意味
次に鍼医であるからこその問題の解決の仕方がとても良かった。
王の子を殺害した真犯人が王だと分かり、王を唯一断罪できそうな領相に
証拠を出さないといけない時があった。
唯一の手がかりは王から御医への暗殺命令の手紙だったが
筆跡が王に似つかず、王がわざと左手で書いたものだと発覚する。
それでは、証拠を掴むことが難しいと作戦が滞る中
天才鍼医であるギョンスが
「私であれば王の右手を痺れさせることができる」と言い
王に左手で書類を書かせ、真犯人が王であることを証明することができた。
ここの展開もとても良く、ギョンスが治療しなければならないと偽り
王の部屋に入り、治療をするのだが、その治療中に右手を痺れさせ
書類を書かせようとするのだ。
王は右手が痺れるものだから中々書類を書いてくれないし、
しかも途中で御医がギョンスの計画に気づき、王の部屋に突撃してくるわで
すっごくハラハラした!
鍼医であるからこその証明の仕方、そしてその場面の切り抜け方で
いい演出、脚本でした。
次は特に好きな伏線でしたね。
■始まりの伏線
映画の始まりは、夜中におっさんが子供を背負って
走るシーンから始まった。
息を切らしながら走り、門を開けたところで希望の光のように
朝日が上り、陽が差した。
このシーン、映画の終盤でも流れるのだが、
初めに感じた印象と全く真逆の印象を受けることになったのだ。
王の証拠を掴み、領相にチクるものの領相が土壇場で裏切るのだ。
その為、真犯人を知るギョンスと王の孫は命を狙われるようになり、
逃げ回るのだが、夜だからこそギョンスはほんの少し周りが見え
走れていたのだが、
夜が明け、朝日が差し込めばギョンスの視界は再び閉ざされるのだ。
冒頭では希望の光に見えていたが、実際はギョンスの視界を奪う
絶望の光だったのだ。
光こそ希望、という潜在意識を上手く使った演出だと思った。
というか、やられた!って思った。
このシーンだけでも満足するのに
タイトルの伏線、主人公の設定をふんだんに使っており
脚本の美しさを感じるほどの作品だった。
■最後に
宮廷物はとても苦手意識がありましたが、この映画のおかげで
楽しめる映画の作品の幅が広がった気がします。
いい作品を見た後は、自己肯定感がとても高まり
ほくほくした気持ちになるんですよね。
レジュー(?)を書いた一作目でしたが、
作品を伝えたい!ってよりも人に説明上手になりたいって思い
始めました。
noteでの活動の他にYouTubeやtiktokやカクヨムでの執筆活動を
やっているので少しでも僕の感性を好きだな、共感できるなと
思ったら要チェックしてください。
ぜひぜひ、映画見た方は感想をコメントで語りあいましょー!