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■キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン
■Captain America: The Chosen
■Writer:David Morrell
■Artist:Mitch Breitweiser
■翻訳・監修:idsam
■カラー/ハードカバー/1,999円 ■ASIN:B0BZJS1Y7F
「マーベル グラフィックノベル・コレクション」第32号は、『一人だけの軍隊』(映画『ランボー』原作)の著者であるベテラン小説家、ディヴィッド・マレルを招いて書かれたリミテッド・シリーズ『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』を単行本化。
収録作品は『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』#1-6(11, 11, 12, 12/2007, 2, 3/2008)。
さて、いつものように、本作品の成立に関する情報を、適当にネットで検索して記事にしようと思ったが、まあ、検索してみても、本作のメイキングに関わる情報は、刊行の直前にコミック情報サイトCBRに掲載されたディヴィッド・マレルへのインタビュー程度しかない。
ぶっちゃけた話をするが、『マーベル グラフィックノベル・コレクション』32号巻末に掲載されている作品解説の、ディヴィッド・マレルに関するパートは、このCBRの記事のマレルの発言を抜粋して構成したものになる(※独特の言い回しをしているので、読めばわかる。<まあ、他にソースがなかったのだろう)。
とはいえ、他に参照すべきソースもないので、今回のエントリでは、このCBRの記事を、抜粋ではなく丸ごと翻訳することにした。つまりは『マーベル グラフィックノベル・コレクション』の巻末記事と内容がそこそこダブるが、まあ、こっちのほうが情報量的には多いので、勘弁してほしい。
(ていうかインタビューを全訳し終えてから、『マーベル グラフィックノベル・コレクション』32号巻末記事を読んで「被ってるじゃん!」と気づいた。しょうがないので開き直る)
以下、引用。
4つの美徳:ディヴィッド・マレル『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』を語る
オリジナルソース:https://www.cbr.com/the-four-virtues-morrell-talks-captain-america-the-chosen/ (2007年8月13日初出)
今年2月、マーベル・コミックスの偉大なるヒーローの一人、キャプテン・アメリカが暗殺された。しかしそれは、かの自由の守護者の語るべき物語がこれ以上語られなくなることを意味してはいない。この9月から開始される全6号のミニシリーズ『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』で、ライターのディヴィッド・マレルとアーティストのミッチ・ブレイトウェイザーは、全く新しい『キャプテン・アメリカ』の物語を読者にもたらすだろう。
マレルは24作もの小説の著者で、その中には、伝説的なアクション・ヒーロー、ジョン・ランボーを世に送り出した、1972年のスリラー『一人だけの軍隊』も含まれる。彼はその人生において、折に触れてコミックに惹かれてきた。
「子供の頃、5ブロック離れた店まで、ちょくちょくローラースケートで通っていたんだ。その店は新品のコミックも販売していたが、売り物のほとんどは中古のコミックだった」と、マレルはCBRニュースの記者に語った。
「当時は『テールズ・フロム・ザ・クリプト』を始めとするECのコミックスが登場しだした頃だった。私はそれらを心から愛したが、政府とコミック業界の間に起きた諸々のお蔭で、全てのコミックは生ぬるい内容となり、私は興味を失ってしまった」
※ECコミックス:1950年代前半に隆盛を誇ったコミック出版社。刺激的かつ内容的にも上質なSF、スリラーコミックを多数送り出し人気を博したが、1950年代半ばに起きたコミックブック規制運動のあおりを受け、それらのコミックブックを休刊することを余儀なくされた。ディヴィッド・マレルは1943年生まれなので、小学校頃にECの洗礼を受けたことになる。
「やがて時は流れた。思うに、私のコミックへの興味が再燃したのは『バットマン:ダークナイト・リターンズ』が出てきた時だった。同作で私は、リアルに描かれたキャラクターによって、心理学的なテーマを深く掘り下げられることを知った。とは言え、私は常にコミックを読んできたとは言えないね。なにしろ私の人生は、常に締め切りに追われてきたので、何もかもを追い続けるのは難しいんだ」
※『ダークナイト・リターンズ』:1986年刊行のリミテッド・シリーズ。フランク・ミラー作・画による『バットマン』の物語のマイルストーン。
他方でマレルは、彼の友人や小説家仲間を通じて、コミックブックの仕事に関する話題に接し続けていた。
「マックス・アラン・コリンズは私の友人だ」と、マレルは言った。
「必然、彼が『ディック・トレーシー』、そしてあの素晴らしい『ロード・トゥ・パーディション』でキャリアを積むのを見てきた。コミック業界でも活動しているジョー・ランズデール(『ジョナ・ヘックス:トゥー・ガン・モジョ』)も知り合いだ。そんな具合に、沢山の友人がコミック業界で仕事をしていて、私もあの世界に入れたら良いなと、ずっと思っていた。だが、どうしたら入れるのかまでは分からなかった。それにコミックと言う奴は物語を絵に起こすだろう? 私にしてみれば、どうすればそんなものが書けるかも分からなかった。秘密結社に伝わる秘儀のように思えたよ」
※マックス・アラン・コリンズ:コミック作家。新聞マンガ『ディック・トレイシー』の執筆に参加し、名を馳せる。代表作である『ロード・トゥ・パーディション』は映画化もされた。
※ジョー・R・ランズデール:ブラム・ストーカー賞を幾度も受賞している小説家。後年には『バットマン・アニメイテッド』の脚本や、『ジョナ・ヘックス:トゥー・ガン・モジョ』(2010)の脚本も手掛ける。
マレルのコミックの世界への門戸は、元マーベルの編集者アンディ・シュミットが彼に接触してきたことで開かれた。
「多分、彼は私のウェブサイトを見つけて、サイト経由でメールを送ってきたんだろう。当時の私はサイト経由で送られてくる全てのメールに返事を返してたんだ」と、マレルは説明する。
「彼はこう言った。“少し話ができますか? あなたが興味を抱くような企画があるんです“ それで私たちは電話で話した。彼は、キャプテン・アメリカに新たな活力を与える施策を考えているのだと言った。そして彼は、そうしたアイデアの一つとして、『ランボー』の創造者に『キャプテン・アメリカ』の話を書かせるのは面白かろうと思っていたんだ」
シュミットの提案に興味をそそられたマレルは、彼にその旨を伝えた――だが彼らには、まず最初にクリアすべき大きなハードルがあった。
「そもそも私は、自分にコミックの脚本が書けるかを確認する必要があった。なにしろ小説とは異なる路線に乗り入れることになるのだからね」そう、マレルは説明した。
「私は研究という奴が好きでね、まずはコミックブックがどのように生み出され、書かれているかについての理論が書かれた本を読んだ。またアンディは、恐るべき量のキャプテン・アメリカとその他のヒーローのコミックを送ってくれた。私はいくらかのコミックの脚本を見たが、それは映画のストーリーボードに似ていると思った。私は映画の脚本を書いたことならあるのでね」
「ウィル・アイズナーが、コマとコマの間の空間こそがコミックブックの主たる力だと語っていたのを読んだ私は、これは中々にクールなことになると思った」マレルは続ける。
「コミックの絵は言わばハイライトの部分だけを撮影しているようなもので、何かを見つめる顔のクローズアップが非常に大きな威力を発揮する。私は図書館に行き、ウィル・アイズナーがコミックの脚本について語っているものをほぼ全て読んだよ」
※ウィル・アイズナー:1940年初出の代表作『ザ・スピリット』を筆頭に、卓越した創作理論と描画力、加えてスタジオ方式による大量生産で当時のコミック界に多大な影響を与えた、アメリカン・コミックス界の偉人の一人。コミックの技法に関する著作も多い。
マレルはまた、コミックブックが読者を驚かせるための、特異な手法にも興味を持った。
「このことをきちんと書いた本を見てはいないが、多分、コミック作家なら誰でも理解している事柄だろう。そして私はそのことを少々時間をかけつつも掴むことができた。——要するに、読者はコミックの2ページ目を見ながら、同時に3ページ目も見ている。読者は周辺視野で、これら2つのページの像をおおよそ認識している。だが、そのページをめくる瞬間に、読者を驚かせるための偉大な機会が訪れるんだ。本作の大コマに描かれた絵のいくらかは、そうした手法で見せようと試みている。例えば、とある号では、ページをめくると、3Dと見まごうばかりの戦闘機の群れが、唸りを上げて読者に突っ込んでくる。ミッチがそれらのページの絵を見せてくれた時、私は息を飲んだよ。そして、ページをめくることで、どれほどエキサイティングなことが起こせるかについて、深く考えさせられた」
マレルはそうしたコミックの脚本を書く技法の素晴らしさを摑んでいく一方で、マーベルと本作のストーリーの詳細について話し始めた。
「私が書きたいのは、アフガニスタンを舞台にした壮大な物語で、短編小説のような雰囲気になる、と言った」と、マレルは語る。
「本作は今の世界でスーパーヒーローになることという、非常に大きなテーマを扱うことになる。とりわけ、合衆国にちなんで名づけられたスーパーヒーローにとっては重要なテーマだ」
だが、ストーリーの詳細が固まった後、 マレルのキャプテン・アメリカ・プロジェクトはしばし棚上げにされたらしい。そこで彼は率先して行動に出た。
「私は第1号の脚本を書き上げた。まだ契約も結んでないうちにね。書きあげるや、彼らに送った」彼はそう説明した。
「この行動は、本作に対する私の熱意の表明として、マーベルの注意を惹けたようだった。多分、著名な小説家がそんなことをするなんて、彼らにしても滅多にない体験だったろう」
「やがてまた、企画の進展がゆっくりになり始めた」マレルは続ける。
「私は思った、“この企画を失速させる訳にはいかない。ならば第2号も書こう”。やがて私はそれらに対する原稿料ももらったが、この行動は根本的には、私がやりたいことを彼らに示し、正式に契約を結ぶためのものだった。更に私は残りの4号分も書いた。それでマーベルはこの企画に対して強い興味を抱いてくれて、“分かった、やろう”と言ってくれた」
『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』の刊行が遅れた理由はこうした事情以外にもう一つあった。
「コミックについて学ぶほどに、脚本の手直しがしたくなったんだ」と、マレルは言う。
「私は脚本をいじり続けた。できうる限り良いものにしたかったのでね。第6号を書いた時、あまりに沢山の要素を詰め込んだので、もう4ページ分書く許可をもらったよ。なので第6号は通常の22ページではなく、26ページになった」
マレルは作品を良くするために、一連の変更を加えていったが、やがて『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』は、別の変更を余儀なくされる。それは『キャプテン・アメリカ』のレギュラー・シリーズの展開を受けてのものだった。
「元々この作品は『キャプテン・アメリカ:ジ・エンド』と呼ばれていた」マレルは説明する。
「私はスティーブ・ロジャースが2月に裁判所の階段で撃たれるというマーベルの計画は聞かされていなかった。それは私にとって大きな驚きで、タイトルを変えるべきだと思った。何故なら読者が『ジ・エンド』というタイトルを見た時、これが2月に起きた事件の詳細なり後日談なりを語る話だと受け取りかねないからだ。だが私の作品はそれ自体で完結していて、また、任意の時系列に置くことができる」
「ともあれ、新しいタイトルの『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』は気に入ってるよ」マレルは続けた。
「実に壮大な響きを持ったタイトルだ。ちなみに本作はタイトル以外に、2月の事件の影響は受けていない。我々がようやくミッチ・ブレイトウェイザーに全ての脚本を渡せて以降、作品の内容は何ひとつ変わってないよ」
作中では、キャプテン・アメリカの一連のセリフで、この自由の守護者の特筆すべき個性だとマレルが考える要素を端的に表現している。
「作中で、彼の弟子とも言える海兵隊伍長に対し、キャプテン・アメリカが繰り返し言う“マントラ”がある。それは軍における4つの美徳――勇気、名誉、忠誠、そして犠牲だ。思うに、これらは単なる軍隊内の美徳ではない。それらは誰もが人生における行動規範とすべきものだ。だからこそ私は、キャプテン・アメリカにとても親しいものを感じるのだろう。何故なら、勇気、名誉、忠誠、犠牲は、私が自作の中で頻繁に扱うテーマだからだ」
「こうした事柄について話すことで、私が本作でどれほどの高みを目指しているかが分かるだろう。私は作中で、人々の振る舞いについて掘り下げたかったんだ」と、マレルは続ける。
「キャプテン・アメリカは氷漬けになり、何十年か後に蘇生された。このミニシリーズでは、彼は様々なことを考える。自分が凍り付いていた間に、世界がどれほど変化したのか――彼が慣れ親しんだ思いやりが、今や全く機能しておらず、文化も悪い方向へ転がったように見える――といったことをね。本作は多分にアクションを含むが、こうしたアプローチが、この物語を際立たせることになる」
マレルの『キャプテン・アメリカ』の今一つの特徴は、そのセッティングだ。
「私の物語は、911が起きて以降であれば、いつが舞台でも構わない。なにしろこの作品では911への言及がたくさんあるからね」マレルは言った。
「作中には、爆破で穴が開いた駆逐艦コールや、ワールド・トレード・センター、ペンタゴンの絵が登場する。マドリードの列車爆破事件やロンドンのバス爆破事件の絵もあるし、非常に現代に近い時点を舞台としている。本作は、ここ数年の間の任意の時点で起きたことにできるし、『キャプテン・アメリカ』#25での出来事に先駆けて起きた出来事と考えることもできる」
『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』は、それらの事件と関わりのある国、アフガニスタンを舞台としている。
「冒頭で、村を舞台にした大規模な戦いが書かれるが、物語の大部分は洞窟の中で起きる」マレルは説明する。
「暗い洞窟は、キャプテン・アメリカの心理を分析するには最適の舞台だ。我々はその深淵に足を踏み入れる。こうした比喩も作品で試みたよ」
キャプテン・アメリカ、そして読者と共に深淵への旅に赴くのは、本作の新キャラクター、アメリカ海兵隊のジェームズ・ニューマン伍長だ。
「彼はアフガニスタンにいる。しかも彼は、長らくそこにいて、沢山の戦闘を経験している。彼にはサンフランシスコに住む妻と息子がいて、今や彼は、ひたすらに家に帰りたいと思っている。この土地は善人と悪人の区別が難しく、そして彼は長い戦闘と周囲の状況に完全に疲弊している。そうした状況下で彼とキャプテン・アメリカは出会うことになる」
マレルはキャプテン・アメリカとニューマン伍長の冒険のあらましについては多くを語らないが、一方で彼は、現実に根ざしたスーパーヒーローの物語を書くことを意図していることを、繰り返し強調した。
「『ダークナイト・リターンズ』に立ち返ってみよう。読者はあの作品に登場するバットマンを信頼している」と、マレルは言う。
「読者はこう言うだろう、“ああ、僕はあのバットマンのことをよくよく理解してるし、彼に起きたことに強く共感している”とね。そうした共感を、私はこの作品でももたらしたいと思っている。私たちはキャプテン・アメリカがスーパーヒーローであることを当然だと思っている。だが、スーパーヒーローになるのはどんな感じなのだろう? 彼は1940年からその活動をしている。様々な出来事を見てきた、この男の頭の中はどうなっているんだ? 作中には、ナチスと強制収容所に関するパートもある。ミッチが素晴らしい仕事をしてくれて、非常に力強いアートになっている。そんな訳で、本作では現実の世界にキャプテン・アメリカという存在が存在していることになる」
現実世界にキャプテン・アメリカが存在しているが故に、読者は『ザ・チョーズン』の作中にコスチュームをまとった他のキャラクターが登場することは期待すべきではないだろう。
「本作にはスーパーヴィランはいない。全て現実的な相手だ」マレルは説明する。
「彼らが相手をするのはアフガニスタン各所にいる敵対勢力などになる。彼の回想での言及を除けば、他のキャプテン・アメリカの物語からのキャラクターは、本作には登場しない」
またマレルは、キャプテン・アメリカの経歴の中から、彼が超人兵士になった時の状況の再解釈を試みた。
「スティーブ・ロジャースがキャプテン・アメリカになるオリジンは非常に有名だが、その中には、これまで掘り下げられてない諸々の要素があると思ったんだ」と、マレルは指摘する。
「例えば光線の投射装置と薬品によってスティーブがキャプテン・アメリカに変じた直後、暗殺者によって教授が殺されてしまい、スティーブはしばし狂奔する。そして彼は光線の機械に暗殺者を投げつけ、機械を壊してしまう。これはどういうことだ? そいつを投げつける場所は山ほどあるのに、何故彼は、そんなことをしたんだ?」
「また、私は自分の小説の読者にこの作品に興味をもってもらいたいと思っているが、彼らの大方はキャプテン・アメリカとバットマンの見分けもつかない。したがって、彼らにキャプテン・アメリカの神話とそのオリジンを理解させる、何らかの補助が必要となるのは自明だ」マレルは続ける。
「その一方で、熟練の読者からは、“そんな話はとっくに知ってる。古いネタだ”と言われそうなことも良く分かっている。故に、キャプテン・アメリカが自身のオリジンを語るこのシーンでの目標は、オリジンそのものは変えずに、そこで起きた出来事の解釈を45度ほどずらすことだった。そうすることで、誰もが全く異なる視点からこの出来事を見ることができるようになる。同じ出来事を描きながら、そこに新たな解釈を盛り込むのは中々楽しかったよ」
なお、“911後を舞台としたリアルな作風の『キャプテン・アメリカ』の物語”が、読者には、数年前のジョン・ネイ・リーバーによる『キャプテン・アメリカ』の連載を彷彿とさせることには、マレルも気づいている。
「あの作品のことは承知しているし、ああした作風こそが私たちの目指すものだ」と、マレルは言った。
「同作で私の心に強く残ったのは、全ての救命隊員への賛歌と、そこに存在した全ての苦痛の描写、そしてキャプテン・アメリカがその場の人々を救おうとする姿だった。ワールド・トレード・センターを舞台にしたあの号が発売されるや否や、買いに走ったよ。最短距離でね。そうしたリアリズムこそ、私の求めるものだ。あのシリーズとの差異は、私の物語はそれ自体で完結していることを意図して作られている。また本作では、私が小説で用いるようなストーリーアークの手法を用いている」
マレルは『ザ・チョーズン』の脚本の執筆を大いに楽しんだ。そして彼は、共同制作者であるミッチ・ブレイトウェイザーとカラリストのブライアン・リーバーが、彼の脚本に生命を与える手際に更なる喜びを見出した。
「ミッチ・ブレイトウェイザーのアートは私が望んでいたものの遥か上を行っていた。まるで映画を見ているような手触りを感じたよ」と、マレルは述べた。
「ブライアンも同様に、素晴らしい仕事をしてくれた。脚本中で、私はこの物語の開幕を、アフガニスタンにふさわしい、くすんだ黄褐色に染まる空の景色で飾ることとした。作中の最初の鮮やかな色彩は、戦闘シーンでの血の赤だ。キャプテン・アメリカの登場は、第1号の半ばからだが、落ち着いた色合いのページが続いた後に登場する彼の鮮やかなコスチュームは、実に感動的で、強い印象を残した。私たちは色彩に関して沢山の実験をしたよ。ブライアンはミッチのアートを彩る以上の仕事をした。彼らは2人して私の予想を遥かに超える仕事をしてくれたんだ」
『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』はマレルの初のコミックブックの企画であり、おそらくは彼の最後の企画にはならないだろう。
「マーベルと私は、別の企画についても話をしている」マレルは言う。
「私たち全員が納得できる落としどころが見つけられれば、実現するだろう」
※マレルはこの6年後に、『アメイジング・スパイダーマン』#700.1-700.2(2/2014)と、『サベッジ・ウルヴァリン』#23(11/2014)の3誌で脚本を担当した。
※『マーベル グラフィックノベル・コレクション』32号の巻末の解説には、「『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン』はマレルが手がけた唯一のコミックブック作品である」という一文があるが、これは誤りである(原書のThe Official Marvel Graphic Novel Collection #54『Captain America: The Chosen』は2013年2月刊なので、「当時は」正しい情報だったのだが)。