■補足:『マーベルズ』刊行当時のコミック界
※最初に断っておくが、今回のエントリは大分に私見を含む。だいたい話半分で聞いていただくことを推奨する。
さて、前のエントリで紹介した『マーベルズ』が刊行された1994年当時のマーベル・コミックス社のコミックブックは──引いてはコミック業界全体は──売り上げは変に伸びていたものの、コミックの内容的には、なんというか、こう、迷走していた(私見だが)。
迷走の理由について私見を言えば、その少し前の1980年代後半に、コミック界を震撼させる様々な「発展」が複数起きたものの、その発展を継承して、さらにコミック界を発展させることに失敗したというか、割と変な具合に継承してしまったから、ではないかと思う。
例えば、当時のコミックのストーリーの変化だ。
1980年代後半に、アラン・ムーアの『ウォッチメン』や『バットマン:キリング・ジョーク』、フランク・ミラーの『バットマン:ダークナイト』、グラント・モリソンの『アーカム・アサイラム』、ニール・ゲイマンの『サンドマン』といった、高い年齢層を意識したコミックが続々とヒットを飛ばした。
また一方で1980年代中頃から『シークレット・ウォーズ』(1984年)、『クライシス・オン・インフィニット・アース』(1986年)、あるいは『ミュータント・マサカー』(1986年。『X-MEN』関連誌で展開された話で、下水道に隠れ住むミュータントたちが悪人たちに虐殺され、X-MEN側からも多数の重傷者が出る話)といった、「クロスオーバーもの」の企画が登場し、同一テーマが同時期に複数のタイトルで同時に描かれ、かつ、作品世界を揺るがせる大事件が起きる、ライブ感覚とダイナミズムの妙が好評を博し、大きな成功を納めた。
で、そうした「大人向けの話」「大事件が起きる話」を描いた特別なコミックが人気を博したのを受け、一般向けの普通のコミックでも、「大人向け」で、「人が死んだりするような大事件」が起きる話が割と普通に書かれるようになった。
そのこと自体はコミックの表現の枠と物語の可能性を広げる喜ばしいことではあったが、その一方で、「スーパーヒーローが悪人にリンチされ、相棒のヒーローがその復讐のために悪人を殺害する」的な、ひたすらに暗くて殺伐とした(いわゆる「グリム&グリッティ」な)コミックが、割とコンスタントに送り出されるようにもなった。その、安易に「大人向けのフィクション」を送り出そうとすると、そうした「嫌なリアルさ」を追求する方向に行きがちなものだ。
この間のエントリで紹介したJ.M.デマティスの『スパイダーマン:クレイヴンズ・ラストハント』(1987年)や、ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカのメンバーが仇敵の策謀で戦死していく「ジ・エンド・オブ・ザ・ジャスティスリーグ」(1987年、今確認したらこれもデマティスか!)、1988年に『バットマン』関連誌で展開されたイベント「ア・デス・イン・ザ・ファミリー」(バットマンの相棒のロビンがジョーカーにバールで滅多打ちにされた末に爆殺される話。おまけにロビンの生死は読者の「電話投票」で決定された)、マイク・グレルの『グリーンアロー:ロングボウ・ハンターズ』(作中でグリーンアローの相棒のブラックキャナリーが悪人に拷問を受け、その悪人をグリーンアローが容赦なく殺す。ただしこれは元から「成人向け」として刊行されたシリーズ)等々。
中には『クレイヴンズ・ラストハント』の様に、後年にマスターピースとして評価される「グリム&グリッティな傑作」も登場したが、そうした作品は、他の無数の「安易なグリム&グリッティ」の作品群に押し流された。
一方で、主人公が悪人を容赦なく殺害する『パニッシャー』のオンゴーイング・シリーズも1987年に創刊され、早くも翌1988年には姉妹誌である『パニッシャー:ウォー・ジャーナル』も創刊されるなど、雑誌のコンセプトからして殺伐とした内容のコミックも登場し、「グリム&グリッティ」の時代が花開いていく。
また一方で、「クロスオーバー」ものの人気を受け、マーベルは『シークレット・ウォーズⅡ』(1985年)、『フォール・オブ・ミュータンツ』(1988年)、『エボリューショナリー・ウォー』(1988年)、『インフェルノ』(1988年)、『アトランティス・アタックス』(1989年)、『アクツ・オブ・ヴェンジャンス』(1989年)、『デイズ・オブ・フューチャー・プレゼント』(1990年)、『X-ティンション・アジェンダ』(1990年)、『インフィニティ・ガントレット』(1991年)、『オペレーション:ギャラクティック・ストーム』(1992年)、『インフィニティ・ウォー』(1992年)、『ライズ・オブ・ザ・ミッドナイト・サンズ』(1992年)、『X-キューショナーズ・ソング』(1992年)、『マキシマム・カーネイジ』(1993年)、『インフィニティ・クルセイド』(1993年)、『フェイタル・アトラクション』(1993年)……等の、クロスオーバー企画をバンバン送り出していく。
無論、マーベルのライバルのDCコミックス社も、似たような頻度でクロスオーバー企画をバンバン送り出していった。
これらクロスオーバー・イベントは、当初は物語世界の活性化のために、作家陣と編集者が入念に企画を練って送り出していったのだが、まあ、世の中そこまで意欲的でデキる作家・編集者はいないもので、やがて単なる「お祭り騒ぎ」を主眼とした、空虚な騒ぎばかりが連発されるようになり、全体のクオリティは下がった(私見だが)。
また、クロスオーバー企画を連発するために、「会社全体」規模の大型クロスオーバーの他に、『X-MEN』編集部や『スパイダーマン』編集部で扱っているタイトル間での、より小規模なクロスオーバーが増えていった。こうなると各クロスオーバーの内容は、各々の編集部の企画力に依存するようになり、微妙なキャラクターばかり抱えている編集部は、微妙なクロスオーバーしか送り出せなくなる。
そんなわけで、この時期の市場には、大人向けっぽい「グリム&グリッティ」と、空騒ぎの「クロスオーバーもの」という、刺激に満ちた内容のコミックが席巻していた。で、そういう刺激の強いコミックばかりを与えられた読者は、「普通の話をしてるコミック」を「あんまり刺激がないもの」として軽視するようになる(しかも刺激のあるクロスオーバー・ストーリーも、徐々にクオリティが低下していく)。
他方、無数のヒット作が登場したことや、1970年代末から新興のインディーズ・コミック出版社が活況を呈していたことで、コミックショップのバックナンバー市場も活気づいた。……のだが、結果、「人気が出そうなコミックを青田買いする」バイヤーが増加し、1990年代に入ると「コミックブックを投機目的で買う」層による空虚なブーム(後世、「スペキュレイター(投機家)・ブーム」と呼ばれるようになる)に繋がってしまった。
また、高級紙を用いたプリスティージ・フォーマット(このフォーマットで出された『バットマン:ダークナイト』がヒットしたことで広まった)や、1980年代前半から刊行されていた、大判のグラフィック・ノベル(印刷も一段上等なクオリティでされていた)など、コミックブックを構成する素材の発達は、いつしか「特殊インクによる印刷」だの「箔押し」だの「プリズム・フォイル」だの「ホログラム印刷」だの「折り込み表紙」だの「カバー違い(ヴァリアント・カバー)」だのといった「特にコミックの中身には関係ない派手なだけの表紙」の登場に繋がり、やがてスペキュレイター・ブームと連帯して、「創刊号や記念号などを、派手派手しい素材を使用した表紙で飾り、それを投機目的のバイヤーや読者が大量注文する」という、「ギミック・カバー」ブームにも繋がった。
それとはまた別の流れで、1980年代後半から、ジム・リー、ロブ・ライフェルド、トッド・マクファーレンら、新世代のスーパースター・アーティストが台頭し、コミックのアートに新しい潮流を生み出したのだが、これはこれで「そんなに内容がないコミックでも、カッコいいアートが描かれていれば、まあいいや」的な読者の認識が広がったり、スペキュレイター・ブームを受けてスーパーアーティストの描いたバックナンバーが無闇に高騰したり、人気アーティストの上っ面だけ真似たアーティストの増加などの弊害にも繋がった。
……なお、この当時マーベルは、新興出版社に対抗するため、「とにかく刊行点数を増やして、コミックショップの棚面積を奪う」という力業にも程がある刊行方針を取っていたため、それら有象無象の「上っ面だけアーティスト」にも仕事が与えられることになった(なお、人気のあるタイトルはちゃんとしたアーティストを抑えていたので、それらの「上っ面アーティスト」は、主に人気が微妙なタイトルに起用され、元々の不人気をさらに加速させていった)。
で、刊行点数を増やすために、ヴェノムだのセイバートゥースだのデッドプールだのといった「人気悪役キャラクター」にも、ホイホイ新シリーズ(大概は号数が限られたリミテッド・シリーズ)を与えられることとなった――1994年頃にマーベルが仕掛けた「バッドガイ・ブーム」という奴だ。これらのシリーズは、悪役が主役なので、必然、内容はグリム&グリッティだったし、シリーズ創刊号の表紙は、当たり前のように「ギミック・カバー」が用いられた。
また、ライフェルド、リー、マクファーレンらは、その後、所属するマーベル・コミックス社と対立し、折からのインディーズ・コミックス出版社ブームに乗って、自分たちの会社であるイメージ・コミックスを立ち上げた。そしてイメージ・コミックス社から刊行されるスーパーアーティストの新作コミックは、スペキュレイター・ブームの追い風を受け、これまた高騰した。
あと、イメージ・コミックスが出来る前に、元マーベル総編集長ジム・シューターが立ち上げた、ヴァリアント・コミックス(元々は大金持ちと手を組んでマーベル・コミック社そのものの買収を目論んだが頓挫し、買収用に用意してた資金を流用して新興出版社を立ち上げた)も台頭していて、ここもギミックカバーや「第0号」だのを連発したり、大型クロスオーバーをバンバン展開して読者を煽った(ヴァリアントの編集者が、自分が手掛けたコミックブックの見本誌を処分して、子供の進学費用を賄った、なんて話もある)。
ちなみにその後、イメージ・コミックスとヴァリアント・コミックスは、会社を超えた夢のクロスオーバー企画『デスメイト』を企画し、マーベルにトドメを刺さんとするが、イメージ側のアーティストがもの凄い勢いでシメキリを破りまくり(最初に刊行される『デスメイト:プロローグ』ですら、ロブ・ライフェルドが締め切りを破りまくったため、ヴァリアントの編集者で現役のインカーだったボブ・レイトンが西海岸のライフェルドの仕事場に押しかけ、缶詰にして原稿を描かせ、そのままホテルに戻って自分でインクを入れて無理矢理完成させた)、発行日を数ヶ月過ぎても本が出ず、小売りへの返金騒動とかも起き(慣習として、コミックの発売予定日から半年経っても本が出ないと、注文をキャンセルして返金しなければならなかった。そして出版素人のイメージの作家陣は余裕で半年以上シメキリをブッチぎった)、皮肉にもスペキュレイター・ブームを失速させる一因となった。
上は、この当時のコミック業界の惨憺たる有り様についてまとめた資料本『ザ・ダークエイジ:グリム, グレート&ギミッキー・ポストモダン・コミックス』。
あと、スペキュレイター・ブームのあおりを受け、1991年にコミック情報誌「WIZARD」が創刊された。それ以前にも、老舗「コミックス・ジャーナル」や「アメイジング・ヒーローズ」他のコミック情報誌は存在していたが、「WIZARD」はミもフタもないことを言えば「投機目的にコミックを買う読者向け」の内容に特化しており、巻頭に人気作家のインタビューや、各出版社の最新コミックのプレビューを掲載しつつ、巻末には人気コミックの売り上げランキング、バックナンバーの人気ランキング、そして最新コミックスのプライス・ガイドを掲載し、スペキュレイター・ブームに乗ったファンを煽りに煽った。
この「WIZARD」の成功を受けて、プライスガイドの老舗オーバーストリート・パブリケーションも、同コンセプトの月刊誌「オーバーストリート・ファン」を立ち上げ、やはりファンを煽った。スペキュレイター・ブームの末期は、これらの出版社の記事が読者を煽ることで「次のブーム」を生むという、マッチポンプ気味な流れもできていた。
それらの諸々の事情が絡み合う混沌とした状況下において、当時のマーベル・コミックがどんな具合になったかと言うと、新興のイメージやヴァリアントの派手な新規タイトルに対抗するため、無闇に新オンゴーイング・シリーズや新リミテッド・シリーズを立ち上げ、それらのスタッフとして「そもそも大手出版社でコミックを描く水準に達していない作家たち」を多数起用し、で、それらの新規タイトルは、景気づけに他のタイトルからゲストキャラクターがバンバン登場するわ、物語の地固めも終わってないのに無為なクロスオーバーを繰り広げるわの、空虚な話を指向し、結果、毎号の物語の内容は薄くなり、で、その薄っぺらいシナリオをジム・リーやマクファーレンもどきの二流アーティストがデカいコマで描き飛ばし、合間合間の○周年記念や、キリの良い記念号などの節目の号では、主要登場人物が戦死したり爆死したり病死したり四肢を喪ったりするようなグリム&グリッティな展開が押し出されつつ、それらの号の表紙を鮮血色だの金だの銀だの虹色だののカバーが飾り、それを発売前から「WIZARD」「オーバーストリート」等のコミック情報誌が煽り、問屋も煽り、小売店も煽り、末端の読者はまんまとそれらのコミックを買い漁り、情報誌の巻末の「コミック・プライスガイド」で、自分の持っている号が値上がりするのを見てニヤリとする……といった感じだった(大分、私見が入っています)。
そんな混沌とした市場に、不意に現われたカート・ビュシーク&アレックス・ロスの『マーベルズ』は、読者に強い衝撃を与えた。
なんというか、『マーベルズ』は、大人向けだとかグリム&グリッティだとかギミックカバーだとかクロスオーバーだとか、そういう市場の現状を割とこう「まあ、それはそれ」と受け止めた上で、「でも、こういうのも良くない?」と、建設的な提案をしてきた作品だった(と、個人的には思う)。
例えば、『ウォッチメン』が切り開き、当時の流行の思考実験のテーマとなっていた「現実的な世界に、ヒーローがいたら」的な世界観に対し、『マーベルズ』は、「それはそれでいいけど、ちょっと夢がなくない?」的に、全く逆の、それでいて同様に興味深い思考実験のテーマとして、「スーパーヒーローが存在する世界に、私たちがいたら」という視点を提示した。
また、『マーベルズ』の物語のクライマックスは、とあるキャラクターの死が描かれることになるわけだが、身近な存在であった「彼女」の死と、スーパーヒーローが市民を救えなかったという事実に心を揺らされる主人公フィル・シェルダンの心情に寄り添い掘り下げていく本作の作劇は、安易にキャラクターを殺してドラマを盛り上げようという、通り一遍の「グリム&グリッティ」とは視座が違っていた。
また、当時、マクファーレンやライフェルドの様な「デッサンよりも勢い重視」なアーティスト、ジム・リーやマーク・シルベストリの様な「リアルさよりもカッコよさをひたすらに先鋭化させた」アーティストが隆盛を誇っていた市場に、アレックス・ロスのスーパーリアリティなペイントアート──ヒーローの肉体はおろか、コスチュームの縫い目や、怪人の被るゴムマスクの質感すらもひたすら律儀にリアルさを追求し、「堂々とリアルに描いたこと」で、「一周回って全部カッコよく見える」そのアートは、「こういうカッコよさもアリなのだ」という新たな美的感覚を読者にもたらした。
なお、『マーベルズ』のオリジナルのコミックブック(全4号)は、「アセテート・カバー」というギミック・カバーを取り入れていた。これは透明なプラスチック板に、一色(黒)で『マーベルズ』のロゴを印刷したものが、アレックス・ロスのペイント・アートの上に被さっている感じのカバーだが、このギミックは「アレックス・ロスのカバーイラストをロゴを乗せない状態で見せたい」、という「必然性」から導き出されたものであり、読者の耳目を集めるための安易なギミック・カバーとは心意気が違っていた。
そしてシナリオ、アートの双方から満ち溢れる、正しいことのために戦うスーパーヒーローへの賛歌、マーベル・コミックスという会社が半世紀以上に渡り培ってきたヒーローものコミックの歴史への感謝、抑えきれないコミックと言うメディアへの愛情は、やれスーパーマンが死んだだの、バットマンが引退しただの、スパイダーマンの両親が生きていただのと言った既存のキャラクターの生き死にを転がしてギミック・カバーを売る、荒涼とした当時のコミック史上に疲弊していた読者の乾いた心に染み入ったのだ(私見です)。
そしてその後1995年に、カート・ビュシークは、スーパーヒーロー・コミックというジャンル自体への賛歌と、『マーベルズ』で描いた「スーパーヒーローのいる世界の日常」をさらに押し進めた作品『アストロシティ』を、あのイメージ・コミックス社から刊行する(同作のキャラクターデザインと、カバーアートはアレックス・ロスが担当)。
さらに同年、ビュシークはマーベルでオンゴーイング・シリーズ『アントールド・テールズ・オブ・スパイダーマン』を担当。これは、最初期の『アメイジング・スパイダーマン』誌の「各話の合間に起きたエピソード」を描いていくと言うコンセプトのシリーズで、ビュシークが『マーベルズ』で見せた、「過去のマーベルのコミックのコンティニュイティ(継続性)」へのマニアックなこだわりの方にスポットを当てつつ、スパイダーマンと言うキャラクターの原点に立ち返ったストーリーで、読者にストレートなヒーローもののコミックの面白さを再認識させた(しかも同誌はコミックブックの値段が1冊2ドルになろうとしていた当時にあって、1冊99セントという破格値で刊行された)。
他方、DCコミックス社の『フラッシュ』で、クラシカルなヒーローによる情緒あふれる物語を書き、一定の評価を受けていたマーク・ウェイドが、1995年中頃から、マーベルのクラシカルなヒーローの筆頭『キャプテン・アメリカ』のライターに就任する。
当時の『キャプテン・アメリカ』誌は、「力の源である超人血清の効力が切れかけ、生命の危機を迎えたキャプテン・アメリカが、アイアンマンばりのパワードスーツに身を包み、ジャック・フラッグ、フリー・スピリットといった現代的でクールな星条旗モチーフのヒーローらとチームを組んで活動を続ける」という、絵に描いたような迷走をしていたが、ウェイドはその辺をバッサリと切り捨てた。
キャプテン・アメリカは色々あって超人血清が回復し、元のコスチュームに復帰。そして作中で長年「死亡」していたサブキャラクター、シャロン・カーター(キャプテンの恋人であり相棒)も復活。さらにはキャプテンの最大の仇敵レッドスカルも復活させ、彼らとコズミックキューブ(『キャプテン・アメリカ』の伝統的なガジェット)を巡って共闘すると言う、キャプテン・アメリカの物語の原点に立ち返った物語を展開した。
「リアルとか現実的とか細かいことにこだわる前に、面白いコミックを書こうよ、なあ!」と言った具合な(私見)ウェイドのキャプテン・アメリカは、当初、割と知る人ぞ知る傑作といった扱いだったが、やがて「WIZARD」他のコミック情報誌が、「今面白いのは、『キャプテン・アメリカ』の王道の物語だぜ!」「それと、『アントールド・テールズ・オブ・スパイダーマン』も良いぜ!」と、手のひら返しで紹介し、「王道の物語バンザイ」的な特集記事で読者を煽ったことで、コミック界の様相は一変した。
今まで何ドルもするギミック・カバーを集めていたスペキュレイターな読者は、たった99セントの『アントールド・テールズ・オブ・スパイダーマン』を、1ドル50セントの『キャプテン・アメリカ』を、求めだすようになったのだ。
そしてまた、マーク・ウェイドはアレックス・ロスと組み、1996年にDCコミック社から全4話のリミテッド・シリーズ『キングダム・カム』を送り出す。「空虚な空騒ぎを続ける新世代ヒーローらと、殺伐とした暗闘を続けるヴィランらに、スーパーマンらクラシカルなヒーローが王道の道筋を示す」という、よく考えれば直球過ぎる内容の『キングダム・カム』は、折からの王道回帰の流れもあり、ヒット作となった。
でー、こうした王道回帰の流れの中でマーベル・コミック社は1997年に、ジム・リー、ロブ・ライフェルドらイメージのスーパーアーティストの一部をマーベルに呼び戻し、彼らにキャプテン・アメリカ、アイアンマン、ソー、アベンジャーズ、ファンタスティック・フォーらクラシカルなキャラクターをリメイクさせるという『ヒーローズ・リボーン』の企画をぶち上げた。
このマーベルの路線に、それなりの数の読者が「王道回帰的な路線が流行しているのに、なんでスーパーアーティストを呼び戻すの? ていうか、『ヒーローズ・リボーン』のために、ウェイドの『キャプテン・アメリカ』を打ち切るの? 冗談じゃねぇぞ!」と思ったが(恐ろしいほどの私見です)、それはそれとして、『ヒーローズ・リボーン』の企画は始動した。まあ、マーベルにしても、市場の大きな変化は分かっていたと思うが、多分、変化の前から仕込んでいたであろう、この大型企画を取り辞める訳にもいかなかったのだろう。
が、いざ始動した『ヒーローズ・リボーン』は、スーパーアーティストらがいつもの調子で締め切りに間に合わなかったり、諸事情でロブ・ライフェルドが降板して、ジム・リーのスタジオが尻拭いをする羽目になったり、あんまり新しい視点を盛り込めずに、最後はギャラクタスと言う、クラシカルなヴィランをラスボスに据えてなんとなく締める感じで、まあ、割と微妙な結果に終わり、『ヒーローズ・リボーン』関連誌のバックナンバーは、全米ナンバー1の受注数をたたき出す一方で、大量に売れ残ったバックナンバーは特売ボックスに放り込まれた(私見)。
翌1998年、マーベルは「ヒーローズ・リターン」と銘打った新路線を臆面もなく展開。新創刊される『アベンジャーズ』と『アイアンマン』のライターにカート・ビュシークを、『キャプテン・アメリカ』のライターにマーク・ウェイドを据え、さらには『ファンタスティック・フォー』や『ソー』にも、実力派のライターを据えて、「実力派ライターと、ハッタリでない確かな表現力を持つアーティストによる王道回帰路線」へ、大きく舵を切ることになる。
……その一方でマーベルは、インディーズ・コミック・ブームの生き残りであるイベント・コミックス社のジョー・カザーダを起用し、「王道回帰の次」を狙った新たな改革路線「マーベル・ナイツ」レーベルを1998年から始めたりと、けして「王道回帰」にこだわらない施策をしていて、まあしたたかだと思うが、長くなるので今回はこの辺で。
(あと、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の影響で、カート・ビュシークらメインストリームの作家が「単純明快なヒーローものを書くこと」に疑問を持ってしまった、という事態も起きる)
と、まあ、大雑把に私見を語ってきたが、要は、『マーベルズ』は1990年代後半の「王道回帰」の流れで中心的役割を果たすカート・ビュシークとアレックス・ロスの出世作、という点で、歴史的な意義を持つマイルストーンなのである。以上(まとめるの下手過ぎる)。