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花と石の写真

お花見シーズンだったので、私も一応人並みにお花見など行ってきて、桜と石の写真など撮ってみました。

Instagramにアップしたのはこれです

低く這っている枝をいろいろ探して、何とか石を置けそうなとこを見つけて撮ってみました。なんかもはや石がどこにあるんだかよくわかんない感じの写真になっておりますが…。

でも、自分としては好きな写真。
ハート型モルガナイトなんですけど、形がよくわかんなくなってます。

Instagramに採用したのはこの写真ですが、他にも何枚か撮りました。
Instagramは1日1写真と決めていて、基本的にその日に撮った写真をアップするようにしているので、他の写真はInstagramでは日の目を見ないのですが、ここはそういう制約は考えてないので他の写真も出してみます(twitterにも出しました)

同じ枝にピンクトルマリンを置いてみました。
日差しが強い時間帯だったのでなんか石が見えにくくなっちゃってます。
(石は自然光で撮るのがキレイなんでうが、日差しが強すぎると逆にまた撮りづらいんですよねーむつかしい)


これは石を手に持って花に近づけて撮ったもの。
まあこれが普通?な撮り方?(何を普通というのかよくわからないけど)


根っこのとこにも置いてみました。
華やかさに欠けるかとも思いましたが、これはこれでキレイなんですよねー。


お花見に行った時に撮った石写真はこれくらいですが、後日ご近所を舞っていた桜の花弁を集めてこんな写真を撮りました。

この写真も気に入ってます。
なんかボヤーとした感じの写真になってますが、別に加工とかした訳ではなくて、この日は朝お天気が悪かったので光が自然にこんな感じになってしまったのですが、そこが逆によかった気がしています。
そういうところも「日々撮る」ことの醍醐味なんですよね。その日のお天気も写真の一部になるという…。


そんなこんなな感じで桜と石を組み合わせた写真をいくつか撮ってみた訳ですが、「花と石」の取合せもいいのですよねー。
私は石の方が好きですけど…。

花と石の(私が勝手に思っている)共通点は「地球上で最も色彩世界が豊かな領域の1つ」だと言うこと。
花も石も、色彩が豊富な領域ですよね。
花はともかく、石については興味がない人はあまりピンとこないかも知れませんが、本当にもうびっくりするぐらいに沢山の色がある世界なんですよ!
私は多分石のそんなとこにも魅了されている。


さて、桜についてなんですけど…。

「桜」に対する認識は東日本大震災を期に自分の中でだいぶ変わった気がします。

もちろんそれまでも普通に桜大好きでしたよ。そもそも過去にも桜と石の写真を撮ったりしたこともあったし。
でもやっぱり、東日本大震災以前は「毎年当たり前に見られるもの」のように思っていて、あんまりありがたみとか感じていなかったと思います。「毎年春が来れば見られるんだからそんなに大騒ぎしなくてもいいじゃん」みたいな。

でも、東日本大震災が起こった時、桜を見られることは全然当たり前のことなんかじゃないことにようやく思い至りました。
日常が吹き飛ぶような事態(戦争、災害、その他いろいろ)のことに遭遇していなくて、毎日普通生活できているからこそ桜を見ることができている。
そんな当たり前のことを改めて実感したのでした。

震災の年の桜は、それまでとは全然違うように見えました。
月並みですが、美しさが身に染みると言いますか…。
「こうやって静かに当たり前のように桜が見られるって本当に有難いことなんだな」と本当に素直に思いました。

あんなに大きな災害があったというのに、桜はまるでそのことに影響を受けていないかのように静かに美しく咲いていて、そのことが悲しく残酷なようにも感じられました。「人間がこんなに混乱して過ごしているのに…」みたいな。

でも、そのことが同時に救済のようにも思えたのです。
自然は人間の都合とは全然別の次元でその営みを続けている。
だからこそ人間にとって驚異であり、同時に救済のようにも働く。
そんなようなことを思ったりしました。
(こういう書き方を不謹慎に思われる方がおられたら申し訳ございません。自然は人間のコントロール領域を超えている、ということを感じたので書いています)

震災以降は、それまで以上に自然に素直に桜に感謝できるようになった気がします。
思いっきり楽しんでいいじゃん。だって桜は美しいんだもん。
そういう風に思うようになりました。
(そうは言っても花見の席の酔っ払いとかは私はどうしても駄目なんですが…。アルコール&酔っ払いがホントに駄目で…。新宿御苑はアルコール持ち込み禁止になってるので助かります)

桜さん、今年も会えて嬉しかった。
また来年きっときっと会いましょう。

(これは石なし写真。桜が水につかってます)


さて、真面目(?)な話はこれくらいにしておいて…
以下はいつものように石に対する狂った?愛情について書きます。

私はまあ人並みにお花も好きだと思うんですが、やっぱり石の方が好きです。
なぜか、動物や植物よりも鉱物に触れている時に心が安らぐのです。

これを自分でも「何で?」って思います。
普通に物質的(と言えばいいのかな…)に考えれば、どう考えても動植物の方に心安らぎそうじゃないですか。自分に近い感じなんだし。

でもなぜか私は、鉱物があるととても心安らぐのです。
とても静かで落ち着いた気持ちになる。鉱物を自分に近しい存在のように感じる。
これってなんなんだーと自分でも思います。
どうにもこうにも私は、有機物より無機物に心安らぐ傾向があるようです。

石に興味を持つようになってから、そのことをなんでーとよく考えていました。
何で私はこうも無機物に心安らぐのかしら…
一応私だって有機化合物生命体である筈なのに…

そんなようなことをいろいろ考えていると、受験生の頃受講した予備校の化学の授業で聞いた話を思い出しました。有機化合物の授業で講師の方が以下のようなことを話していたのでした。

炭素の化合物が多いのは、炭素が原子価4で共有結合を作りやすい構造だから。炭素と同じ原子価4の物質は、周期表で炭素の下にあるケイ素。だから「ケイ素化合物を主とする地球外生命体がいるかも知れない」と考える科学者もいる

そうだった!ケイ素って何気に炭素に構造が近いって話があったんだ!
なーんだ!じゃあ別にそんなに変って訳じゃないのかも?
親和性と言うか、親近感を感じちゃうのは自然なのかも?
などと勝手に納得しちゃたりしていました。

…いえあの、科学的には多分全然意味のない話だとは思うんですけど…
そもそも鉱物全部にケイ素が含まれてる訳じゃないけど…
って言うかダイヤモンドなんて炭素ですけど…(だったら益々惹かれるの納得ではないか。ダイヤモンド高いから私持ってないけど)

とにかくまあそんなこんなで自分としては「まあどうにもこうにも石に惹かれちゃう体質(?)の人間もいて、そんなにおかしな訳でもないのよねーきっと」勝手に納得しました。


去年「宝石の国」がアニメ化されて、あの漫画に登場する石が随分と話題になたらしいです。フォスフォフィライトなんてもう日本の石市場から無くなったらしいとか何とかいう話も聞きました。

私はアニメの方は見てないのですが(テレビ持ってなくて)、漫画は前々から大好きでした。あの世界観がなんかもうどうしようもなくしっくり来ます。
脆くて強くて、永遠の命を持て余すかのように終わりの無い戦いを続ける美しい石達…。
なんかもう、こういう世界観好きすぎる!
それどころか、遠い昔の記憶として知っているような気さえする!
そんな風に思いました。
この漫画がある程度の評価を受けているということは、私のようにどうしようもなく石世界に惹かれる人間が一定数存在するってことなのだろうなーと改めて思いました。

多分、人類の歴史の中で、いつの時代もどの地域でも、私のように「どうにもこうにも鉱物に惹かれちゃう、動物より植物より鉱物に親和性を感じちゃう人間」っていうのが一定数いたんじゃないかしら、という気がします。

石を「貴重なもの」「高貴なもの」「特別な力を持つもの」として尊ぶ文化は多分世界中にある。それは歴史や文化人類学を紐解けばわかること。

本当に、どうしようもなく鉱物に心惹かれてしまう人間がいつも地球上にはいたのではないかと思います。
もちろん、私もそういう人間の1人です。

石は「とても静か」な存在だなーと個人的に思っています。
静かで、寡黙で、何か特別な叡智を持っている…。
私には、そんな風に思えてしまいます。

植物好きな方には申し訳ございませんが…、
石と比較すると、植物って「生命力ありすぎ!獰猛!」とかつい思ってしまう瞬間があります。

例えば、アスファルトさえも動かしてしまう根っことか。
抜いても抜いてもぐんぐん生えてくる草達とか。
百合の花粉をうっかり手につけてしまったら中々色が落ちないとことか。

そういうのを見るにつけ、なんか植物の生命力の凄さにちょっとたじろいでしまったりします。
いえあの、もちろんそういうとこが植物の素晴らしさ、美しさではあると思うのですが、私はちょっとたじろいでしまったりするのです。

石は、とても脆くて静かな存在だという気がします。
何て言うか「侵略してくる」みたいな感じがホントに無い存在だなあ…、という気がしています。
静かで、脆くて、そして何かとてつもない叡智を秘めている存在のように見える。
石のそんなところに惹かれているのです。
そんな存在と一緒の空間にいるだけで、私の心の静かに深く落ち着くのです。
深呼吸をした時のように。

えーと、ホントに科学的にはなんの意味のない話ですみません…。
そもそも石生きてないし、「存在」とか言っちゃうのもなんなんですけど…。

でも、ずっと大事にしてきた人形とかを人は無下に扱えなかったりしますよね。そういうことに近いのかな。
勝手にそこに命にみたいなものを感じてしまう。それも人間の心の動きの1つだと思っています。

とにかく、私にとっては石は「静かで穏やかで、そして何か深い叡智を持っているかのように見える存在」です。
そして、一緒の空間にいると本当に本当に心が落ち着くのでした。
石たちのそんなところが、いつもいつも大好きです。


ひたすら石購入の為に使用します!