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『Il Cantico del Sole』 誕生秘話 

今回の特別公演で委嘱初演をする、ユリユス・カルツァス氏作曲『Il Cantico del Sole(太陽の賛歌)』。全10曲からなるこの壮大な組曲がどのようにして生まれたのか、その誕生秘話を6話に渡りお送りします。

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第1話 はじまりの一日


 2009年3月、国立音楽大学附属高等学校合唱部は2度目の海外演奏旅行としてリトアニア、ポーランドに赴いた。どうして突然音高の話? とお思いになる方がいらっしゃるかもしれないので、コーラス・インフィニ☆は音高合唱部OGを中心に結成された合唱団であることを補足しておく。演奏旅行中、音高合唱部はリトアニアの首都ヴィリニュスのコングレスホールで地元合唱団とのジョイントコンサートを行った。コンサートでは、ヨーロッパの方々に喜ばれる楽曲だけでなく、特に歌いたい日本の曲としてプログラムに組み込んだ「白いシクラメン(抜粋)」を披露し、その日一番の大きな拍手をいただいた。

 終演後、会場で行われたレセプションの最中にその出来事は起こった。当団のアドヴァイザーであり、当時音高合唱部で指揮を振っていた荒木氏は、お客様がいらしていると係りの方に声をかけられた。案内されて対面したのが、偶然観客として会場を訪れていた、ユリユス・カルツァス氏その人であった。話を聞くと、「白いシクラメン」に感動し、「強い印象を受けた。楽譜を見せてほしい」と言うのである。このとき、勇気を振り絞って訪ねたのだ、と後にカルツァス氏は語っている。それを聞いた荒木氏は、リトアニアでこの曲に興味を持ってくれる人がいたらいい、という期待から余分に持参していた楽譜をプレゼントしたのであった。ちなみに楽譜は作曲者の瑞慶覧氏、音高合唱部の指揮者荒木氏、ピアニスト星野氏、菊池氏4名のサイン入りのものであったそうだ。その後も交流を図ったが、荒木氏はカルツァス氏の名前を聞き取ることができず、また、名刺も持ち合わせていなかったため、交換もできなかった。カルツァス氏にどこのホテルに宿泊しているのかを尋ねられたので宿泊先を伝え、その日は別れた。

 終わったかに思えた交流が新たな展開を見せたのは、その翌日のことであった。

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