男鹿中の美味しい魚が集まる人情系酒場──居酒屋 秀
獲れたて海の幸や、バラエティ豊かな日替わりメニューを求め、ランチタイムから夜深くまで賑わう「居酒屋 秀(ひで)」。座敷、掘りごたつ、テーブルにカウンターと席数は多いにもかかわらず、予約なしでは入れないこともあるほどの繁盛店です。
店を取り仕切るのは、“秀さん”と呼ばれて慕われる店主・池田秀美(いけだ・ひでみ)さんです。オープンから40年。文字通り町中の人々が集うこの店で、秀さんは何を見つめてきたのでしょうか。
男鹿の街に40年の老舗居酒屋
「父親の父親が、樺太から引き揚げて男鹿に来たの。親戚がいたから、ちょっと頼ってきたんじゃないかな」
秋田県男鹿市で生まれ育ったという秀さん。一時期は東京に本店を持つ企業で働いていたそうですが、仙台支店に転勤したころに「義兄の寿司店の人手が足りない」と声をかけられ、以来、飲食の道に進むことになりました。
寿司店で技術を身につけ、男鹿に戻ったあとも割烹料理店、かんぽの宿などで料理人を務めます。山間の繁華街にビルができると聞き、自身の店である「居酒屋 秀」をオープンしたのが1970年代のこと。当時はバブル時代で、男鹿も全国の人々が訪れる観光地でした。
35年続いたという創業時のお店については、「寿司陣(※1)の一本くらい先のところにあったの。当時は、そこらへんがずっと繁華街でね。おとみ(※2)さんの向かいだった。すぐ潰れる予定だったんだけど、そこからなぜか40年」と説明してくれました。
2018年には駅近の立地である現在の場所に移転。醸造所やSANABURI FACTORYから徒歩2分というアクセスのしやすさから、稲とアガベのメンバーも足繁く通っています。
男鹿中の美味しい魚が集まる理由
寿司店仕込みの技術を生かし、男鹿の海の幸をふんだんに味わえる居酒屋 秀は、男鹿の地域グルメが楽しめる店として地元客・観光客の両方から高評価。魚の仕入れはすべて、秀さんが担当しています。
「大体、電話で競ってもらうの。『今日はこういうのがあるよ』って連絡が来るし、直接船からもらうものもある。昔からの仲間が、みんな親方や船主ばっかりだから」
男鹿の港中のおいしい魚が集まってくるのは、秀さんの口利きあってのこと。「時化てる(不漁の)時でも『なんとかならない?』って聞いたらなんとかなる」と、笑顔を浮かべます。
「基本的には、ほとんど地元のものしか使わない。旅で来る人は男鹿のものが食べたいし、『◯◯水産で獲ったエビですよ』って宣伝できるし、うちも自信持って調理できるし。男鹿のものは、絶対悪いことないからね」
一方、地域の人が飽きないよう、日替わりメニューのほか、中華料理や揚げ物など、海鮮以外のラインナップも充実しています。
従業員は22名。当初、魚を捌けるのは秀さんだけだったそうですが、現在はスタッフもスキルアップしており、「今はほとんど俺がやらなくてもいいかな」と言います。
「5年前に来た甥っ子も、初めは素人だったんだけど、頑張って寿司も握れるようになってきた。みんな、ここで生まれ育った人ばかり。『働き口がない』とよく相談されるんだけど、来た人はみんな入れちゃうからね」
変わる男鹿、変わらない男鹿
取材をおこなったOgresse Quete(オグレスクエット)の窓から漁港を見下ろしながら、「以前はここでハタハタが大量に上がって、行ったら何箱ももらえたんだよ。それが今は一尾300円とかになってるでしょ」とぽつり。
男鹿で生まれ育ち、40年にわたって飲食店を経営する中で、男鹿の変遷を見つめ続けてきた秀さん。居酒屋 秀をオープンしたころの男鹿については、「忙しかったね。ただ、あのころはどこもすごかった。バブルの時代だったから、お金使えばいいみたいな風潮があった」と振り返ります。
「今は人がいなくなって、これまででいちばん大変な時期。みんな、自分が食べていくだけで精一杯だね。俺なんかたまたま残った中の一人だけど、70軒以上あった店が今は3、4軒になった。でも、このまま衰退していくんだろうなと思ってたら、岡住さんが来て、いろんなことやり始めてから、また人が来てくれるようになったんだよ」
当初、稲とアガベはお酒を醸造するだけの会社だと思っていたらしく、「こんないっぱいやってくれるとは思ってなかった」と秀さんは驚きます。
「そんなにやるんだったら、俺も頑張って続けなきゃいけないなと思ってさ。(彼らが)酒を造るんだったら、できるだけ地元で広めなきゃいけないし、外から来る人にも食べてもらうっていうのが、俺ができることだよなって」
秀さんが見る、稲とアガベと男鹿の未来
稲とアガベが来てから、「『男鹿はもうダメなんだろうな』と思っていたのが、 また持ち直した」と秀さんは評価します。
「岡住さんが、中学校の子どもたちの前で話をしたら、子どもたちが感動して、『将来、大きくなったら県外に出ないで、男鹿に残って働きたい』と言ってたらしいね。親が言ってもなかなか聞かない子どもたちに、そういう心を芽生えさせることができる。『男鹿にはこんなすごい人がいるんだ。こんなに素敵な街なんだ』って思わせられるのはすごいこと。実行力があるから、いろんな人に影響を与えられるんだろうね」
岡住代表も居酒屋 秀をよく飲みに訪れる件については、「しょっちゅう顔を出してくれてるってことは、少しは気に入ってもらってるのかな」と照れたように笑います。「言葉も大切だけど、実際に来てくれてるっちゅうことは、(居酒屋 秀が)そんなダメじゃないってことなのかもね」。
稲とアガベについてのほか、諸井醸造・諸井秀樹さんやOgresse Quete(オグレスクエット)・平潟さんの叔母さんが同級生だという話や、寿司陣の大将との思い出について語ってくれた秀さん。取材後には、グラスを傾けながら「10年後も岡住さんのことを取材してね。そんで、俺たちがいなくなったあとの店も取材して、こんな人たちがいたんだよって伝えてね」と託してくれました。
男鹿の人情は、熱くて少し湿っている。港町として、多くの人々を受け入れてきた男鹿の街そのもののように分け隔てなく接するその温かさに触れるため、今夜もつい秀を訪れたくなるのです。
居酒屋 秀
住所|秋田県男鹿市船川港船川字栄町95
Tel|0185-23-3830
営業時間|11:00~14:00、17:00~22:00
定休日|不定休(遠方から訪ねる場合はご予約を)
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