死ぬまで楽しく働くために。CFOとして多彩なタスクをこなす──齋藤翔太さん
2022年4月に稲とアガベの仲間入りを果たした齋藤翔太さん。
日本政策金融公庫のキャリアを活かし、CFO(最高財務責任者)としてのタスクのほか、酒税から人事に至るまであらゆる業務を請け負っています。
岡住さんとは約7年前から飲み仲間だったそうですが、そんな彼をサポートする立場に転身したのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
応援したい友人から一緒に働く仲間へ
──齋藤さんは、2022年4月にCFOとして稲とアガベに入社しました。岡住さんとは、その前から知り合いだったそうですね。
齋藤:お互い、いつが初めての出会いか覚えていないんですが、 飲み会の場なのは間違いないですね。前職の日本政策金融公庫時代、2014年8月に秋田に転勤してきたんですけど、ちょうど同じ年から岡ちゃん(岡住さん)も新政で働きはじめたという偶然もありました。
僕が農林水産事業の担当だったので、農業関係で共通の知人がいて、その人のつながりで飲みに行くと、たいてい岡ちゃんもいるという感じでした。年齢も1歳差(齋藤さんが1歳上)と近いですしね。
──出会ったころの岡住さんはどんな印象でしたか?
齋藤:「日本酒大好きニコニコボーイ」ですかね(笑)。とにかく日本酒への愛がすごかったです。僕は秋田の前に宮崎支店に勤めていて、そこで焼酎にハマったんですが、日本酒は秋田に来てから覚えました。
そのころ、岡ちゃんがときどき日本酒講座を開いていて、興味を持って行ってみたんです。スクリーンにスライドを映し出して、日本酒の発酵技術がいかにおもしろいかという話をしていましたね。FacebookなどのSNSにも、いつもマニアックな長文を投稿していました。
──岡住さんは、最近は経営者としての顔がフィーチャーされやすいですが、そもそも発酵マニアなんですよね。それが、どうして入社に至ったんでしょうか?
齋藤:SNSでつながっていましたし、共通の知人とのチャットグループがあるので、彼の近況はずっと追っていたんです。岡ちゃんの結婚式や、稲とアガベのプロトタイプの披露パーティにも参加しました。
ちょうど僕が、将来を考えて転職活動をしていた時期に、秋田時代に仕事で担当エリアだったこともあり好きだった横手市に移住しようかと考えていたことがあって。紆余曲折あってその計画はなくなったんですが、そうやって秋田への移住を考えていたころに並行して岡ちゃんの話を聞いていて、「もっと力になりたい」という気持ちに変わっていった、という感じですね。
──応援する友人という立場から、一緒に働く仲間になりたいという想いが芽生えてきたんですね。でも、公庫を辞めるのは大きな決断だったんじゃないでしょうか。
齋藤:自分の軸として、「仕事を死ぬまで楽しくやりたい」と思っているんです。あとは、自分の関わった思い入れのあるプロダクトを自分で売りたいという想いが強くなってきていました。
岡ちゃんを見る目が変わったのは、最初の資金調達が大きいですね。公庫にいた身として、2億円の融資を受けるというのがいかにすごいことかはわかりますから。
今は創業から2年経って、事業計画は多少変わってきてますけど、酒販店さんの利益を増やすために高い価値をつけて売るとか、農家さんのお米を高く買うとか、お米をあまり削らないとか、当初からの持続性を重視した事業構想を徹底しているところは尊敬しています。
岡住がやる必要のない仕事を一身に請け負う
──齋藤さんの稲とアガベでの担当はなんでしょうか? SNSやnoteでの発信を見る限り、「なんでもやる人」という印象なんですが……。
齋藤:CFOと名刺に書かれているくらいなので、最初は経理・財務担当として入社していることになるんだとは思いますが、実は仕事の担当範囲みたいなことはこれまで一度も話したことがないです。でも、基本的には、岡ちゃんがやらなくていいはずの事務仕事を全部やろうと思って入ったので。僕は彼のことをすごい人だと思っているし、岡ちゃんを見ていると、「この人がやろうとしていることは、一人で全部はできないだろう」とわかりますし。
前の仕事で培った強みをいちばん発揮できているのは、銀行や役所との窓口業務だと思います。ほぼ行政機関のような仕事だったので、そういったコミュニケーションは得意なんです。
──男鹿のいろいろな人を取材して感心するのは、みんなが齋藤さんを褒めるということ。齋藤さんによってコミュニケーションが成り立っている部分は大きいんだろうと感じます。
齋藤:男鹿の地域はそうかもしれませんね。岡ちゃんはなかなか飲みに行く時間もないし、僕は飲みに行くのが好きなので(笑)。
──公庫のお仕事は、宮崎、秋田、和歌山、北海道と全国を転々としていたんですね。そのときも今のようにマルチタスクだったのでしょうか。
齋藤:いろいろなことをしなきゃいけない仕事でしたね。半公務員みたいな立場だったので、行政や銀行、農協とやりとりをするし、農家さんとも直接コミュニケーションしていました。
──稲とアガベでは、齋藤さんの公庫時代に繋がりのあった農家の方とコラボしたどぶろくを作っていますよね。
齋藤:「稲とアガベ DOBUROKU 八朔」と「もも」はそうですね。公庫をやめても、当時のお客さんと次の仕事でやりとりしている人はなかなかいないんじゃないかと自負しています(笑)。
好きなことも、やるべきことも、楽しんでやる
──男鹿は、移住してみてどうですか?
齋藤:秋田に住んでいたころから好きな場所だったんですよ。(稲とアガベ醸造所がある)船川のあたりは、グルメストアフクシマ※1へ行く以外はほとんど来たことがなかったですけど。福島さんはずっと仲良くしてもらっていて、ご両親にも顔を覚えてもらうくらい通っていたし、「こんなお店が近くにあったらいいな」と思っていたんですが、本当に近くに住めることになるとは思っていませんでしたね。
男鹿は、来るたびにいい場所だと思っていたので、稲とアガベに転職したのは男鹿にあるからというのも決め手になっています。駅前だから、交通の便もいいですしね。
──入社前と入社後で印象が変わったことなどはありますか?
齋藤:割とどんなことにでも興味を持てる方なので、予想外なことがあっても「勉強になるな」と思いながらポジティブにやっています。酒税関係や人事労務なんかは、例えば将来別の仕事をすることになっても絶対役に立つと思うので。
正直、大変なことがあっても、今のフェーズではあたりまえのことだと思っています。 自分の好きなことも、やるべきだろうと思ってることも両方やっているだけです。
──現在は、新事業の立ち上げを担当しているそうですね。
齋藤:稲とアガベとは別の法人になりますが、ジンの蒸溜所の建設を計画しています。これができると、稲とアガベの酒粕を自分たちで蒸留して、ジンとして加工販売することができるようになるんです。アルコール抽出後の酒粕は、発酵マヨの原料としてさらに再利用されます。
──SANABURI FACTORY※2 に次ぎ、廃棄物を再活用する持続可能な取り組みが始まるんですね。いろいろとご活躍の齋藤さんですが、稲とアガベに転職してよかったと思うことはなんでしょうか?
齋藤:岡ちゃんがいろいろな人を連れてきてくれるので、たくさんの出会いがあることですかね。自分の成長に間違いなくつながっています。
あと、最近ようやく自分の中で明確になってきたことなんですが、僕は人間の社会活動に興味があるんだなと。稲とアガベで働いていると、地方創生という社会活動に関わることになるので、毎日勉強になっています。お酒を造るだけの会社だったら、こんなに自分の世界は広がってないだろうと思いますね。
──岡住さんと同じくらい仕事量を抱えていて、大変なこともたくさんあると思いますが、齋藤さんがポジティブだからこそ事業が前に進んでいる部分も大きいんでしょうね。
齋藤:僕は割と好きなことばかりやっている立場なので、あまり大変とは思っていないんですよ(笑)。自分がいろいろな人に知ってもらえるという承認欲求も、それ以外の知的欲求も、岡ちゃんと一緒にいるからこそ満たされてる部分が大きいと思いますし、本当に良い経験をさせてもらっていると思っています。
取材・執筆:Saki Kimura