解ったら描けるわけじゃない 描けるようになったら解るのだ
彫刻家のロダンは自然から学べと言った。
絵の勉強は観察をすることにあるのだが、
知識を得ることと思っている人が多いように思う。
新しい知識を得ることで描けるようになる、と思っている。
描けない理由のほとんどは、知識が足りないからではなく、
客観的な観察ができなくて間違いが見つけられないことと、
遠近感の表現ができないことです。
どちらも地道な実技の実戦で身につくもので、
筋トレと同じで身体を動かすことなのです
絵を添削したときに、自分の絵のどこがおかしいと思うかを尋ねたら
「骨盤がおかしい」と言われる方がいたのだが、
足の長さがおかしいだけなのだ。
彼は目の前にある自分の絵を見ているのではなく、
頭の中の情報を探しているのだ。
観察をして描き、観察して直す。
トライ・アンド・エラーの繰り返しで描くことが身についていく。
描けるようになったとき、言葉の意味が初めてわかるのだ。
情報の時代にそんなこと言っても届かないような気がするのだが、
絵を描くことは情報ではなく体験なのだ。