労う

突然こんなテーマの記事を書こうと思ったのは、今朝父に

「就活、どうか?」

と言われ、見事に病みにやみ切った様子を見抜かれたからである。


就活鬱

朝起きれなくなって、寝ても説明会の夢を見て、夜中までマイナビを見て

次の日の面接に向けて解答を作って、もう振り切ったはずの第一志望の「お祈りメール」を無意識に見ている。

気づいたら涙が出ていて、3年6月から始めていまだ内定も出ず、行きたいと思える企業に出会えていない自分に嫌気がさす。

いや、正確には、大卒なんだからしっかりした企業に受からないと、という気持ちと、自分のリサーチ不足その他もろもろにうちひしがれ、完全に自分の自信を無くしている。

泣いていても始まらないと、何度も言い聞かせてESを書こうとPCの前に座るけれど、1つも手が動かなくて気づいたら30分PCの前で固まっていて、音楽も聴けず、大好きな服を見ても全く楽しいと思えず、飼っている猫がすり寄ってきても何の感情も湧かなくなっていた。

第一志望からお祈りメールをもらって、数日でここまで落ち込んだ。

その様子を父は、朝の挨拶とか笑い話に反応しなくなった様子とか、普段テレビ見ながら繰り出すうるさいほどの独り言が一切聞こえなくなったこととか そういう所から察知してくれたらしい。

(すみません、完全に愚痴noteになっている…)

そんな気持ちを、父がすべて言い当てて、欲しい言葉を全てくれた。

家族の存在

私は正直、父のことをあまり尊敬していない。

そんな父は就職氷河期を乗り越えた人間である。

この就職活動の時期になって、初めて我が家の苦労話を聞くことになった。

いろんなことを乗り越えて仕事をしている人や、我が家の話を聞くと、涙がこらえきれない。

今日も父は、明らかに病んだ私が欲しかった言葉をたくさんくれた。


「焦る・比べる・妬むが一番ダメ」
「お前は自慢の娘!成人としてしっかりした考えをもって成長している」
「納得いかないなら無理に行きたくない会社に行かなくてもいい、勉強しなおして違う選択肢を選んでもいい」
「一人で悩むな」


自分を労う、ということ

ああ、私は認められたかったのかもしれない

なんだか納得した。

自分で頑張ったつもりでも選択肢が激せまになって、やりたい仕事があるのに就けないことが決まって、就活支援ボランティアで偉そうに講釈たれているけど自分の進路に自信が持てなくて、人と話しても比べてしまって、チャンスを逃したくなくてやりたいこと全部に手を出しているけどどれもやり切れていなくて

そういう日々の繰り返しで、自分がやってきたこと、自分の行動力とか考えとか存在意義とかに全く自信がなくなっていた。

「もしこうだったら」という分からない未来に恐怖を感じ続けて、今に絶望していたのかもしれない。

正直3年のころは、現実がいい意味で見えていなかったから未来のことを話すだけで非常にわくわくしたし、「私はこれがしたい!」「私はこんな人間!」って自分の存在意義を確認し合って、夢を語って楽しかった。

現実を見ると、そんなにうまくいかないことしかなかった。

人一倍の努力だけが取り柄の私は、その努力で何でもカバーして、自分の掴みたかった進路に進んで何不自由ない生活を送ってきた

だからこそ、今自分の努力ではどうしようもない現実に苛まれて絶望したし、自分の強みを見失いかけていたのかもしれない。

でも、積み上げてきた努力は今すぐ身にならなくても、いつか何かの形で報われる、と思う。

そう信じたい。

そして、努力がちゃんと報われる、やりたいことを自信もって「やりたい!」って大声で主張して、挑戦できる

そんな地元を作る仕事をしたいと思った。


面接前に、自分のことを認めてあげる

&父の言葉を忘れないようにする

そんなパーソナルな記事でした。こんな情緒ガタガタでも何とかがんばってる人がいるんだな~って、誰かを励ますきっかけになれば。


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