What's my 〝Rejoice〟?

Official髭男dismのメジャー3rdアルバムが2024年7月24日の水曜日、配信リリースされその初見感想文。
思えば随分と長い付き合いになった。高校2年生になった春、失恋に打ちひしがれてた私の耳元に届いた「Pretnder」、2度目の告白を煽ってくれた「I LOVE…」、いまの会社に入社する時に背中を押してくれた「Laughter」、コロナ禍の暗闇を照らしてくれた「パラボラ」、父方の祖父の死去に寄り添ってくれた「アポトーシス」、思い返せばきりがないほど私の生活と彼らが奏でる音楽は切っても切り離せぬものになった。悪く言えば「癒着」や「よりかかり」とも言えるかもしれない。
このアルバムタイトルの日本語訳は「喜び」である。「Pleasure」とか「Happiness」とかでも伝わるだろうところをこのアルバムタイトルにしてしまうヒゲダンの遊び心に私はずっと惹かれてきたのだ。
ひとつ前のアルバム「Editorial」はずっと記憶に残っているアルバムだ。『アポトーシス』から時系列順、もっと言えば「朝、昼、夜」を2周ほどするような感覚のもので、そのどれもがコロナ禍に苦しむ中、私の生活を支えてくれるものになった。
このアルバムの一曲目『Finder』はその「Editorial」のラストトラック『Lost in my room』のインストと地続きになっている。さながら今や私が務める会社において【末端部署】とか【流刑先】とも揶揄される部署に異動になっま私をまるで暗く冷たい深い井戸の底にいるかのようなところから『見つけ出す』ように、この曲からこのアルバムの物語がはじまる。
余談だが、今まで私ははっきり申し上げて「どうかしていた」。入社3年目に異動になった場所では社会人としては異常とも言えるビビッドピンクのインナーカラーを入れて酷く上司から怒られたこともあったし、髪を異常に長く伸ばし、ブロンドにも似た明るさの頭髪のときがそういえば入社2年目のときで、そのころに私は私の[住まわせてもらっている]自宅を追い出された頃だったか。どれもこれも「自分の責任」である。入社1年目には美人局に遭った。
そんな私のだらしなさをもとに戻してくれたのはTOMOO氏の『TWO MOON』であった。(これは度々各種媒体で私が話しているとおりである。)TOMOO氏はOfficial髭男dismのレーベルメイトでもある。
そんな自分をタイムラプス的に、あるいは走馬灯のように振り返る約4分間、「Get back to 人生」がアルバム「Rejoice」の2曲目である。
そこからは私が聞き飽きることなく聞き続けてきた曲たちが、間に新譜を挟みながら流れていく。
いわゆる「アルバム曲」については、バンドのフロントマン藤原聡氏のルーツを辿るかのような楽しさがあって、それはとても素敵で充実した時間であった。
それこそ「Editorial」でヒゲダンは『ロックバンドとして回帰』したような印象があった。藤原聡氏をはじめ、とりわけギターの小笹大輔氏はヘヴィメタルやプログレなどのハードロックへの造詣が深いことで知られているが、今回のアルバムにもそれが色濃く反映されていたように思う。 
近頃の私は常々、「2024年を以て自分の音楽人生は一度幕を下ろすのではないか」という予感を抱いていることを口にしてきた。
そのきっかけとも言えるだろう曲がこのアルバムの最後の曲「B-side blues」である。
社会で生きる以上、自分の本音や伝えたいこと、やりたいことなんてのはいつの日も「B-side」である。その憂いや鬱々しさは私は煙草で誤魔化してきた。少し前まではお酒だったけど、最近はあまり飲まない。その理由や明確なきっかけは特にこれといったものはなくて、実に不自然な切り上げだったように思う。
このアルバム全体を通して言えることではあるが、「普段言えない本音(≒B-side)」を藤原聡氏は歌詞やメロディーやコードに落とし込んでくれて、ヒゲダンはそれを音にしてくれる。

ああ、これが「Rejoice」かと。 

藤原聡氏はヒゲダンが2022年の7月に公演予定だった武道館公演の振替公演を2023年の2月に開催したのだが、その1日目に喉に違和感が現れて、2日間の公演を命からがら終えたその数日後にヒゲダンのライブ活動の休止を発表した。
彼自身、そしてバンドとして、極めて苦しい日々が続いたことはバカな私でもわかることだ。
ただ、2023年はリリース曲は極めて多い年だったとも言える。(これはライブ活休発表前に全てREC済だったとのことだ)
その中でひときわ印象深い曲がある。
第90回Nコン中学生の部課題曲「Chessboard」だ。

私はわたしの人生をひどく憎んでいた。
なんでこんな毒親のもとに
なんでこんなクソみてぇな上司のもとに
なんでこんなゴミみたいな客のために
俺は生きなくちゃいけないのか

どれだけ懸命に働けど
給与は親に預けられ
大好きだった上司も会社を辞めて
金を払わなければ異性とまぐわうこともままならず
そのくせ人生において一度も「彼女」はいたことはなくて

勉強もこの家庭環境じゃできやしなくて
入社してから一度も資格なんてとれたことなくて

運転免許もとるのは随分遅かった。

まして自分は発達障害。

みんなと同じクラスで勉強できたのだってほんのわずか

流行りのゲームや話題についていけなかった中学や高校

勉強にはついていけず、運動はヘタクソで
醜い体型。

どうしても分かち合える友だちがほしくて、
随分トガッてた時期もあったっけな。

ああ、何をしても「お前のせい」…。

そんなときでも、音楽にだけは「まっすぐ」でいられた。
うたをうたうときだけは「素直」でいられた。

そんな私の日々を彼はこう書いた
「幸せと悲しみの市松模様
 そのどこかで息をする」

救われた気がした。

死にたいなんて願ってた
終わりにしたいと祈っていた日々は
この曲でエンドロールを迎える。

日常というゲームは、これからも続いていく。
そのたびに私はこの曲に何度も帰ってきて
「Rejoice」を「Finder」することだろう。


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