私書箱の手紙

どうして私は生きているんだろう。生きてしまっているのだろう。この命、あの人にあげたかった。今でもあげられるならあげたい。それで生き返るなら、多くの人にとって万々歳なんじゃないか?

映画を観ました。その映画になんで惹かれたのだろうか。観たいと思った。出てくる人のことを全くというほど知らないけれど、観たかった。
始まってから、特にそんな描写はないのにもうこの人は死んでしまったと思い知らされた。それで涙が出てきた。
だんだんと、されど静かに表情をころころと変えるあの人。最後は悲しいと思っていたものがどこか希望に感じてしまったのは、私の願いなんだろうか。

この人は、もっと、もっと生きるべきだった。
私なんか、今すぐにいなくなってもよい。

そのことを痛感した。それは悲しみではなく、もし、もしこの人に命をあげられるならと喜んで差し上げて、私はこの世から消え去る喜びをするような痛みだ。

そんなことを誰かに言ったら、油に注いだ火のように咎められるだろう。
いいじゃない。だって、私は生きていて無意味なんだもん。どうせこの世はいわゆる使える人間しか望んでないでしょ。レールから外れて、苦しんでいる人間はさっさと死ねって話なんでしょ。
烈火の如く怒り狂ったあなたも、私が現実問題いなくなったらほっとするでしょ。
それでさ、神様がこの死は早すぎたからあの尊き命に補充しようってなったら万々歳じゃない。

ねぇ、命って電池だと思う?
私は電池だって、信じてます。

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