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ジャック・アマノの“アメリカNOW” 世界最大のレース、インディー500の予選で三代目レーサーと日本人ドライバーが活躍

 サウス&ノース・ダコタなど、未踏のワイルド・ウェストへの旅を終え、インディアナ州インディアナポリスに長期滞在している。1911年に始まって、2回の世界大戦中以外はずっと同じサーキットで開催され続けているレース、インディアナポリス500マイル(通称インディー500)を取材するためだ。

インディー500予選で1位から3位に入った選手の記念撮影。左がポールポジション(予選1位)のマルコ・アンドレッティ(アメリカ)、真ん中が予選2位のスコット・ディクソン(ニュージーランド)、右が予選3位の佐藤琢磨(日本)Photo:INDYCAR (Joe Skibinski)

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インディー500のパドックで佐藤琢磨選手にインタビュー取材するジャック・アマノ。今年は感染防止のために取材も厳しく制限され、ドライバーの取材も一苦労だ Photo:Gustavo Rosso

 明治44年に全長2.5マイルの巨大なレーシング・コースを作る発想と実行力がまずすごい。500マイルという競技の距離設定も絶妙で、毎年大きなドラマが生まれている。

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ポールポジション(予選1位)を獲得したマルコ・アンドレッティの活躍を伝えるインディアナポリスの地元紙「インディアナポリス・スター」

 インディーの歴史はスピード追求の歴史。1kmもの長い直線が2本と、傾斜=バンクのつけられたコーナーを走る”インディーカー”は最高速度が240mph(=386km/h)以上になるが、コース外側にエスケープゾーンはない。ミスをすれば壁に激突必至(近頃の壁は衝撃を吸収する構造になっているが……)。危険を孕んだレースは人々を熱狂させ、自動車技術の向上にも大きく寄与してきた。第二次大戦後には決勝日に30万人を越す観客を集める、1日で行われる世界最大のスポーツ・イヴェントに成長。高速で争われるスリリングなバトルは世界中から注目されている。今も存在し続けるアメリカン・ドリーム。ウィナーには多額の賞金が贈られ、名前は全米に知れ渡る。昨年の優勝賞金は3億円近かった。F1ワールド・チャンピオンシップで2回チャンピオンになっているスペイン出身のフェルナンド・アロンソが挑戦を続けていることが示す通り、レースの世界を目指した者なら是非とも勝ちたいレース、それがインディー500だ。

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無観客のスタンドは「THE RACING CAPITAL OF THE WORLD」と記された巨大なシートで覆われた Photo:INDYCAR (Joe Skibinski)

 新型コロナ・ウィルスのパンデミックによって、今年のインディー500は無観客開催となった。5月末から8月末にスケジュールを移したが、地域の感染状況が思うように改善して行かなかった。今年はコースを取り囲むように作られた観客席が色鮮やかに染め上げられることも、彼らの大歓声やどよめきがスタンドを揺るがすこともないわけだ。1990年から毎年取材して今回が31回目になるが、空っぽのスタンドを前にした500マイル・レースは想像しにくい。それでも、プラクティスからこのレースが持つ重みは変わらず感じられている。

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予選2日目、1位から9位を決める最後のタイムアタックに向かうマルコ・アンドレッティ Photo:INDYCAR (Walt Kurn)

 無観客であっても開催に漕ぎ着けた。そこに深く感謝すべきなのかもしれない。プラクティス(練習走行)が4日間行われ、予選が2日間に渡って開催された。スリム化が進んでも、このイヴェントは12日間を要する。
 予選1日目の上位9人による予選2日目のタイム・トライアルは、風の吹く難しいコンディションとなり、最速ランナーとなったのはペンシルヴェニア州出身の33歳、マルコ・アンドレッティだった。この苗字は世界で知られるものだ。彼の祖父マリオ・アンドレッティはイタリア出身で、子供時代にアメリカに家族で移住。アメリカでレースを始めてインディーカー王者になり、故郷ヨーロッパに凱旋してF1チャンピオンになった伝説のドライヴァーだ。マルコの父マイケルもインディーカーで歴代4位につける42勝を挙げている。アンドレッティ家にとってレースは家業で、マルコは三代目レーサーで、偉大過ぎる祖父と父を持つために大きなプレッシャーと常に戦ってきていた。レースの才能があるのは間違いなく、アメリカのトップカテゴリーに18歳で到達。

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マルコ・アンドレッティの走り Photo:INDYCAR (Forest Mellot) 

しかし、15年のキャリアで優勝は2回と少なく、世間の風当たりは強くなっていた。そんな彼が今年、父も達成できなかったインディー500でのポールポジションを獲得。壁をひとつ越えた。彼がポール・ポジションを獲得した予選スピードは231.068mph(=約371.788km/h)だった。0.017mph(0.027km/h)、0.0113秒の僅差でニュー・ジーランド出身、6回のタイトル獲得歴と1回のインディー500優勝、3回のインディー500ポール・ポジション獲得を成し遂げて来ているスコット・ディクソンを2位に下したのだった。

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チーム監督の父、マイケルと喜び合うマルコ・アンドレッティ Photo:INDYCAR (Joe Skibinski)

 予選3位は佐藤琢磨だった。F1で活躍した後、2010年からアメリカのインディーカーで戦って来ている彼は、2017年にインディー500優勝を成し遂げ、昨年も優勝争いに絡んでの3位フィニッシュだった。前日の予選では9位だった琢磨。しかし、最速争いを行うにはスピードが足りていなかった。予選2日目、琢磨は風の吹いた難しいコンディションを味方につけた。

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プラクティスで走行する佐藤琢磨 Photo:INDYCAR(Karl Zemlin)

 インディー500の予選は、4周連続アタックという特殊なもの。全4ラップを小さな差の中に収めるところに琢磨は活路を見出そうと考えた。そして、その作戦がまんまと当たり、彼は自身初、日本人としても初めてとなるインディー500フロント・ロウ・グリッド獲得を果たした。誰もがトップを狙う中、”上位”を目標にしたことが好結果に繋がった。
 「ポール・ポジションを狙いたかったけれど、予選1日目までの状況を見ると”PPは無理かな?”と感じていた。それだけにフロント・ロウ・グリッド獲得はとても嬉しい。夢のような結果だ」と琢磨は笑顔を見せた。10回の参戦で予選自己ベストは2017年の4位。順位だけを見れば、今回はたったひとつのアップしか成し遂げていない。しかし、グリッド2列目と最前列の差は、レースを戦う上でも、栄誉の面でもとてつもなく大きいのだ。

 予選1日目、涼しい時間帯にアタックできた彼は好記録をマークして9位につけた。しかし、マシンの実力を高めるために更に2回のアタックを行ない、予選2日目の朝にも走行を重ね、データを集めた。これらの行動は琢磨がすべて、チームを説得して行なったものだった。アクシデントを起こせば、じっくり作り込んで来たマシンが一瞬でパーになるため、プラクティスや予選で走り込むリスクを彼はチームに受け入れてもらう必要があった。そして、それができたからこそマシンを向上させ、これ以上は望めない結果を出すことができた。

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予選3位となり、決勝1列目スタートの栄誉を得た佐藤琢磨。日曜の決勝が楽しみだ Photo:INDYCAR (Joe Skibinski)

 苦労続きだった名家の三代目がついに価値ある実績を手に入れ、日本人ドライヴァーも快挙を達成。見応えのある第104回インディー500の予選だった。

以上 

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