私の履歴書 五島慶太 偉大なる父母の感化
<感想>
東急グループの実質的な創業者「五島慶太ごとう・けいた)」面白そうだったので、読んでみた。 五島の少年時代、父母の南無妙法蓮華経というお題目を唱えることによて、いかなる苦難にも打ちかつことができるという確信を心の底に持ち、「空」という宗教的信念を持つに至ったのである。孔子の仁でも、釈迦の慈悲、耶蘇の愛でも、皆この「空」ー自己を空しくして他人のために尽くすと言うことである。私はこの「空」をもってこの70年間を過ごしてきたが、父母が私に与えた感化というのもは実に偉大なものだと、今日私は父母に対して非常に感謝している。
さて、自己に置き換えてみると、私の両親は醸造業・養蚕業の両方を営んでおり、仕事している思い出しかない、一度父の肩車に乗った覚えが、うっすらあるくらいだ。そういった日常から、仕事に対して一生懸命だった父母の姿を見て、自分も30年近く仕事一筋に生活してきた。振り返ると、子育ては妻、義理の両親にまかせっきりだった。結果、子供の事が全くわからない父親になってしまった。今では、もっと子供と接すれば良かったと思う気持ちでいっぱいだ。もう戻れない過去を悔やんでも仕方がない、定年後は、仕事よりも、家庭を大事にして生きて行きたい。そんなことを気づかせてくれた本だった。他の私の履歴書も読んでみたいと思った。
<気になった文章>
南無妙法蓮華経という言葉は法華経の言葉である。法華経というものは28巻あって、釈迦の最後の説法である。大乗教の最後の説法は法華経だ。法華経の第25巻目がいわゆる観音門品といって、この観音経ははじめは散文んである。大体お経というのもは普通経文がはじめにあって、最後に偈(ケツ)と言って、五言絶句、七言絶句というような韻文によって同一趣旨が繰り返されているのである。この観音経の前文はあまり読まなかったが、お題目を唱えて最後の韻文のところを始終父が繰返し読んでいたことを今でも覚えている。
私は、こういう父母の下で、心の白紙の時代に感化を受けたため、南無妙法蓮華経というお題目を唱えることによて、いかなる苦難にも打ちかつことができるという確信を心の底に持ち、「空」という宗教的信念を持つに至ったのである。孔子の仁でも、釈迦の慈悲、耶蘇の愛でも、皆この「空」ー自己を空しくして他人のために尽くすと言うことである。私はこの「空」をもってこの70年間を過ごしてきたが、父母が私に与えた感化というのもは実に偉大なものだと、今日私は父母に対して非常に感謝している。
参考)
「南無妙法蓮華経」を分解すると
(1)「南無」は「帰依する」という意味
(2)「妙」は「真理」という意味
(3)「法」は「釈迦の教え」という意味
(4)「蓮華経」は「釈迦の教えが記された経典」という意味
南無妙法蓮華経ー日蓮宗や法華宗などで唱えられるお題目です。お釈迦様の教えが記された経典である「法華経」に帰依するという意味です。