ふるさとの人柱の記憶
北海道のおよそ中央に位置する炭鉱町で栄えた町に私は生まれた。小学校5年生までその町で育った。私が生まれたころには,燃料は石炭から安い輸入石油にとってかわり,その採掘で栄えた九州や北海道の炭鉱(ヤマ)では閉山が相次いでいた。
それでも,私が幼かったころはまだその町には活気が残っており,父に連れられて歩いた,どこまでの連なるお祭りの屋台の輝きや,北海道の澄んだ夜空に散る花火,焼き鳥のにおいや,父が行きつけであった居酒屋「かっちゃん」の,生姜がきいた大きなつぶ貝の壺焼きの味が,懐かしく思い出される。
生まれてから十年ほどの居住であったが,たしか自分が小学校4年生のころ,その町の根室本線が走る橋脚の補修工事?にともない,その橋脚の中から人骨が見つかった。
このことは,当時ニュースで報道もされ,新聞記事にもなったと記憶している。「人柱の噂は本当だった。」というような内容だったと思う。何より,当時の担任の先生がこのことをクラスで話題にしていたことも鮮明に覚えているし,その橋の下で父と何度も川魚釣りを楽しんでいたことから,その町で暮らしたころの少しショッキングな思い出として,心に残っている。
ただ,そのころの記憶を辿ろうとして,ネット検索をしても,それらの情報には行きあたらない。自分の記憶は確かなのだろうか。それにしても,新聞記事に掲載されていた,立ったまま柱に埋められていた粗い人骨の写真はいまでも強く印象に残っている。
北海道では,罪を犯した人や,半島から連れてきた人々を強制労働させて開拓を行ってきた歴史がある。タコ部屋で生活させながら,道路を作ったり,トンネルを掘ったりさせてきた。彼らに人権はなく,けがや病気で使えなくなれば,工事をしているその現場の脇に埋めてしまったという話は北海道では珍しくない話である。心霊現象が多発する常紋トンネルや,鎖塚などの悲しい歴史を知る人も少なくないであろう。
大自然とおいしい魚介類,乳製品に恵まれた北海道であるが,開拓に伴う悲しい歴史もその裏にある。今では極度に過疎化が進み,訪れるたびに幼いころにあった街並みが消えていく故郷をみると,何とも言えないさみしい気持ちになる。その記憶の中から,今では辿れなくなってしまった。怖さと不思議さのある思い出を記述してみた。
※画像はGoogle ストリートビューから転載させていただきました。故郷の名前はふせさせていただいています。