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中世の謎遺構 〜地下式坑〜 その用途を探る3 伝承の不在

 地下式坑は関東を中心に,年々その遺構が確認されているが,最大の謎は,その地下室に関する文字資料がほぼ存在しないことにある。
 地下式坑(地下室)を構築する際には,多くの人手と労力を必要とする。人が立って入れるほどのものであれば,何人もの人手と日数を要するものであり,人々の記憶に残って当然であると考えられる。
 貯蔵庫説,葬送関連施設,宗教的儀礼施設のいずれか,もしくはそれらが転用された遺構を地下式坑と呼びならわしているのは確実といってよいが,それらに関した文字情報がほぼ皆無に近い。

 それでは,なぜ,これほどまでに存在が確認されている遺構に関する文字資料がないのだろうか。
 例えば,「井戸」であれば,実際にその事実の有無は別として,貞子に代表されるように,そこに落とされた事件や怪談の類が多数存在する。江戸後期以降に箪笥にとって代わられた「長持」にあっても,そこに閉じ込められて折檻されたというような物語(フィクション)の一場面を想像できる人が少なくないであろう。また,近代であれば,防空壕やそれにまつわるストーリーは人々の間に記憶されている。
 貯蔵庫であれ,埋葬施設であれ,これほどまでに多数の確認事例があり,構築当時に多くの労力を要した地下室であれば,何らかの民間伝承や怪談の類があってもよいのではないだろうか。例えば,貯蔵庫であるならば,「どこどこの長者は地下に多くの米を隠している」や,「貯蔵庫として使っていた地下室に身内の障がい者を閉じ込めて村の他の者たちに見られないようにしていた」,「どこどこの武家では地下室に多くの弓矢や兵糧を隠している」などである。
 葬送関連施設であれば,地下室への埋葬に関する習俗の伝承や,その方法などが残っていても不思議ではない。また「地下室に埋葬した死者が夜ごと出てきて屋敷の周りを徘徊する」などの怪異譚などが存在していてもよいであろう。宗教関連の儀式場であれば,それらはその主体となる諸宗教の中に伝わっていてもよいものであろう。

 ただし,中世の地下室である地下式坑に関する,これらのような文字情報や口頭伝承は皆無であるといって過言ではない。これだけ多くの地下室が存在としていたとなれば,何らかの物語の題材,または物語の一場面に登場していてもおかしくなないものと考えられるが,「これは地下式坑に関係する記録である」と断じられるストーリーが,全く存在していないのである。

 Webで検索すると,奈良文化財研究所の発掘遺跡報告総覧では「地下式坑」での検索結果は812件である。これは報告書の検索ヒット件数であり,「地下式坑」の総数をあらわしたものではない。これほどまでに出土件数のある遺構に眉唾まがいの伝承すらないのはなぜなのであろうか。もしも,地下式坑と関連性が考えられる史料に関する情報がある人がいたら,ご教示いただけると幸いである。

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