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いじめについて

いじめについて、GPTさんに聞いてみたら、結論部が秀逸でした。

私「いじめ」の定義を教えてください。

ChatGPT
 「いじめ」とは、ある個人やグループが他の個人やグループに対して、精神的・物理的な傷害を与える行為や繰り返しの不利益を与える行為を指します。いじめは、被害者に対する力の不均衡が存在し、一方的に攻撃されている場面で特に顕著に見られます。一般的な特徴として、以下のようなものが挙げられます:

・繰り返し: いじめの行為は一度きりではなく、繰り返し行われることが多い。
・意図的: いじめは意図的に行われるものであり、偶発的なものではない。
力の不均衡: いじめは攻撃者と被害者の間にある力の不均衡に基づいて行われることが多い。これは物理的な力、社会的な地位、情報の非対称性など、様々な形で現れる。
・いじめの形態は多岐にわたり、言葉による攻撃、物理的な攻撃、社会的な排除、噂の拡散、ネット上での攻撃(ネットいじめ)などがあります。

 特に、近年ではSNSやインターネットを介したネットいじめが問題となっています。これにより、いじめの現場が学校や地域の外に広がり、24時間いつでもいじめの対象となるリスクが高まっています。

 いじめは被害者の心の健康や社会的関係に深刻な影響を及ぼすことが知られており、これを予防し、早期に発見・対処することが重要です。


「教職員である個人や、学校を主体としたグループが、児童・生徒である個人やグループに対して、宿題やテストなどの精神的な苦痛、マラソンの強要や熱中症の危険を伴う天候での部活動の実施など、物理的な傷害を与える行為が繰り返し過去から現在に至るまで繰り返し行われたままでいますが、これは学校と教員という強者、児童・生徒という弱者間にある不均衡から生じていると考えられますが、これはいじめにあたりますか?」


ChatGPT
 ご質問の背景には、学校や教職員が行う一連の行為や制度に対する懸念や批判が含まれていると理解します。確かに、教職員と児童・生徒の間には権力の不均衡が存在し、その結果として不適切な行為や制度が継続している場合があります。

 しかし、「いじめ」の定義に基づくと、教職員の行為や学校の制度が必ずしも「いじめ」にあたるかは一概には言えません。以下のポイントを考慮する必要があります:

・意図的な傷害:「いじめ」とは、意図的に他者に傷害を与える行為を指します。宿題やテスト、部活動の実施は、学習や健康の促進を目的として行われることが一般的です。ただし、これらが過度になり過ぎて実際に精神的・物理的な傷害をもたらす場合、それが意図的であるかどうかを判断する必要があります。

・繰り返しの行為:「いじめ」の特徴として、繰り返し行われることが挙げられます。学校の制度や教職員の行為が繰り返し行われている場合、その行為がいじめの要件を満たすかどうかを判断する必要があります。

・権力の不均衡:確かに教職員と児童・生徒の間には権力の不均衡が存在します。しかし、その不均衡がいじめの要因となっているかは、具体的な事例や状況によります。

 総じて、学校や教職員が行う行為や制度が「いじめ」と直接等しいとは言えませんが、それが学生の健康や安全に悪影響を及ぼす場合、それは問題であり、見直しや改善が求められるでしょう。このような問題への対応や変革を促すためには、関係者や保護者、地域社会全体での意識の共有や協力が必要です。


「文部科学省による「いじめ」の定義では、「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」 とする。と、あります。主体が意図的であるかどうかにかかわらず、児童生徒が精神的な苦痛を感じているという時点で「いじめ」に該当するのではないでしょうか。」


ChatGPT
 文部科学省による「いじめ」の定義を元に、ご質問の内容を考察します。

 確かに文部科学省の定義では、「いじめ」は「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされています。この定義に従うと、主体が意図的であるかどうかに関係なく、児童・生徒が精神的な苦痛を感じることが「いじめ」の要件となります。

 この文脈で、教職員による行為や学校の制度によって児童・生徒が精神的な苦痛を感じる場合、それは「いじめ」の範疇に含まれる可能性が高まります。

 ただし、実際の事例や状況に応じて、該当するかどうかの判断が必要です。例えば、学習の進度や目標達成のための通常の指導や評価が「いじめ」に該当するかどうかは、その具体的な内容や状況、そして児童・生徒の受け取り方によると言えるでしょう。

 結論として、文部科学省の定義に基づけば、意図的であるかどうかよりも、児童・生徒が精神的な苦痛を感じているかが重要な要件となります。したがって、学校や教職員の行為がその要件を満たす場合、それは「いじめ」と見なされる可能性があります。


 「その結論に基づくと、加害者が、学校、教職員もしくはクラスメイトであろうと、被害者、もしくは被害者とみなされたい人物が、「精神的苦痛」を訴えた時点で、どんなことでも「いじめ」になってしまうと思います。こうなってしまうと、都合が悪いことがあると、「それはいじめだ」と言って、自分が有利になるようにその定義を乱用する人たちが出てくると思うのですが、これでいいのでしょうか?」


ChatGPT
 おっしゃる通り、文部科学省の「いじめ」の定義が「児童・生徒が精神的な苦痛を感じること」を中心に据えているため、被害者や被害者とみなされたい人物の訴えや感じ方が中心的な役割を果たすことになります。このため、実際の教育現場では、以下のような問題や懸念が考えられます。

 主観的な判断: 児童・生徒の精神的な苦痛は主観的なものであるため、その評価や判断が難しいことがある。

・乱用の可能性: ご指摘の通り、都合が悪い時や自分の意に沿わない時に「いじめ」と主張することで、制度や定義の乱用が懸念される。

・教職員の行動の制約: 定義が主観に依存することから、教職員は過度に慎重になり、教育活動に制約を感じることがあるかもしれません。

 一方で、このような定義を設ける背景には、児童・生徒の声や実感を重視し、彼らの安全や健康を守るという視点があると考えられます。

 「いじめ」の問題を適切に扱うためには、定義だけでなく、具体的な事例や状況をしっかりと把握し、関係者全員の理解や協力を得ることが必要です。さらに、定義の乱用を防ぐためのガイドラインや教育、相談体制の整備など、多面的なアプローチが求められるでしょう。


 「あなたがもし教員であるとして、児童生徒から「先生は、私がいやだと言っている、宿題を出したり、テストをやらせたりする。」「しかも、宿題を忘れたら、友達と遊びたいのに休み時間にやらせたり、テストの点数が悪いと、怒ったり、親に電話したりする。」「こんなのはいじめだ。」と言われたら、どのように返答、対応しますか?」


ChatGPT
 もし私が教員で、そのような声を児童・生徒から受けた場合、以下のような返答・対応を考えます。

・感謝と受け入れの態度を示す:
「あなたの気持ちや考えを正直に伝えてくれて、ありがとう。私はあなたたちの声を大切に思っているので、一緒に話し合いたい。」
説明と理解を促す:

「宿題やテストは、あなたたちが学んだことを確認するため、また、自分自身の理解を深めるためのツールです。それが、学びの一部として存在しています。休み時間に宿題をやらせることや、テストの結果をもとにフィードバックをするのも、あなたたちの学習をサポートするための方法の一つです。」

・感情の確認と共感:
「でも、それがストレスや不安を感じさせてしまうのは、私としては望んでいないことです。あなたがどう感じているのか、具体的に教えてくれると嬉しいです。」

対話の継続を促す:
「これからも、こんな風に気持ちや考えを共有してくれると、私たち教職員もより良い授業やサポートを提供するための手がかりになると思います。一緒によい方法を見つけていけるよう、お話ししましょう。」

具体的な提案や改善策を検討:
「宿題の量やテストの頻度、フィードバックの方法など、何か改善できる点や提案があれば、お知らせください。」

 最終的に、対話を通じて、学習方法やサポート方法に関する共通の理解を得ることを目指すとともに、生徒の声を反映した教育方法を模索することが大切だと考えます。

まとめ

 ここまで考えられている教職員がどれほどいるのだろう。
 自省の念も込めて、このGPTさんとのやりとりは、考えさせられるものとなりました。

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