自己管理日記 2014.02.19記
現在であります。
ご迷惑をおかけしている皆様方には本当に申し訳ありません。
不躾ではありますが"今"現在の状況を少し、これまでにあった事などを…考えれば考えるほどもっと沢山あるのですが報告いたします。
元来、私はとても根暗であります。
なんと申していいのか、持病のテンションがとても上がったり、それなりに平静だなと油断をしているとやってくるのです…。。
この持病というのがまた厄介なのですが…。
外から?内から?彼?彼女?が…。
ホラーチックにも聞こえますが、唐突にやってくるのです。
しばらくは闘ったり、沈静化したり、なんとか付き合ってこれました。
…でも、また最近やってくるんです。
奮闘してはおりますが。。
怖い話をするつもりもありません。
正直、自分でも懸命に調べた推測の症状の一例でしかありません。
担当医師は僕にことわりも告げず、ふらっと診断書を書き変えたりします。
診察の時の会話は決まって慌ただしく、ほぼ同音で"外へ出ましょう"、"薬は調整しなくても、まぁ大丈夫ですよね"。
淡々と僕をサイクルの中の処理、ルーティン的物資というようなものでしょうか。
機械のような凍りついた視線でこの繰り返しです。
3ぷ…30秒とも感じる事もあります。
正直、笑い話に思えるような感覚ですよね。
でも、確かに時間ではなく、どう治療できたが重要なので、そこまでは専門家でもない自分どう言えるようなものではないのですが。。
色々な事も思考し、俯瞰的な言葉でも医師には伝えようともしてみました。
協力してくれた友人のアドバイスを受け言葉のニュアンスを選びながら…、"これは友人から見た私の症状なのですけど…。。"
自分を把握していない今、そういう伝え方もあるかもしれないと試してみました。
結果は"自分の症状を聞いてるっ言ってんだよ…?…自分ではどう思っているんだ?"
かなりキツい言い方でした。
もう口が塞がってしまいました。
大袈裟で失礼なようですが、頬に傷ある方々が自分が言わせたい言葉を相手に強いるその態度です。
この日から僕はこ医師に対してなんの本音も相談もできなくなりました。
こう言えば、なんとなく時間が終わる。
診察だけ我慢すれば、なんとか保てる処方をしていただける。
もちろん"保てる処方"はギリギリで、ここに辿り着くまでが僕の必死なのす。
ギリギリの意味は法体制などにも…言いたい事があるのですが…。。割愛。
日によって声色が変わる受付の女性に電話をするのを、テーブルにiPhoneを置いて触ろうとのをためらい…いやもう少し…。。
何度も繰り返し…。。
指先を震えさせながらやっと当日予約を取ります。
これにも訳あってというか、僕自身、薬の管理もできなくなっていた時期もあり、予約日に行けない事が初期多々ありました。
その時も諸々の相談ではなく、医師は呆れたような態度をとって…。
"あぁ…、君は来れる日に電話くれればいいから"。
これも医師に"合わせる"事につながっていきます。。
様々な解釈もあるとは思いますが、僕の中では"ゆっくりやっていこうね。"、"焦らないでいいから"…。。そんなニュアンスには聞こえませんでした。
ものすごく極端な言い方ですが、"治したいなら足くらい稼げ、薬が足りなくなった?知らねえよ、必要なら這いつくばってでも来いよ。"
今でもこの心象は僕の心にへばりついています。
正直、心の通いはあるのでしょうか。
実家の近所のお婆さんのほうが、優しく言葉を手向けてくれます。
医師が望む答えを、前の日、通院の道すがら、どうまたあの目を見なくていいかを考え、落ち込み、歩きます。
僕は強くはありません。
知ってくれていださる方ならなおのこと、本当にビビりです。
許せない事、譲れない事で稀に激昂することもありますが、それもここまできた歳による性格の変化やタイミング。
よほど気心のしれた人にしか、本当の自分を出せなくなってきているように思えます。
そもそも、現在通院しているクリニック(H)へ通院する事になったのは、10年以上通院してきた前病院(T医院)を転院するタイミングでした。
初期医院(現在通院中クリニック:Hの以前のT医院、更にその前のクリニック:S)に通院していた時に、福祉などに詳しい方や近い問題を抱える友人に、
自分の住居から近い病院、施設にお世話になった方がいいよ、とアドバイスもありました。
緊急搬送などもあるからでしょうね。。
そこから、前医院であるT医院への通院が始まりました。
通院生活も長かったものです。
初めて僕についてくれた担当医師さんは、なかなか表情を出さず、正直つっけんどうな方とも見受けられましたが、結局、担当医さんが変わることなく、そこから10年以上、お互いの読み合いが始まりました。
読み合いと言ったら聞こえが悪いかもしれませんが、結果、僕の病理のあたりは「双極性障害(旧:躁鬱病)」。
しかしながら先生は福祉などの事を考慮して公には「うつ病」との診断書を書いてくださっていました。
詳しくはとても深くなるので割愛させていただきますが…僕の喋る事は本当であるかもしれないし、それが嘘にもなりうる事かもしれないし、またパラノイア(誇大妄想)かもしれません。。
良い…と言っていいかわからないのですが、躁状態の時は言うこと大口になるし、妙に有頂天になりますし…気性もあらっぽくなります。
そして、これも、面倒な事に"やれる"ことも"やれて"しまうのです。
むしろ余裕なども持ちながら。。
正直、言い方は悪いかもしれませんが、病状の中では落ち込んでいればまだいいのかもしれません。
ただ…単純に落ちているのですから。
目線が床に向かって。
能面のような顔になりながら。
でも、"できない"事は知っていて、それを伝える事はなんとかできるのですから。
でも、悔しい…。。
色々な事を重ねながら、長年通院していたT医院を飛び出したのは、急な医院都合の人事異動です。
ずっと担当医をしてくださった先生は、事前にその事を知らせてくれました。
その時はいつもと変わらぬそぶりで…。
今、思えばあの本当の意味で長年、僕を担当してくれていたT医院担当医先生の目はなんとか、僕の今現在の病理、ここに合わせるにはどんな処方したらいいだろう?
もしかしたら、僕よりも焦燥感を抱え、喜び、落ち込み、僕に向き合ってきていたくれたのかもしれません。
後になって考えられる事が多くて、とても後悔と切なさがやりきれません。
僕の目に焼きついたのが、最後の診察。
診察が終わって、診療室を出る時僕は…
ここまでお世話になって、先生を喜ばす事ができませんでした。
申し訳ありません…。。
本当に長い間、ありがとうございました。
そう言った時にあのキリっとしたポーカーフェイスの表情が悲しみとも安堵ともつかぬ表情を震わせたのです。
僕もなんとも言えない感情になり診察室を飛び出しました。
その後の事はあまり…よく覚えていないです。
そして、T医院から前担当医の先生の姿が消えました。
その後、ついてくださった?担当医師が僕がT医院を飛び出す結果となりました。
その後の担当医の方は…年長の方を悪く言うつもりはありませんが電子カルテもまともに打てず、何もない日にはやたら温和なご高齢な人。
でも、機嫌が悪いと終始プルプルとしていて緊張感が…。
前の先生とも最初はこのような感じだったかな…と、それまでのスタンスで診療を受けていました。
ある日、これは完全に僕が悪いのですが、とても辛い日々が長く、処方を切らしてしまいました。
当日は精神薬の規制が目まぐるしく変わり、正直何がどうだかわかっていない状態でした。
パニックになりつつ、担当医にこのような状態でとても辛い、いかがなものかとも思うが、処方薬の管理もできず数も足りなくなってしまった、明日からどうしていいのかわからない。
当時、できるだけの準備をしてこの薬がこれだけ足りない、これはあるとメモを震える指で走り書きをして病院へ向かったたところ。
「今は、法律の関係で30日(回)以上の薬は出せないんです。なんで知らないんですか?そもそも薬を足りなくするなんておかしいじゃないか?君ぃ…君はね薬物中毒者だ!薬物中毒者なんだよ!」
頭が真っ白になりました。
え、当事者なのに法律や精神医学の方針移行の事実を知らされてない。。
これまで自分でも調べる努力もしてきたが認識していない。。
そして、ジャンキー(薬物依存者)って言われてる。。
畳み掛けるように何度も何度も。
〜〜
足りない日の為に少し多く出しておきますね。
この薬は飲みすぎないでください。
調子が良い日はこのお薬は飲まなくていいですよー。
〜〜
子供の頃から、受けてきた医療。
それが全部覆った。
"精神医療"は"医療"
と別なのだと。
とても話が脱線し長くなってしまいました。。
そうしてT医院を飛び出した僕は、当面の薬をなんとかするべく、ほぼやけっぱちで自分で対して調べもせずに専門知識もない友人が近場でなんとか探し込んでくれて飛び込んだのがクリニックHです。
パニックになった人間が自分に対して適当な医院を調べ、選ぶ…。
中々、難しいところです。
正直、ここには福祉の方々の尽力もありました。
感謝してもしきれないくらいです。
でも、やはり、運?歴史の流れ?はあります。
諸々調べたところによると、現在の精神医療、特に日本は多剤処方を避け、必要最低限の薬から精神療法を用いて完治(寛解)を目指すという指針に流れているようです。
薬をなるべく増やさず合ったもので調整し、なるべく落ち込ませず追い込まないほどに励ます……。
まぁ、これも医師の方向性にもよるでしょうが。。
近年、沢山の事が劇的に変わっていますが、
僕は変われませんでした。
毎回、毎回、あの感情のない目を見るのです。
繰り返し、繰り返し。
その目をなるべく見たくなくて嘘にはなりきらないギリギリの日常を医師に伝え、本当はもう少しコロナも落ち着いたかな?と自分でも思えているのに"マスク"という大きな"仮面"を装備し、怪我した頭は帽子で隠し、今にも崩れそうな目を苦笑いのような垂れ目にして、今もクリニックに通っています。。
正直、僕も諦め気味です。。
障害者が援助していただける法律やサービスはシンプルなものから複雑なものまで様々。。
場合によっては法律が変わるでもなく現場の裁量で唐突に厳しいルールができたり。。
かと思えば、とても緩和されたり。。
若い時はそれなりに考えて、足掻いてきましたが…。。
公的な援助を受けるには、もとよりこのクリニックに通院する事が前提。
明日、明後日にとポイポイ転院できるものではありません。
なにより転院が続くと、福祉側からも不振感を抱かれかねません。
福祉のケースワーカーさんが、先日ポロりと病院変えたら?と言ってくれました。。
でも、もしかしたらそのケースワーカーさんも3月で交代になってしまうかもしれません。
ケースワーカーさんの交代周期は…
大体、2年周期です。
そして交代後の引き付きは自身の体験ではほぼゼロ。
いちから、こういう状況で、こんな症状で…人間関係は…家族関係は…。。
しかも中には高圧的だったり、不振感を抱かざるおえないような人もいます。
本当に心配してくれていたなという人もいました。。
人間様々ですものね。。
毎年、3月末、4月頭頃になってくると頭が鬱屈としてきてしまう。。
散々、ネガティヴな事を書きましたが…とりあえず、生きないとですよね…進まないとですよね。。
どんなに遅くとも一歩、前に歩こうとする事を諦めません。
脈絡もなく垂れ流してしまいましたが、とりあえず書き殴ってみました。
諦めません。
本当…。。
2024.2.19
MICHIRU
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