サッカー構造戦記GOAT(ゲームモデル編) 第13話
第13話:雷と大粒の雨、心に傷、ニセコ合宿
雷と大粒の雨
7月19日(火)18:00 放課後の練習
練習は最後の試合形式に突入し、白熱した良い雰囲気だった。その時、レオンが空を見上げ、眉をひそめた。
彼女の視線の先には、異様な重さのある雨雲が空を覆い、こちらの方へその存在を隠すかのように密かに近づいていたのだった。
レオンの頬にアーモンドほどの大きさの雨粒が落ちた。 レオンはその感触に驚き、隣にいる雪に急いで話しかけた。
レオン「これ降るね!」
雪はレオンの言葉に反応し、空を見上げた。その瞬間、黒い雲から大粒の雨が一斉に降り出し、周囲の空気が一変した。 雪の目が大きく見開かれ、
雪「これ! やべぇやつだ」
その時、空を覆う黒い雲を裂くように稲妻が走り、ランダムな線を描いた。2秒後、ドーンという低音と高音が混ざり合った雷鳴が辺りに響く。
レオンはとっさに大声で叫んだ。
レオン「中止! すぐに中に入って!」
不老が即座に反応した。
不老「すぐに用具を片付けろ! 急げ!」
しかし、優牙は立ち止まり、困惑した様子で反論した。
優牙「えっ? なんで……? せっかく最後の試合を楽しんでたのに、まだできるって……!」
不老はその言葉を無視し、素早く近くのボールを拾い上げて部室へと駆け出した。
武蔵は優牙の横を通り過ぎざまに叫ぶ。
武蔵「バカ! 早く部室に行け!」
優牙は1人ポツンと佇んでいたが、すぐに気を取り直してグラウンドを見渡した。
優牙「ヒューゴ! あっちにまだボールが転がってるぞ!」
部室へ走っていたヒューゴは、優牙の声に足を止めた。
優牙「左のゴール裏にあるっ!」
ヒューゴ「了解!」
ヒューゴは降りしきる雨の中、迷わず左のゴールへ一直線に駆け出し、ボールを拾って再び部室へ向かった。
全員が部室に入り、優牙は玄関でヒューゴを待っていた。
優牙「お前、ずぶ濡れじゃん」
と少し嫌味な笑顔を浮かべながらヒューゴに話しかける。
ヒューゴは軽く肩をすくめ、
ヒューゴ「まあ、ゴールキーパー(GK)はいつもこんなもんだよ」
と何事もなかったかのように答えた。
部室に部員全員が所狭しと入り、タオルで頭を拭いていた。
レオンは全員が中に入ったのを確認すると、練習中止を報告するために江川のもとへ向かい、体育館の出入り口へ歩を進めた。雨脚はさらに強まり、湿った空気が肌にまとわりつく。
体育館に入った瞬間、強烈な明るさがレオンの視界を奪う。目がその眩しさに慣れるまで、瞬きを繰り返す。
中では、バスケ部とスキー部が外の嵐など意に介さず練習に没頭していた。レオンは彼らの邪魔にならないよう、静かに体育教官室へ向かった。
ドアはいつも通り開け放たれていたが、ふと目に入ったのは隣の体育準備室の暗い影だった。
その時-----
ドォーン!
雷鳴が轟き、体育館全体を揺るがす。まるで天井が崩れ落ちてきたかのような、腹に響く音がレオンの動きを凍らせた。
彼女の視界がぼやけ、足元が不安定になった瞬間、過去が一気に押し寄せる。脳裏に突き刺さる記憶が、現実を切り裂くようにフラッシュバックする。
レオンは急に足がすくみ、『上倉の儀式』という名のトラウマが脳裏を駆け巡る。胸が締めつけられ、心臓が鼓動を刻むたびに呼吸が荒くなる。
視線は宙を彷徨い、まるで別の世界に入り込んだかのように、彼女の目には何も映っていなかった。
恐怖がその顔に張り付き、レオンは自分でも制御できない恐慌に襲われていた。全身が冷たい汗で覆われ、震えが止まらない。
体育教官室の前、江川がその様子に気づいた。
レオンの異変を察知した彼は、すぐに声をかけるべきかためらっていた。雷鳴が再び響き渡り、その音がレオンをさらなる恐怖へと押し込んでいた。
心に傷
翌朝9:00、レオンは母親と共に心療内科を訪れた。クリニックはレオンの家からほど近い白いビルの5階にあった。
エレベーターの扉が静かに開くと、穏やかなテンポのクラシック音楽が小さく流れ、待合室には淡い光が差し込んでいた。
室内は落ち着いた雰囲気に包まれ、どこか時間がゆっくりと流れているように感じられた。
レオンが診療室に入ると、男性の医師が静かに椅子に座りパソコンに向かっていた。
彼は小柄で細身の体格に、ネイビーのポロシャツ、黒のスラックス、白地に水色のNIKEのラインが入ったスニーカーを履いていた。
口の上と顎に薄く髭を生やし、インテリの雰囲気を醸し出していた。 医師はレオンをしっかりと見据え、穏やかな視線を彼女に向けた。
ポロシャツの左胸には『石坂』と書かれた名札が付いていた。 彼はゆっくりとしたペースで、気さくに質問を始めた。
石坂の声は、静かで安心感を与えるもので、レオンの緊張を少しずつ和らげていった。
診療が終わりレオンは診療室から出て、無言で母(早苗)の隣のソファに力なく座った。
次に母が診療室に呼ばれた。 石坂はパソコンから目を早苗にゆっくりと移した。
石坂「お子さんは、過去の経験によって心に傷を負っており、それが現在も影響を与えています。これは心的外傷後ストレス障害(PTSD)という症状です」
早苗は、その言葉に一瞬硬直し、思考を巡らせた。
早苗(母)「PTSDっ、ですか? どうして…」
彼女の声には驚きと不安が入り混じっていた。
早苗「中学時代のサッカー部の先生の体罰や厳しい指導が原因でということでしょうか? それとも…」
石坂は落ち着いた声で応じた。
石坂「ええとですね。お子さんの気持ちを尊重し、今後、少しずつ説明をしていきます。具体的な内容については、話し合いながら進めましょう」
早苗は少し息を呑み、驚きと落ち込みが交錯するような声で返した。
早苗「はい、わかりました」
石坂は続けた。
石坂「それでですね。これから、日常生活で注意してあげることや、どのように支えていけば良いか、一緒に考えていきましょう」
2人はエレベーターを降り、薬局で薬を受け取った。
陽射しはまだそれほと強くなく、穏やかな帰り道で2人は無言で歩いていると、レオンが重い口を開いた。
レオン「PTSDだって」
その言葉に、早苗は少し微笑みを浮かべ、明るく応えた。
早苗「そのようね」
彼女は優しくレオンを抱きしめた。
早苗「レオン、あなたは私たちの大事な娘。何があっても一緒に乗り越えようね」
レオンの目からは涙がとめどなく溢れ出した。
レオン「お母さん....」
早苗「もし….話したくなったらいつでも聞くからね。今は無理はしなくていいんだよ」
レオンは小さく頷く。
レオン「うん」
その瞬間、早苗の目にもうっすらと涙が浮かんだ。
早苗とレオンは家に帰る道を歩きながら話し続けた。
早苗「定期的にカウンセリングを受けるんでしょ?」
レオン「うん、薬もね。副作用は少し眠くなるかもって」
早苗「そうか。あの石坂先生、名医らしいから相談しながら、無理しないで少しずつゆっくり進んでいこうね。私も、お父さんもサポートするから大丈夫!」
レオン「ありがとう! 今、サッカー部大事な時期なんだ。お昼食べたら学校行くね」
早苗「まさか、レオン、部活だけ参加するつもり?」
レオンは悪い笑みを浮かべ
レオン「モチ!」
レオン「そうと決まればお昼ご飯は、外で食べようよ!」
早苗「そうね。たまにはいいかぁ」
2人は笑顔で顔を見合わせた。
ニセコ合宿
N:夏休みに入ったアンビサッカー部は、連日、練習と試合を繰り返し、8月を迎えた。この時期、サッカー部恒例のニセコ合宿が待ち受けている。選手たちは、この合宿を通じて〈ゲームモデル〉の総仕上げを図り、選手権大会に向け士気を高めることを目指していた。
その後、お盆休みを挟み、8月21日(日)から始まる選手権札幌地区予選会に備える。
神経質そうな顔をして、眉間に皺を寄せて眉毛を吊り上げたサッカー部部長の猪狩先生が、部員の前で訓示を述べていた。
ロッジヒラフの少し錆びついたバスの前で、選手たちは円を作って、猪狩の話を背筋を伸ばして聞いている。
選手の中に埋もれてしまいそうなほどに小柄な猪狩先生が少しヒステリックな高い声で、
猪狩「いいですか! 皆さん、今回の三泊四日の合宿の目的はなんですか?」
紫「選手権の全道大会に出場するために、守備の強化と〈カウンターアタック〉を極めるのが目的です」
紫はニヤついた生意気そうな笑顔で自信たっぷりに応えた。
猪狩の銀縁のめがねがキラリと光った。
猪狩は紫を冷たい目線で一瞥した。
猪狩「よーく分かってますね。合宿中はその目的を常に意識した行動とってください。ルール、時間、ロッジでのマナーを守るのは当然です」
選手たち「はい!」
と大きな声で応えた。
猪狩「それと….合宿中に酒やタバコを吸う者が万が一見つかった場合、選手権大会出場は叶わなくなります。しかと覚えていてください。当然、その生徒は停学処分になることも、わかっていますね?」
江川が口を挟んだ。
江川「詳しく言うと、酒やタバコを吸って見つかった者が、選手権大会に出場できなくなると言うことだ。わかったな優牙!」
優牙は驚いた表情に答えた。
優牙「なんで俺なんすかぁ!?」
猪狩はサッカー部の出席簿に目を落とした。
眼鏡を上下に動かして、猪狩は顔を上げた。
猪狩「七条優牙!」と低い通る声を発した。
優牙は緊張した面持ちで
優牙「はい、猪狩先生」
猪狩「こちらへ」
そう言うと、猪狩は優牙を少し遠いところへ連れていった。
猪狩は出席簿の欄を指差して
猪狩「….分かってますね。あなただけです」
優牙「分かっています。合宿中に親父が….持ってきます」
と申し訳なさそうに応えた。
猪狩「そうですか。わかりました」
選手たちはバスに乗り込んでいた。
江川は自前の古くなった、くすみがかった青のフォルクスワーゲン・ゴルフを運転し、出発した。その直線的で角張ったデザインは、周囲の車両の中でも異彩を放っていた。
猪狩は引率者として、バスの一番前の席に腰かけ、無言の圧力で部員たちを支配していた。
バスを運転するのは、ロッジヒラフのオーナーだ。黒髪に白髪が混じり、太く剛毛な眉毛が無表情の顔に映える、少し強面の男性だった。彼は穏やかな表情でニセコへと出発した。
レオンは雪と隣り合わせの座席に座り、その後ろにはサッキとヒューゴが仲良く並んで座っていた。
バスは途中、中山峠で休憩に立ち寄った。江川はソフトクリームを美味しそうに食べていた。選手たちは思い思いに軽食を買い、リラックスした雰囲気の中で楽しんでいた。
グランドに到着!
グラウンドに到着した選手たちは、バスからサッカー用具を取り出し、グラウンド横の倉庫へ運び込んだ。クーラーボックスを持ってバスから降りたレオンの眼前には、天然芝のグラウンドが2面広がっていた。周囲は畑に囲まれ、顔を上げると、迫力満点の美しい羊蹄山がそびえていた。
レオン「わぁ〜! 羊蹄山!? 本当に富士山そっくりで美しい! ここがロッジヒラフのグランドなんだぁ」
不老「今年も来たか! 実にいい景色だなぁ」
優牙「ほんと、俺、ここ大好き! もうここに来るためにサッカーやってるって感じだよなぁ」
武蔵「おい、優牙、何甘えたこと言ってんだ」
優牙「いいじゃん、少しくらい楽しんだってよ!」
不老「合宿中には〈ゲームモデル〉の習得はもちろん、一つのチームになるための仲間作りも大切だ。特に1年と2年の融合を目指したい」
武蔵「できると思うか!? あいつら一年は口ばっかだからよ」
優牙「俺はもう融合できてるぜ」
不老「どちらにしても、一つのチームにならないと全道など夢のまた夢だ」
武蔵「….そうだな」
ミューラーは笑いながら大声で蒼介に言った。
ミューラー「だから、あれは羊蹄山だって!」
蒼介も負けずに即座に反論する。
蒼介「違う! 違う! あれはどう見ても富士山だろ。ほら、見てみろよ! 美しいなぁ〜」
そのやり取りを耳にした紫は、呆れ顔をして鼻で笑った。
紫「北海道に富士山があるわけないだろ。あいつ、東京出身だっけ!?」
丸間は、その様子を横目で見つつ、気にも留めずに言った。
丸間「そうらしいぞ。ほっとこうぜ」
少し離れた場所では、ヒューゴとサッキが静かに羊蹄山を見つめていた。雄大な姿を前に、ヒューゴはぽつりとつぶやいた。
ヒューゴ「いつか、あの山に登ってみたいな…」
サッキはその言葉に静かに微笑み、優しい声で応えた。
サッキ「そうだね、きっと素晴らしい景色が見られるだろうね」
ロッジヒラフの食堂で昼食を終えた後、選手たちはランニングシューズを履き、グランドまでの1.5kmの下り坂を走った。
目標タイムは15分以内でグランドに着くこと。
遅れた場合はマネージャーに顔にマジックで✖️印をつけられるという、アンビサッカー部らしいゲーム感覚のルールがあった。
行きは全員、見事に時間内で走り切り、遅れる者はいなかった。
その日は、これまで習得してきた〈ゲームモデル〉の確認を行い、その後は紅白戦が行われた。
練習後、選手たちはロッジヒラフまでの上り坂を再びランニングで戻る。
練習の疲れが蓄積し、上り坂がさらに選手たちの足に重くのしかかる。次第に足取りが鈍くなっていく中、ついにヒューゴが時間に遅れ、最初の犠牲者となった。
マネージャーの雪が、ヒューゴの左頬に油性マジックで大きく✖️印を描くと、レオンは苦笑いを浮かべた。
雪は意地悪そうに笑い、ヒューゴは涙目になって、自分が時間に遅れたことを悔しがっていた。
その日の夕食時、ヒューゴは左頬に✖️印をつけたまま食堂に現れた。ロッジヒラフのスタッフや他の部員たちは、彼の姿を見て大笑いした。
しかし、ヒューゴはまったく気にしていない様子で、むしろ楽しそうに笑い返していた。
夜にはミーティングが行われ、再度〈ゲームモデル〉の確認を行った。
N:ミーティングの最後に、部員たちは「2つの真実、1つの嘘」というアイスブレイクのゲームに取り組むことになった。このゲームの目的は、特に1年生と2年生が互いのことを知り、コミュニケーションを円滑にすることだった。
* * *
※ 『2つの真実、1つの嘘』:各メンバーは自分に関する3つの事柄を発表するが、そのうち2つは真実で、1つは嘘である。他のメンバーはどれが嘘かを当てるゲーム。
* * *
レオンはミーティングルームにある大きな長方形のホワイトボードの前に立ち、真顔でゲームの進行方法を説明し始めた。
レオン「さて、皆さん!今日は『2つの真実、1つの嘘』というゲームを行います。まず、各自が自分について『2つの真実と、1つの嘘』を考えてください!」
と言い放つと、蒼介が横からツッコミを入れた。
蒼介「そんな真剣に言われてもな。これ、ゲームだろ!」
ミューラーは考え込んだ表情で言った。
ミューラー「そんなことはどうでもいい。嘘を考えるのむずいなぁ」
と言って頭を捻った。
レオンは部員たちの考えがまとまったのを見計らって、少し意地悪そうに笑みを浮かべた。
レオン「最初に発表するのはヒューゴ!」
ヒューゴ「え、俺が最初!?」
レオン「そう。帰りのランニングで遅れたからね」
ヒューゴは少し不貞腐れた表情を見せながら、
ヒューゴ「そんなの聞いてないけど、まあ、いいよ」
とそそくさと前に出た。
ヒューゴはホワイトボードに、バランスの悪い汚い字で3つの文章を箇条書きにした。
ヒューゴは部員たちの方に振り向き、緊張した表情で問いかけた。
ヒューゴ「どれが嘘だと思う?」
その彼の張り詰めた様子が、逆に場の雰囲気をさらに和ませた。
部員たち「これ全部嘘じゃね!」「父親がレアルってよ!」「ヒューゴの外見なら、3ヶ国語は話せるかもな」「猫3匹はあり得るぞ」
優牙が椅子に座ったまま前のめりになって言った。
優牙「これもう…1番が嘘だ。ヒューゴは金髪で灰色の目をして、最近急激に身長が伸びたとはいえ、父親がレアル・マドリードってのは無理がある。これが嘘だ」
選手たちも続いて意見を出し合う。
選手たち「俺も1番が嘘だと思う」「俺も」「これだな」「ってことは、あいつ3ヶ国語話せんのかよ!」
部員たちの推測が出揃ったのを見計らって、レオンが椅子に座ったままノートを見て話し出した。
レオンが口を開いた。
レオン「それでは発表します。ヒューゴの1つの嘘は…」
選手たちは息を飲む。
レオンが力強く答える。「3番です!」
部員たちは一斉に驚きの声をあげた。
部員たち「ええ、3番かぁ」「ってことはヒューゴの父親、元レアル・マドリードの選手ってこと!?」「ありえねぇって」「マジで言ってんの?」
優牙が目を見開いて尋ねる。
優牙「ヒューゴ! マジでお前の父さん、レアル・マドリードの選手だったの?」
ヒューゴは胸を張って答えた。
ヒューゴ「うん、父は3年という短い期間だったけど、レアルのトップチームでプレーをしていた」
すると、紫が間髪入れずにヒューゴに質問した。
紫「名前は?」
ヒューゴは自信満々に答える。
ヒューゴ「父の名前はAlejandro Garcia(アレハンドロ・ガルシア)。レアルでセンターフォワード(CF)をしていたんだ」
部員たちの反応は静まり返る。「…..!?」「アレハンドロ」「….ガルシア」「知ってる?」「知らね…」
部員たちが沈黙していると、サッキがその空気を切り裂くように、言った。
サッキ「アレハンドロ・ガルシアは20歳でデビューして、3年程度トップチームでプレーしたけど、確か、酒に溺れて…」
サッキは気の毒そうな顔でヒューゴを見た。
ヒューゴはサッキの顔を見て、部員たちの方をしっかりと向いて話し始めた。
ヒューゴ「父はアルコール中毒になり、サッカー選手を引退し、現在はレアル・マドリードのスカウトをしている」
ヒューゴはここで言葉を切り、少しためらった後に、明確にみんなの前で意思表示した。
ヒューゴ「俺は、スペインでプロになって父に会いたいと思っている」
蒼介が驚愕の表情で言った。
蒼介「そういうことだったのか、だからプロになりたいって…」
不老は立ち上がって話し出した。
不老「凄いよ、ヒューゴ。中々言えることじゃない。僕はプロになることができると思うし、ヒューゴの夢を応援したいとも思う」
部員たちも次々と声を上げる。
部員たち「俺も応援する!」「俺も!」「頑張れよ!」「楽しみになってきた!」「レアルかぁ、俺も目指そうかな!」「お前は無理!」「うるせえ!」
レオンはみんなが盛り上がってきたところで、次に進むために大きな声を出した。レオン「はい、次、紫、お願いします!」
紫は軽やかな声で
紫「はーい!」
と言い、前に出てきて迷わずホワイトボードに書き出した。
速攻で書き終わった紫は、なぜか堂々と自信満々に言い放った。
紫「どれが嘘だと思う?」
部員たちの反応はすぐに巻き起こった。
部員たち「また父親が元プロパターンだ」「これ嘘だろ」「でも、全国出場って」「そう言えば紫、青翔と一緒だったよな」「有り得なくはないな」「本当にギターとピアノが弾けるのかよ」「俺だって、昔バイエルくらい弾けたぞ」
レオンが正解を言った。
レオン「それでは発表します。紫の1つの嘘は…」
部員たちが息を飲む。
レオン「2番です!」
部員たちは一斉に反応した。
部員たち「やっぱりな」「うちのチームにそんなサラブレッドばかりいたら、簡単に全国行けるって」「ってことは全国出場経験者かぁ」「スゲェーな」「本当にギターとピアノ弾けんの?」
紫は少し照れくさそうに言った。
紫「ジュニアユース時代、全国は最後の5分間だけ出場した。ボールに触れたのは一回だけだったけど…」
蒼介がフォローするように言った。
蒼介「でも、全国出たのは凄いって」
ミューラーも頷きながら言った。
ミューラー「俺もそう思う。俺は中体連の全市大会出場がやっとだったからなぁ」
江川が急に声を出した。
江川「紫、何か演奏をしてみろ」
紫は辺りを見渡しながら答えた。
紫「でも、楽器がここには…」
その時、ミーティングルームの隣の食堂にいたオーナーが声をかけた。
オーナー「アコースティックギターならあるよ」
そう言うと、食堂を出て、奥から使い古されたアコースティックギターを持ってきた。
オーナーは無造作に紫にそれを手渡した。
オーナー「ほれ! 弾いてみな」
紫は、今まで見せたことのない笑顔でアコースティックギターを受け取った。
紫はギターを手に取り、椅子に腰掛けて足を組むと、慣れた手つきで静かにチューニングを始めた。いくつかのコードを軽く弾き、指が温まってくると、自然とメロディを紡ぎ出し始めた。
それはアコースティックギターの定番『禁じられた遊び』だった。選手たちやレオン、雪、そして端っこで江川が頷きながら、その美しい音色に聴き入っていた。
丸間は静かに指でリズムを取るように机をトントンと叩いた。
すると紫は曲調を変え、いきなり歌い出した。彼の声は話す時とは異なり、低く伸びやかで、まるでプロの歌手のようだった。
レオンM:(わぁ〜、いい声!)
その瞬間、部員たちからも感嘆の声が漏れた。
部員たち「うめえなぁ」「歌手かよ」「これ、いいわ」
不老が顔を上げて静かに口を開く。
不老「これって…『なごり雪』じゃないか?」
優牙も懐かしそうに笑みを浮かべながらうなずく。
優牙「古い歌だけど、名曲だよなぁ」
部屋の空気は一変し、皆が紫のギターと歌声に引き込まれた。まるで過去の思い出に包まれるかのように、静かな感動が広がっていく。
1番のサビを歌い終えると、紫はゆっくりギターを止めた。部員たちはその余韻に浸り、言葉を失っていた。
レオンは紫の予想外の才能に驚き、両手を胸の前で組んで感心していた。一方、雪の目には大粒の涙が浮かび、そのまま頬を伝っていたが、彼女は気にする様子もなく、絞り出すように言った。
雪「もっと…もっと続けろ!」
涙を拭いながら、震えた声で続ける。
雪「母さんが好きだった歌なんだ。昔を思い出してな…」
その姿に、優牙が冗談混じりに口を挟む。
優牙「あ〜あ、泣いちゃったぞ、紫! どうすんだよ、この雰囲気」
紫は少し照れながら肩をすくめた。
紫「いや、時間も押してるし、早く寝たいんだよ」
レオンは時計に目をやり、部屋を見渡してから静かに決断した。
レオン「今日はあと1人にしよう。最後は武蔵!」
部屋の空気は、次の場面への期待と共に徐々に落ち着きを取り戻していった。
後ろの方に座っていた武蔵は、ぼんやりと紫がギターを弾くのを眺めていたが、突然、決意したように声を上げた。
武蔵「よしっ!」
そう言って勢いよく椅子から立ち上がると、ホワイトボードに向かい、迷わず書き出した。
武蔵「どれが嘘かわかるか?」
選手たち「これ全部うそじゃね」「武蔵の兄貴って確か….」「あの有名な…兄貴」
「ギター弾くの流行ってんの」「絶対日サロ行ってるだろ」「なんであんなに黒いの」
レオンは大きな声で話した。
レオン「それでは発表します。武蔵の1つの嘘は….
選手たちが息を飲む。
レオン「3番です!」
部員たち「(わざとらしく)ええ、3番!?」「これ最初からわかってたな」「兄貴は有名だからなぁ」「でも他のも嘘だろ」
部員たちが、武蔵の答えにざわついていると
武蔵「テメエら静かにしろ!」
部員たちは静まり返り、武蔵の方に視線を戻した。
武蔵「俺が嘘を言うと思うか、俺は紫みたいにうまくはないけどギター弾くんだ。そして、俺は自慢じゃねえが一回も日サロには行ったことがねえ。ただの地黒だ。わかったか!」
武蔵がそう言った横から、紫が武蔵にギターを差し出した。
紫「何か弾いてみて」
部員たち「そうだ。何か弾いてくれ」「武蔵、本当に弾けるかぁ」「楽しみだなぁ」
武蔵は少し上擦った声で答えた。
武蔵「わかった。弾いてやるよ。しっかり耳の穴かっぽじって聞いとけよ、お前ら」
武蔵は紫からぎこちなくギターを受け取り、固まり、見るからに緊張していた様子で椅子に腰かけ、足を組んだ。
その瞬間、周囲が静まり返り、彼の心臓の鼓動が耳に届くほどだった。
そして、静寂を突き破るようにギターを弾きだした。最初の音が響くと、部員たちは緊張した面持ちで武蔵を見つめた。
彼が弾く音は途切れ途切れで、まるで不安定な波のように揺れ動いていた。曲名ははっきりしなかったが、どこか懐かしさを感じさせるメロディだった。
部員たちは顔を見合わせ、心配そうに耳を傾ける。
部員たち「これ、なんの曲?」「いや、音合ってるか?」「そもそも、これ曲なのか!?」
彼の指が弦に触れるたびに、期待と不安が交錯し、緊張感が増していった。部屋の空気は、彼の演奏の出来栄えに一喜一憂しているかのようだった。
不老が声を上げる。
不老「それはなんていう曲?」
武蔵は少し自信を持って答えた。
武蔵「聴いてわからねえか? Stand by Meだ」
紫が頷きながら言う。
紫「Ben E. Kingの代表的な曲だ」
部員たちは驚きつつも、
部員たち「Stand by Meは知ってるけど…」「まだ練習始めたばっかりじゃね」「これ弾けるうちに入るか?」
などと話し始める。
その時、紫が突如、武蔵のギターに合わせて手拍子を叩き始めた。
部員たちも次第にそのリズムに乗り、手拍子を加えて武蔵のギターをアシストした。部屋全体が一体感に包まれていく。
武蔵の額からは汗が滴り落ち、背中の白いTシャツは汗でびっしょりと濡れていた。
後ろにいた江川がうんうんと頷きながら立ち上がった。
江川「武蔵、ありがとう。いい曲だ。また練習して、学祭で演奏してくれ!」
部員たちは後ろを向いて江川の話を聞いた。
江川「今日のミーティングは盛り上がったな。部員同士の共通点や、意外に知らなかった事実を共有することができた。こうやってお互いのことを知ることで、より深くコミュニケーションを取ることができるだろう。明日も引き続き頼む」
そう言うと、不老が立ち上がり、部員たちも続いて立ち上がった。
不老「これでミーティングを終わる。22:00までには消灯して、そのあとは他の部屋への出入りは禁止だ。朝は6:00起床で、6:30から近くを散歩するから、遅れないようにしよう」
その夜、レオンは歯を磨き、部屋に戻って寝床に入った。隣の布団に寝ていた雪が、ぽつりと話しかけてきた。
雪「それで、大丈夫なのか?……あの、この前、教官室の前で……」
レオンは少し明るい声で答えた。
レオン「うん、大丈夫。あの時は心配かけてごめんね」
しかし、雪の顔にはまだ不安が残っていた。 彼女はレオンを見つめ、静かに言葉を続けた。
雪「あの時、レオンがなかなか部室に戻ってこないから、俺も教官室まで行ったんだ。そしたら、お前がソファでぐったりしてた」
レオンは暗い天井を見上げ、少し驚いたように言った。
レオン「来てくれたんだ……気づかなかった」
雪はそのままレオンをじっと見つめ、さらに問いかけた。
雪「江川は、軽い貧血だって言ってたけど、それって本当か?」
レオンは一瞬言葉に詰まり、黙り込んだ。 雪は不安が増したのか、声を少し上げた。
雪「まさか、白血病とかじゃないよな!?」
レオンは横を向き、雪の方を見て微笑んだ。
レオン「そんなわけないよ。ドラマの見過ぎだよ」
雪は勢いよく布団から上半身を起こし、熱っぽく言った。
雪「部員もみんなお前のこと信頼してる。みんな心配してたんだぞ。あいつら、ぶっきらぼうだから何も言わなかったかもしれないけど」
レオンはその言葉を受け止め、ぼんやりと遠い目をしながらつぶやいた。
レオン「そうなんだ……信頼、かぁ」
少し間を置いてから、レオンは優しく言った。
レオン「雪、ありがとう。話せる時が来たら、ちゃんと話すよ」
レオンが雪の方に振り返ると、雪はすでに静かに寝息を立てていた。安心しきった顔で眠る雪を見て、レオンは思わず微笑んだ。
窓の外には、細く輝く三日月が静かに夜空に浮かんでいた。
次の日の朝、6:30の散歩に間に合わなかった者たちの頬には、マジックで✖️印が書かれた。
ヒューゴの右の頬には、もう一つ✖️印が増えていた。ヒューゴと同じ部屋だったミューラー、蒼介、丸間の頬にも✖️印が書かれ、部員たちは大笑いしていた。
2日目の夜、優牙の親が合宿費を持って猪狩先生を訪れた。優牙と同じく大柄で無精髭を生やし、大工の格好をしていた彼は、大きな身体を小さく丸めて、合宿費を払うのが遅れたことを謝った。
優牙はそんな父の横で緊張した面持ちで直立不動のまま話を聞いていた。
3日目には、ベップが銀色のエスティマを走らせて、昼間に合宿を見学しにロッジヒラフのグランドにやってきた。
江川と一緒にテントの中のベンチに座り、選手たちがプレーする姿を楽しそうに眺めながら、江川と笑って会話を交わしていた。
3日目の午後には、地元の高校と練習試合を行った。35分を4セットのマッチで、13対0で圧勝したが、選手たちに浮かれる様子はなかった。
江川とベップは、試合を観戦しながら選手たちの成長を見守っていた。
サッキは、テントの中でパソコンを操作し、アンビの練習試合から〈ゲームモデル〉の再点検と、選手権札幌地区予選で戦う相手の試合を分析していた。
N:選手権大会札幌地区予選では、北栄などのキングスリーグ北海道大会に出場している高校が地区予選を免除されるため、これらの強豪校は直接全道大会から参加する。
しかし、強豪校が参加しないとはいえ、選手権札幌地区予選は依然として力が拮抗し、ハイレベルな争いが繰り広げられる。
どの高校も全道大会で勝ち進むだけの実力を備えており、そのため激しい戦いが予想される。選手たちは、夢の舞台へと進むために全力を尽くし、互いに真剣勝負を繰り広げるのだ。
レオンがパソコンで動画を観ているサッキに声をかけた。
レオン「サッキ、進み具合はどう?」
サッキはモニターから視線を外し、軽く息を吐いた。
サッキ「どのチームも油断できないけど、ブロックの準決勝と決勝で対戦しそうな高校はかなり強い。この前戦った一番星と同等か、それ以上の力を持ってる可能性が高いよ」
レオン「そっか……。まさか、サッキ?」
サッキ「うん。夏休み中に試合会場に行って、スカウティングしてきたんだ」
レオン「そこまでしてくれたんだ! ありがとう。でも、暑くて大変だったんじゃない?」
サッキ「大したことないよ。まあ、確かに暑かったけど……平気さ」
レオン「ほんとにありがとう、サッキ。期待してるよ」
その時、サッキは何か思いついたようにレオンに質問を投げかけた。
サッキ「ところで…〈守備への切り替え〉は練習しないの?」
レオンは、つかれたくない場所をつかれたかのようにビクッとした。
レオン「う、うん。不老とも話し合って、5秒間プレッシングも機能してるし、一回戦まではこの計画でいくことにした」
サッキ「そう。分かった。でも…それが隠された『弱み』にならないことを願うよ」
レオン「…そうだね。今はこの計画で行くしかない。全道が決まったら、すぐに取り組むことにしよう」
サッキは軽く頷き、再びパソコンに視線を戻した。レオンの中には、一抹の不安が残った。
合宿は順調に進み、2日目、3日目も『2つの真実と、1つの嘘』で大いに盛り上がった。皆、不老の嘘を見抜くことができなかった。
ミューラーの嘘はすぐにみんなに見破れらた。
部員たち「これ、誰でもわかるじゃん」「ゲームになってないって」「嘘は1番に決まってるだろ!」「スケボーが趣味なのはわかるよ」
ミューラーは愕然とした表情で、つぶやいた。
ミューラー「なんでわかるんだよ〜」
そうして……合宿は過ぎていった。
合宿4日目
ヒューゴの✖️印は、これ以上増えることはなかったし、他の選手もこれ以上✖️印をつけられることはなかった。ヒューゴは単に体力がなかったが、徐々に持ち前のポジティブシンキングと努力で乗り越えていった。
合宿の最後は恒例の山登り。
とはいえ、ニセコヒラフにあるスキー場のリフト一区間を登って降りてくるだけだ。ランニングで20分程度、歩いても40〜50分もあれば戻って来られる。
リフトの頂上に着くと、後ろを振り返った部員たちは、晴れ渡る空に羊蹄山が広がるのを見て息を呑んだ。
レオンは圧倒された様子で感嘆の声をあげた。
レオン「うわーっ、すっごい!羊蹄山が綺麗に見える〜! これがパノラマビューってやつ?」
雪はその眼前に広がる景色を見ながら答えた。
雪「うん、すっげぇだろ。これがこの合宿の醍醐味だな」
江川「ふぅーっ! やっと着いたか。年々登るのがキツくなってきたな」
猪狩「先生はお酒を飲みすぎです。もっと健康に気をつけないと、もうお若くはないのですから」
江川「やれやれ」
選手たちは江川の到着を待ちながら、山を下る準備を整えていた。ロッジヒラフまで競争するのだ。
走る準備を整えた不老が江川の方を振り向いた。
不老「江川先生! お願いします!」
江川「そろそろ行くか。よし」
羊蹄山を眺めていた江川は、選手たちの方を振り向き、スタートの合図をした。
江川「よーい! スタートぉ!」
そして…
選手権当日
1回戦
対 平岸南高校
不動のGK田丸が高熱を出して休んだため、急遽ヒューゴが試合に出ることになった。