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お別れ

9月13日、愛犬がお空に旅立ちました。
16才7ヶ月のヨークシャーテリアの男の子でした。

いつものように朝6時台に目を覚まし朝食を摂った後、まだ眠たかったので少し横になろうと布団に戻ったらスマホが鳴ったので、職場からの連絡かなあなんてのほほんとロック画面を見たら。届いたばかりのメッセージの知らせの他に数分前の不在着信の記録が残っていたので、LINEを開いたら母から電話と共にメッセージが届いていました。

「朝起きたら愛犬が死んでた。
この数日間吐いて食べられなかった。」

家族のグループLINEには父からのメッセージと、
愛犬の最期を写した写真が数枚送られていました。

見た瞬間に涙が溢れ、隣で寝ていた夫を叩き起こして泣き喚いてしまった。

すっかり油断してしまっていました。

昨年の10月に愛犬の容態が急変したので病院で診てもらったら腫瘍ができている可能性を指摘され、それ以来、下痢や嘔吐を繰り返すようになってしまいました。余命1ヶ月かもしれないという状況になり、愛犬の死を覚悟しました。

それから約1年。
下痢や嘔吐は断続するものの、父が熱心に愛犬を病院に連れて行って点滴を打ってもらって、びっくりするほど愛犬は時々元気そうに動いてご飯をねだって吠えたりしていました。

調子に波はあるけれど、まだまだ大丈夫、なんて家族が思っていた矢先の出来事でした。

朝一で実家に向かい、私が着いた頃には父は愛犬を連れて動物病院に行っていたので、その帰りを待つ間に母から色々と話を聞きました。朝起きて見つけた時はまだ愛犬の体は温かくて、昨晩は父は深夜2時に愛犬にオムツを履かせて寝室に来たから、深夜2時と朝6時半の間に息を引き取ったのだろうと。もしかしたら愛犬は親が起きてくるのを必死で待っていたのかもしれない。最期に一緒にいて寝なかったのが悔やまれると。

最期をひとりぼっちで迎えた愛犬はどんなに心細かっただろう。看取ってあげられなかったのが本当に本当に悲しい。

やんちゃ盛りの時は構われるのが好きではなくて撫でようとするとよく威嚇するから、いつからか「ウーウーマン」というあだ名が家内で定着した愛犬でしたが、誰かがソファに座るとすぐにソファに飛び乗ってお尻をくっつけにくる甘えん坊でもありました。普段は嫌がるのに、こちらが落ち込んでる時は「仕方ねえな」と言わんばかりに撫でさせてくれて気を遣ってくれる優しいわんちゃんでした。二階建ての家で、階段が降りられない愛犬は二階が生活スペースだったのですが、玄関から入って目の前が階段だったので、家に帰るとよく愛犬が二階の階段の壁から顔を覗かせて迎えてくれました。おじいちゃんになってからは撫でられることに抵抗がなくなり、すっかり甘え上手になりました。

8年前に私は進学を機に実家を離れ、それ以来愛犬と過ごす時間は減ってしまいましたが、それまでの思春期に心細い思いをたくさんしていた時、愛犬はいつも家の中にいて癒してくれる存在でした。あの時愛犬がいなかったら私はどうなっていただろう。愛犬が亡くなって心にぽっかり穴が開き、愛犬がいかに私にとって当たり前で大きな存在だったのか改めて思い知らされ。だから最期に一緒にいて看取ることができなかったことが本当に残念です。

病院から戻ってきた愛犬は、ペット霊園からいただいた棺の中で、穏やかに眠っているようでした。体はすっかり冷たくなっていましたが、撫でられると喜んだ耳裏や首筋を撫で続けていたら、ヒゲがぴくりと動いたような錯覚が何度もしました。口元が少し微笑んでいるようにも見えました。

翌々日の15日にペット霊園で火葬をしました。風は強い日でしたが空は晴れわたり、霊園の芝生や木の葉が風に揺られてキラキラしているようでした。のどかな場所でした。

棺の中の愛犬の周りにお花を詰め、家族との写真を数枚入れ、口元に好きだったご飯を添えました。愛犬を直接見て触れられるのがこれで最後なのだと思うとまた涙が溢れてきました。今までの愛犬の様子が走馬灯のように思い浮かびました。

ありがとう。大好きだよ。またどこかで会おうね。
そう思いながら愛犬の棺が運ばれていくのを見送りました。

愛犬は幸せだっただろうか。

愛犬の骨箱を腕に抱えて佇んでいた時、風がひときわ強く吹き、側にあった大きな木がざわめきました。温かい風に包まれ、目の前のお墓が並ぶ芝生には空から煌々と光が注がれ一層輝いて見えました。不思議なほどに心地よく、穏やかな光景でした。

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